「雁の翼に(八)」


 呆気にとられる土井に風鬼はすたすたと歩み寄り、土井の肩にもたれた忍者の頭を掴むと無造作に覆面を剥いだ。
 そして、おう、と嘆声を上げた。
「こいつは南蛮人か?」
 言いながら自分の懐を探り、片手で取り出した打竹で紙縒りのような松明に器用に火をつけ、忍者の顔を照らす。その小さな明かりの中でも、高く尖った鼻と、薄い琥珀色の瞳を収めたぱっちりとした双眸が見てとれた。
 髪は黒い。全体の顔立ちは、南蛮人と言われればそうとも見え、しかし彫りが深い日本人にも見える。
 ぐったりと重さを増した忍者の体を抱きかかえて、土井は反論するでもなく呟いた。
「……それらしい訛りはなかったが」
「言葉遣いがコテコテに武張ってたからな。南蛮人の血が入った日ノ本の人間かな」
 いわゆるサムライ言葉には、あえて一般人とは違う喋り方をすることで武士を権威付けるという意味がある。一方では、出身地方が異なる武士の間でも円滑に会話ができるよう、方言を排除して作られた標準語という実利的な性質も持つ。
 それゆえ訛りを隠すには好都合だし、作られた言語だけに習得もしやすいが、その素性を本人に確かめることはもうできない。首を探った指先に、もはや脈動は感じられなかった。
「この手裏剣、お前が投げたのか」
「あ門(あもん)を一撃。いい腕だろう」
 首裏の急所だ。そこを過たず突かれては、痛みすら感じる間もなかっただろう。事実、忍者の面に苦痛の色はなく、驚いたような表情が残っているばかりだ。
「殺すことはなかった」
 土井が険相をすると、風鬼はひょいと肩をすくめた。大きいレンズに遮られて表情は見えないが、なんとはなしに鼻で笑ったような気配がした。
「そうか。俺は余計なことをしたか。あのまま、お前さんが内股を掻き斬られるのを見物していた方が良かったか?」
 そう言って、顎で亡骸を指す。
「戦っている最中、そいつの動線が奇妙なのに気づかなかったか」
「えっ」
「右手に短刀がある。袖の中に隠していたんだろう」
 言われるままに緩く開いた手のひらをまさぐると、黒塗りの簡素な短刀が袖口からかたりと落ちた。
 ――近付いたところを、下からこの短刀で刺突するつもりだったか。
 言葉を失う土井をよそに風鬼はそれを拾い上げ、刀剣屋の店先で吟味するように刃紋や拵えをじっくりと眺め回しながら、軽い口調で言った。
「針はともかく、刀を振り回していた間は、首や胴体の急所ではなく足を集中的に狙っていた。抵抗を封じたいだけで命を取るつもりはなかったんだろう。捕らえた後はどうだか知らんがな」
 左手を上げたのはそちらに注意を向けさせるためか。――膝を斬られたり、腿を刺されたりすれば、立つことはおろか身動きも出来なくなる。そうなれば捕まっていたには違いないが。
「うわー、不動行光かなあこれ……若いのにいいもん使ってるなぁ。貰っちゃおうかな」
「なぜ、助けた」
 名工の作らしい短刀に奇声を上げる風鬼に向かって、低い声で問う。
 風鬼は見つけ出した鞘に短刀を収めると、それを土井が仰向けに横たわらせた忍者の胸に置いた。そして腕を伸ばし、忍者の開いたままのまぶたを閉じながら、
「さてね。気分だろ」
さらりと答える。そして、少し首を傾げて、逆に質問を返してくる。
「こいつが喋っていた手やら指になんたらってのは、なんなんだ?」
「目下から目上への南蛮式の挨拶だ。大人しく従えという意味だろう」
「ふーん。もうひとつ、こいつらに身辺調査までされていたようだが、目をつけられる理由は思い当たるか」
「皆目」
 土井が首を振ると、風鬼は顎に手を掛けて沈思した。そして、ちょっと辺りを窺う仕草をしてから、土井の耳元に顔を近付けた。
「ここへ来た目的はなんだ」
 声をひそめて囁く。
「人にものを尋ねる時は、まず自分から言え」
「こんな時でも先生だねあんた。まぁいい、俺はここのところあの出城を調査しているんだ。昼の間、様子を探ろうと変装してうろついていたら、思いがけずも酒売りのお嬢さんが密書を持って現れた訳だ」
 思わず嫌な顔をした土井に、満面の笑みを向ける。善良な笑顔には見えない。
「調査の理由は」
 軽く睨んで尋ねると、風鬼は涼しい顔で答えた。
「新月の晩だ。忍者が仕事をするにはもってこいだし、密書が届いたなら何か動きがあるかもしれん。だから来たのさ。決闘の現場に出くわすとは、流石に思わなかったが」
「はぐらかすな。今ここにいる理由を聞いているのじゃない。その調査とやらの目的はなんだ。――何か掴んでいるな」
「お互いさまだ」
 顔を見合わせたまま、沈黙が落ちた。
 打ち寄せては砕ける波音が間を埋める。

「水軍は、それほど必要なものか」
 ひとつの波と次の波の間に生じる僅かな静寂に、ぽつり、土井が呟いた。目はサングラスの奥を見据えて離さない。

 やがて、風鬼はクイと両の眉を吊り上げた。
「一から作るには金も時間も人手もかかる。うちの水軍創設準備室は達魔鬼が頑張って地道にやってるが、それができるなら、既存の水軍と同盟を結ぶのが一番手っ取り早い」
 土井が平板な口調で言葉を継ぐ。
「しかし、兵庫水軍はどの城にも与しないし、戦で奪い取れば折角揃っている軍備に損害が出る」
「知ってるさ。何度も痛い目を見た。巧いやり方があるなら知りたいもんだ」
 忍術学園から火薬を盗み出し、庄左ヱ門を人質にとって兵庫水軍から軍船を奪取したのはつい最近の話だ。四方八方てんやわんや、上を下への大騒動の結果、ドクタケは最新式カノン砲、兵庫水軍は軍船一艘、忍術学園は大量の火薬を失う三方痛み分けに終わった。
「海戦力を備えて、木野小次郎竹高は天下を取るつもりか」
「目標は高いほうがいい。とは言え、うちの殿はご自分の力量の程をよくご承知だ。あの出城の主の――」
 風鬼が言ったのは、近隣の山あいに城を構える小領主の名前だった。
「――は、その点いやに強気だな。水軍で何をするつもりか知らないが、どうやって渡りをつけたんだか、出城の守将には水軍崩れの浪人者を雇っているし」
 諸国に名を轟かし天下の覇権を争う大名ならともかく、山地に拠点がありながら水軍を持ちたがるとはおかしな話だ。それに、忍者が口にした天下統一を果たすには、その小領主では器が足りないにも程がある。
「上に反発して出奔した浪人とは言え、水軍の名家の武将だったような人物を起用するとは、確かに分不相応だな」
 口元に指を当てながら独り言のように土井が言うと、風鬼は意味あり気にニヤリとした。
「案外、小領主には強力な後ろ盾がいて、そいつが水軍を欲しがっているのかも知れんな」
「だとしたら迷惑な話だ」
「……ああ、今のだけは本心だな」
 茶化すように言って、風鬼は甲を上にした拳をすっと差し出した。
「ところで、"見知らぬ味方よりよく知ってる敵の方がいい"って言葉があるな」

 土井はその拳を見、次いで風鬼の顔を見た。そして同じく握ったままの片手を持ち上げる。

「握手はしない」
「望むところだ」

 トンと軽く拳を合わせた。



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