「雁の翼に(七)」


 土井は語気鋭く言葉を重ねた。
「ならば問う。お前たちは何者だ。何を企んでいる」
「企みとな。そのような下賎なものではない。我らは時代を紡ぐ者」
「時代?」
「今や将軍の権威も帝の御稜威さえも世を治むるに足りはしない。戦乱極まる混迷の時代に終止符を打ち、天下を平定する傑物が現れなければ、この後の百年も戦ばかりいたずらに繰り返されて多くの人が死ぬことは自明」
「天下を平定?」
「親を亡くし子を亡くし、帰る家も住む土地も失い、途方に暮れて嘆くしかできぬ人々は世に増えるばかり。おんちの計画が叶えば天下はすぐにも統一されて平らかに治められ、こんな理は覆る。子は親を慕い親は子を慈しむことが、きっと当たり前に出来る世になる」
「計画? 覆るだと?」
「オウム返しとは、優秀な教諭で鳴る土井殿も案外能が無い」
 話すうちに回復したのか、忍者の声は徐々に落ち着きを取り戻し、からかうように言い添えた。
 だが、言っていることが荒唐無稽過ぎやしないか? どんな遠大な計画か知れないが、いま目の前にあるのは、崖の上の小体な出城とこの忍者だけなのだ。能がないと言われたところで、聞かされたことをただ復唱する以外に何ができる。
「まさか危ない宗教じゃあるまいな。そんな話は信じられない」
 呆れて言うと、忍者はあっさりと答えた。
「なれども戦災孤児の親代わりをなさる貴殿なればこそ、この計画の詳細を知れば、きっと御賛同頂けることと存ずる」

 寸時、息が止まった。
 きり丸のことを知られている!

 一瞬の動揺を突き、一足飛びに忍者が間合いを詰めた。右上段から左足元へ袈裟懸けに打ち下ろす斬撃を、土井は体を捌いてかわし、続けざまに左から右へ膝下を切り払うように薙いだのを峰で打ち払う。
 逆に肩めがけて白刃を閃かせると、忍者は素早く刃を返してそれを弾いた。
『ギン!』
 金属同士がぶつかる甲高い音と共に火花が散って、忍者の瞳がちかりと煌く。
「!」
 土井は咄嗟に腕で顔をかばった。ごりごりと鎬(しのぎ)を削りながらつと覆面を下げた忍者の口から、目に向けて針が吹きつけられたのだ。
「含み針かっ」
 袖を打ち払うと、そこに刺さった短い針がばらりと落ちる。舌打ちして素早く視線を上げ、瞠目した。
 さっきまで眼前にいた忍者がいない。

「戦っている最中に目を離すとは、迂闊」

 ハッと振り返りかけたその時、背後から首に腕が巻きついた。同時に膝裏を蹴り飛ばされ、堪えられずに体勢を崩すと、背中にピタリと張り付き腕できつく首を締め上げて来る。
 必死に顎を引き、両手を首に回った腕にかけた。
 下手に暴れるのは逆効果だ。しかしこの調子で頚動脈を絞められたら、すぐに意識が飛んでしまう。
「大人しく膝下に跪くか」
 抑揚のない口調で忍者が言う。
「誰が……」
「我が手を取り指に口付けるとおっしゃるならば、城中にての御身の安全は保証する。飽くまで抵抗なさるなら、動けぬ程度に仕置き致し押籠めとさせて頂く」
「なに!?」
 出城に近づくな、ここから立ち去れ――ではないのか。
 初めから自分を標的にして捕らえるつもりだったと言うのか。
「冗談じゃ……ないっ」
 歯噛みして、地面についた膝を支点に、力任せに体を前へ回転させた。不意打ちに背負い落としをかけられた忍者は、腕が塞がって受身も取れず、固い岩盤に背中から叩きつけられる。
 声なき声を上げ、僅かに腕が緩む。
 忍者を背に敷いた格好で、土井は少しだけ自由になった頭を、思い切り後ろへ振った。
「ぐっ」
 鼻柱を痛打された忍者が呻き、土井は首にかかる腕を跳ね除け素早く横へ転がった。
 一歩ほどの距離を空けて片膝立ちに身を起こす。そして小さく肩で息をしながら、身を縮めて倒れたままの忍者を見た。
 鼻は人間の急所のひとつだ。命に別状はないが、打たれればあまりの痛さにしばらく戦闘不能に陥る。背負い落としと合わせて打撃は大きいはずだ。
「言え。わたしを捕らえて、何をするつもりだ」
 忍者の胸倉を掴み引きずり起こすと、土井は声を強めて詰問した。
 いつの間にか風向きが変わり、正面から吹く潮風がさわさわと髪を揺らしていく。
 その風に紛れるほどの声で忍者が何事かを呟いた。だが、うまく呼吸ができないのか、覆面の下で細い声がくぐもるばかりだ。
「――まさか、鼻が折れたのか?」
 その問いには否も応もなく、忍者はただひゅうひゅうと吐息のような声を漏らす。そして軽く右腕を突っ張り、何か訴えたそうに弱々しく左手を持ち上げる。
 つい気を引かれ、土井は顔を寄せて声を聞き取ろうとした。
 が。
 瞬間、忍者が短く声を上げ、くたりと土井に寄りかかった。
 反射的に抱き止めたその体は完全に脱力している。
 何が起こったのか即座には理解できず、土井は忍者を抱え込み、周囲へさっと目を巡らせた。そうしながらふと触れた忍者の首と後頭部の境目に、細い棒のようなものが突き立っているのに気付く。
「棒手裏剣?」
 呟いたその時、茂みの樹上から人影が降り立った。
 細身の体を包む臙脂の忍装束に、同色の丸いサングラス――

「夜歩きかい、お嬢さん」
「お前、」

 風鬼だった。


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