「雁の翼に(四)」


 いわく、自分はある城に仕える武士である。主から密書伝令役を仰せつかり、町人に変装して出発したが、相手先へ向かう途中でこの山に入り程なくして山賊に出会ってしまった。手傷を負い、どうにも動けず藪の中に潜んでいたところこの一行が通りがかった、という。
 至極真面目な口ぶりだが、その顔は白粉と頬紅と黛(まゆずみ)で大層おめでたい感じに化粧されている。
 変装なのか仮装なのか判断しかねて、土井は首を傾げた。
「この山に山賊がいるとは初耳ですが……」
「開業したばかりなのだそうだ」
「その山賊に脚を?」
「失礼な。この私が初心者の山賊などに」
 無益な争いを避けようと踵を返すと、身の程知らずな山賊が追いかけて来たので止む無く逃げ出したが、その足で崖から落ち突き出ていた枝が刺さったのだと、男はとうとうとまくしたてた。
「カッコわりー。戦って怪我した方がまだカッコつくよ」
「武士たるもの、山賊ごときと刀を交えるなど」
「おじさん本当は弱いんじゃなーい」
 きり丸の呟きに男が胸を張って言いかけたところで兵太夫が素早く割り込むと、男はそっくり返った姿勢のまま石仏のように固まった。
「兵太夫、核突いちゃったな」
 金吾が言うと兵太夫はニッと人の悪い笑みを浮かべ、喜三太も両手で口を押さえてこっそり笑う。三人とも武士の子だから、武士と名乗る人間の力量を見定める目はあるのだ。
「よしなさい。可哀想だから」
「……傷つくなぁ、それ……」
 土井が三人をたしなめると男は悲しそうに呟いた。が、どこぞの縁起物もかくやの賑やかな顔だから、あまり哀れは誘わない。
 男は意外とすぐに立ち直り、ごそごそと懐から錆色の経筒を取り出す。
「これを、この先の海沿いの崖上にある、とある出城へ届けてほしいのだ」
「どこの城の出城です? それに、あなたと、あなたの主の名はなんとおっしゃるんですか」
「出城は我々のものだが、名は言えぬ。なにしろ隠密行動なのだ」
 隠密、の部分だけやけに強調する。土井は顔をしかめながら尋ねた。
「それならなぜ、最初から忍者を使わなかったんです」
「理屈っぽいなあ。我が城には忍者がいないのだ。それに主がフリーの忍者を雇うのを嫌がったのでな。サッと行ってパッと渡して来てくれれば、それで構わん」
 簡単に言ってくれる。土井はますます眉の間を狭める。
 城に忍者がいないのは、まあ珍しい話ではない。利吉のような、あちこちで仕事を請け負うフリー忍者から情報が漏れるのを恐れるのも、頷けないではない。しかし、お使いをさせるならばもうちょっと気の利いた人物がいそうなものだ。
 この城の力量も知れたもんだな、などと考えていると、子供たちがやいやいと騒ぎ出した。
「まだ引き受けるって言ってないですよ。僕たち訓練中なんです」
「そんなに簡単に密書を出しちゃって、もし僕らが敵方の人間だったらどうするんです?」
「この辺りは兵庫水軍がいるのに、よく海の近くに出城を造れましたね」
「タダでお使いしろって言うんですか」
「ナメクジは好きですか?」
「おじさんの髷、おじさんなのにツヤサラですね」
「どこの誰だか名乗らないなんて怪しいじゃないですか」
「口の達者なガキどもだなー! どんな教育してるんだ?」
 男は半分ムッとし、半分感心したように土井を見る。それをジロリと睨み返した。
「そう間違ったことは言っていないでしょう」
「……ええと、改めてお頼み申し上げたい。誠に申し訳ないが、拙者と主の名はどうか勘弁して頂けまいか。門番の兵にでも預けてくれれば良いのだ。そう、これを――」
 急速に萎縮した男はごそごそと袂を探り、小さな玉を連ねた数珠のようなものを取り出した。普通の数珠玉と違ってひとつひとつの玉が青や赤に透き通り、キラキラ光っている。
「わぁ、瑠璃の玉だ」
「左様。南蛮渡来の逸品だぞ」
 しんべヱが声を上げると、男は鷹揚に頷いて瑠璃玉を掲げた。
「これをお礼に差し上げよう。町で売れば、それなりになるだろう」
「先生!」
 瑠璃玉に劣らず目を輝かせてきり丸が振り返る。土井は深く長いため息を吐き、藪の向こうで様子を窺っている山田に合図を送った。


「気に入らんな」
 子供たちが男をからかって遊んでいるのを横目に、頭をつき合わせ詳細を説明すると、山田は渋い顔で一言言った。
「やはり、そう思われますか」
「胡散臭いし、きな臭い」
「きな臭い?」
「名乗らないというのがまず気に入らんがな。あの男の城は南蛮と交易があるようだが、それならばこの一帯は兵庫水軍の縄張りと承知しているだろう。それでいて出城を構えるとは、なんとも挑戦的だとは思わんか」
「確かに……。水上利権を横取りでもするつもりでしょうかね」
 南蛮貿易は必然的に海路に頼る。この周辺を航行するためには、管轄する兵庫水軍に通行料を支払うのが決まりで、これを無視して強引に突破すれば水軍は船を襲ってでも取り立てる。そして通行回数や扱う品物が多いほど通行料はかさんでゆき、時に財政を圧迫する程にもなる。
 しかし逆に、ひとたび海上交通網を手に入れれば、料金を払わなくて済むばかりか安定した経済基盤を一つ手に入れることにもなるのだ。
「あるいは同盟でも結ぶつもりかもしれんが、締結以前に出城を建てる真似はするまい。既に結んだという話も聞いていないし」
 山田は腕を組み、低く唸った。
 兵庫水軍は生半可な大名では太刀打ちできない戦力を備えている。それだけに、味方にすれば心強い切り札になるだろうが、総大将の兵庫第三協栄丸を中心に独立独歩で自活している集団だ。対等な関係での同盟ならともかく、上がりを掠め取らんとする他家の軍門に降ることに諾とは言うまい。
 その時、男を追いかけ回す輪をさり気なく離れ、庄左ヱ門と団蔵が近づいて来た。
「どうした?」
 ドタバタやっている子供たちと男を横目に山田がそっと声をかける。何か囁き合いながら真剣な顔をしていた二人は、一度顔を見合わせて頷くと、同じようにヒソヒソと言った。
「先生、あのおじさん、ドクタケ関係者ではないでしょうか?」
「ドクタケ?」
 同盟交渉が決裂して以来、自前で水軍の創設準備をする傍ら、ドクタケ城は何かと兵庫水軍にちょっかいを出している。
「兵庫水軍の縄張りの中にこっそり出城を造って、戦を始める機会を待つつもりなんじゃないかなって」
「僕の村が関所で囲まれた時は、ドクタケが名主館を乗っ取っていつの間にか村の勢力圏に入り込んでいました。それとやり口が似ているような気がするんです」
「その可能性もあるか……しかし、わざわざ忍術学園に関わってくるような真似をするかな」
「僕を人質に取って軍船を奪取したこともあります。兵庫水軍に要求を飲ませるために忍術学園を利用するってことも、あると思います」
 口々に言って不安げな表情を見せる。
 確かに、ドクタケ城と兵庫水軍の起こす騒動には忍術学園も毎度巻き込まれている。もしあの男がドクタケの手の者なら、庄左ヱ門の危惧する通りこれは罠に違いないだろうが、今の状況では確かめようもない。
 いずれにせよ、放っておけば遅かれ早かれ面倒な事になりそうだ。
「学園長と兵庫水軍にも、すぐに知らせた方が良さそうですね」
「そうだな……よし、密使代理は引き受けよう。出城を見聞するいい口実だ」
「しかし、万一の場合は危険じゃありませんか?」
「これが罠ならこちらもそれを利用するだけさ。何事もなければそれで良い。念のため、変装して出城へ向かうことにしよう」

 山田を除く三人が横目で互いの顔を見た。
 忍法の極意に曰く、不自然な変装ならしないほうがマシ。

「兵はまず男と決まっておる。相手が女、それも愛想のいい可愛い女の子なら、大抵の男は口も緩むし態度も変わる。ゆえに、番兵から城の様子を聞き出すなら女装が一番だ。ここはひとつ、この――」
「その役はぜひ土井先生にお願いします!」
 間髪入れず、庄左ヱ門と団蔵が声を揃えた。話の腰を折られた山田が鼻白む。
「なんだ。わしがお使いに行くのでは何か問題があるのか」
「いえあの、第三協栄丸さんと学園長の所にも、すぐ連絡した方がいいでしょう?」
「そのためには少なくとも三組いりますけど、僕らみたいな子供が重要な密書を持って行ったら怪しまれますし、出城にぞろぞろ行くのも変だから、」
「先生のどちらかが単独で行かれた方が合理的だと思いますが、」
「土井先生は城攻めの兵法にも詳しいから、」
「もし敵対する相手だった場合、一度実物を見ていた方が、今後の作戦を練るのに有利です」
 見事な掛け合いである。山田は顎を撫でながら不承不承納得し、土井は思わず感心した。

 女装する羽目になると気づいたのはその後だった。


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