「雁の翼に(十六)」


 話の流れからして、「あの御方」がすなわち「上様」で間違いない。
 全国各地に乱立する戦国大名のひとり。と言うことはつまり、捲土重来を期す公家や広域に及ぶ空恐ろしいほどの動員力を持つ寺社ではなく、武家。
 かつ、旧来のやり方に囚われない横紙破り上等の風雲児。
 そこから推し量れば、慣習のしがらみが少ない新興の大名家か、または当主自身が若く怖いもの知らずの年齢なのか。しかし、何がどうでも自分を人より上に置きたがる守将がその下につこうとするくらいだから、戦略や戦術に関してはそこそこの豪腕。「上様」の威を借りれば十ヶ国の侵掠も可能と思わせる程度には。その方略を献策する有能な軍師や参謀、それを確実に実行できる精強な家臣団をも抱えているのか。

 守将が口をきくにつれ、書面の上の漠然とした影に過ぎなかった「上様」は、次第に形を持って立ち上がって来る。
 これだけの条件に当てはまる人物など戦国大名の数多しと言えどもそうはいない。もう少し情報があれば、絞り込むのはそう難しくは無さそうだ。無さそうだけど。

 ハゼを釣るつもりで垂らした糸にマグロがかかったような望外の釣果に、風鬼は少し困った。
 土井を焔硝蔵へ向かわせる間、ただ守将を足留めして時間を稼ごうとした訳ではない。何らかの方法で口を割らせ、若い忍者が口走った「計画」に関わる情報の幾許かは引き出すつもりではいた。
 今のところ守将にとって、風鬼は「里を抜けた手下の忍者を追討に来た、手下と同郷の忍者」に過ぎない、行きずりの曲者だ。それをいきなり膝下に置こうとするばかりか、背後を取られ喉に刃物を突き付けられながら、こうもペラペラ喋るとは予想外だった。思い込みが強く口の軽い自惚れ屋であることを差し引いても相当に図太い。それとも、鈍い――あるいは、焦っているのか。
 手下が(実は討ち取られたのだが)逃亡して唯一の親兵を失い、今夜確保するはずの「計画」の鍵は未だ手元に届かない。不満だらけの現状を打開しようと満を持して始動した「計画」が初っ端から躓けば、焦りも苛つきもするだろう。

 実際のところ、躓くどころか完全にコケてるんだけどな。

 まだ喋り続ける守将の声の合間、外の音に耳を澄ませる。潮騒と微かな風鳴り、遠近(おちこち)で虫の声がするばかりで、火薬が爆ぜる音はまだだ。
 自分の内心を掴みかねて揺れ惑う様子はあった。繰り言のような自問自答を散々に並べ立て、それを自らの意志で振り払い「気に入らない」と感情で否定した土井が、「計画」に耳を貸すことは最早ない。
 一度決めた肚をぐらつかせるほど、あの若い先生はやわじゃない。
 そろそろしんどいんだけど、もう少し時間を稼がなきゃならんか。

「この辺りの土地と海は、兵庫水軍の縄張りだろう」
 守将が繰り出す自慢と軽侮と「上様」を褒めそやす言葉の波状攻撃が一瞬止んだ隙に、何気ないふうに言う。次の一声を発する寸前だったらしい守将はちょっとつっかえた。
「ほっ、ほほう。田舎者が田舎水軍を知っておったか」
「ここに館を持っているなら、もう兵庫水軍と話はついてるんだろ。未経験からの転職ってわけじゃないんだから、小隊のひとつくらい貰ってないのか」
「ここはわし専用の居館だが私邸ではない。山奥の狭い土地をやっとのことで治める弱小領主の出城だ。兵庫水軍にはこれから手を回す」
「『手を回す』? 妙な言い様だな」
「少々、悪行をするのでな」
 言葉とは裏腹に、なぜかやや誇らしげな様子で守将が言う。
「総大将は情に縛られる甘い性格だと調べがついておる。そこを衝く。同盟先からひとり拐かし、其奴を盾に総大将からわしへ水軍の全権を委譲するよう迫るのだ」
「……ふーん」
 予測と実際の歯車がひとつ噛み合う。
 少し動いた歯車は、不快な音を立てた。
「揉めること必至のまどろっこしい交渉はすっ飛ばして、無関係の第三者を人質にして脅迫する、か」
「干戈を交えず対話によって平和裡に決着を付ける、と言うがいい。非常に高度な政治的取引というものだ」
「俺には居直り強盗がケツまくったように聞こえる」
 風鬼が言うと、守将は喉元の苦無を忘れているかのように声を上げて笑った。既に風鬼を自分の手下と見なした調子で言う。
「卑怯非法にかけては透波に勝る者はなかろう。そう、拐かしの相手は透波だからの、程なくうぬが朋輩になろうぞ」
「朋輩ねえ」
 今のを土井が聞いたらさぞかし嫌そうな顔をするだろうな、と風鬼は思った。お嬢さんとか先生と呼びかけた時の比ではない、色々な意味が籠もった「嫌そう」だ。
「抜け忍が大罪なのは知っているんだろう。攫うのがまず難しいのは置いといて、自分を拉致した相手に忍者が大人しく転ぶと思うか」
「宗旨変えするに足る大義名分は用意してやっておる。戦でふた親を取られた餓鬼にかまけ、戦は好かぬと公言する軟弱な透波ゆえ、」
「――このさき千年の間の子供の為に、永代の安泰を築く手助けをしろ、とそそのかす?」
「ふむ。だいぶ分かって来たな」
「……大した悪党だ」
 ぎいっと耳障りに軋んで、二つ目の歯車が合う。
 こいつ、子供と手を繋いだことってあるのかなと、風鬼はふと考えた。ふにふにと柔らかくて小さい手の温みと、無心にすがりつく細い指の意外な力の強さを、こいつは知っているだろうか。
「悪党! 元弘の摂河泉太守と同じ称号か。今の世でそうと囃されるのも一興であるな」
 風鬼に褒めたつもりは微塵もないが、守将の口振りはますます上調子になる。
「その通り、我が名を上げるために手段の浄不浄など今は構ってはおられぬ。いかな謗りも甘んじて受けよう。世評を恐れぬ策謀を用いて功成り名遂げた者を梟雄と呼ぶとき、そこには侮蔑と、それ以上の畏怖があるものだ。手を汚すのを嫌い綺麗な道を歩んでろくろく進めず終わるより、泥をかぶりながら駆け上る急坂こそわしの行く道だ。使えるものはなんでも使う。利用できるものはなんでも利用する。なにを犠牲にするのも厭わぬ。天下を取れば"上様"がすなわち正義。覇道の中の無法千万もまた、その時には英雄的行動の美名を賜るのだ」
「ふーん」
 口角泡を飛ばしていそうな熱弁に声だけで応じつつ、風鬼はやや認識を改める。
 己のしていることは悪事だと自覚し、後ろ指をさされる覚悟は出来ているとうそぶきつつ最後に勝った者が正義になることを理解していて、最終的にそちら側へついている為にはなりふり構わない。悪党と言うより寧ろ、開き直った横着者だ。
 我こそは正義なりと声高に叫び その正義のもとに民を泣かせる輩はいくらでもいる。巻き込まれる方からしたら迷惑この上ないのは変わりないが、自分が何をしてもそれは正義を為すためであると胸を張り、他者にまでその無茶な論理を強要するよりは、ある意味では潔い。理よりも利を以て接すれば話の通じそうな相手ではあるが、しかし――と、つらつら考え続ける風鬼をよそに、守将の口は滑らかに動く。
「それに兵庫水軍とて、何もなければいずれは歴史の波に埋もれ消えるだけのところを、わしが計画に組み込んだがために大舞台へ躍り出るのだ。乗っ取りにあったことで勿論家中に不満は出よう。それを補って余りある華々しい戦績と未来永劫に渡る賞賛と、今この時の充分な褒賞を約束し、それを確実に与えてやれば、簒奪をとやかく言うよりはわしに従う方がよほど賢いと、知恵のある者は気付くはずだ。そうなれば愚か者は自然と淘汰されよう」
 上様に続いて"計画"の言質、頂きました。
 心の中で風鬼は独りごちる。
 遠い未来まで名前を残してやるのだから乗っ取ってもいいだろう、ちょっと死ぬかもしれない目に遭うけど我慢しろ、と言われて、それは嬉しいどうぞどうぞと素直に応じる物分りの良過ぎる人間が、兵庫水軍の中にいるとは思えない。それとも大志を抱く者が今の口上を聞けば、なにか響くものがあるのか。
 ひたすら胡散臭いと思うのは、俺が忍者だからか。

 なんでも利用するし、なにを犠牲にするのも覚悟の上。

「あ」
 さっき守将の言った言葉がふと胸の底へ落ちて来て、風鬼は声を上げた。
「あ、とは何だ」
「……報われねえ、と思った」
 あらゆる犠牲を払ってでも目標に向かって邁進する、という言葉は勇壮で英雄的だ。いっそ爽快感すらある。
 ただしその犠牲の中に含まれるのは大部分が守将以外の人間で、どう転んでも自分はそちら側に入るのだと、風鬼は気が付いた。
 当然、あの若い忍者もだ。
 最終的に生き残っている必要がある守将は、どんな状況でも己の安全だけは保とうとする。実際の戦や謀略の細工の中で真先に命を落とすのは雑兵足軽、忍者などの下っ端だ。自分の周囲に彼らの屍を積み上げて防塁と成し、いつかその上に立って一旒の旗をなびかせ心からの快哉を叫ぶのはただ一人、守将だけだ。

 天下統一が上様の計画ならば、それに便乗して旧主に一泡吹かせ良い目も見ようと、二兎を付け狙うのが守将の"計画"。
 あの若い忍者はそのあたりを混同していた。「おんちの計画」が叶ったところで、それだけで世の中に平和は訪れないし、美味しいところは親父殿が総取りだ。「子が親を慕い親が子を慈しむことが当たり前に出来る世」が訪れたその時、若い忍者が生きている確率は決して高くない。
 そして実際、おそらく"計画"中で最初に落命した。
 が、たとえ計画成就まで生き延びていたとしても、親父殿は可愛い我が子よと慈しんではくれなかっただろう。気紛れに情けをかけた、妙に自分に懐いた子供を――利用できるものを利用したに過ぎないのだから。
 役に立とう、認めてもらおうとどれだけ頑張っても、親父殿の目に映るのは健気な子供ではなく、使い捨ての駒のひとつなのだから。

 殺める覚悟と殺められる覚悟は、若い忍者にもあった筈だ。まっすぐ往生してくれよと思う以外に、手に掛けたことには格別の感慨はない。
 しかし、無垢の思慕を裏切られ躙(にじ)られるのは、無惨だ。

「報われねえな」
 砂を噛むように、風鬼はもう一度呟いた。




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