「雁の翼に(十五)」


 その言葉に、守将が反応した。
「なんと。あれの知己か。さては、同じ里の透波か? 出奔のことを透波は抜け忍とか言うと申したか、それが大罪になるとは聞いていたが、あれの始末をつけに参ったのだな。なんとなんと、透波とは執念深いものだ」
 抜け忍。と言うことは、あの若い忍者を無断で里から引き抜いたのか。
 風鬼は否とも応とも言わず、振り返るような素振りをした守将の首へ押し当てた苦無をわずかに動かした。
 そのまま横へ引けば喉の真ん中がぱっくりと開く。が、さっき忍者を悪辣卑怯と罵ったのと同じ口が続けて発したのは、どこか浮ついた声だった。
「討手を務めるくらいなら少しは腕が立つのだろう? 悪いようにはせぬ。追討は止しにしてここへ留まり、わしの下で働け」
「この状況で勧誘?」
「そうではない。あれの代わりになってわしに仕えよと命じておるのだ。身の軽い使い走りは、使い様によっては便利ではあるからな」
 さも当然のような口振りだが、その内容は失礼な上に図々しい。
 それほどまでに人手がなくて本気で言っているのか、あるいは単に急場をしのぐ方便かと訝り、風鬼は慎重に口を開く。
「何の権限があって俺に命令する。払った金の分だけ里の忍者を引き抜き放題なんて契約でもしたのか」
 そうであってもドクタケ忍者の俺が従う義理はないけど、と続く言葉は口の中で溶かす。
「そんなものはない」
 鷹揚に守将が言ったので、風鬼はちょっと絶句した。分厚い面の皮の中に団栗くらいのしゃれこうべが埋まっている図がぽんと頭に浮かぶ。
「が、それくらい、どうと言う事もなかろう。決まった主君を頂かず、依頼に応じて透波を派遣したり売ったりするのがうぬの里の商売と聞いておる。あれの養育料だの寄進だのを事々にねだられて、わしはこれまで里へ大金を払って来た。即ちわしは透波の里の金主であるのだぞ。要る時にはいつでも呼びつける権利があり、うぬらは何をおいても駆けつける義務があろう。現にあれは、我が元へ馳せ参じよと命じたら、すぐに来た」
「売り物を只取りするって了見は感心できんな」
「もともと透波には忠誠心というものが無いのだろう。己のみを恃む"ひとりの人間"が寄り集まった組織を抜けることに、何の痛痒があるというのだ」
「金でやり取りするものだと知っているなら、買うか雇うかしろよ」
「ふん。無駄な費えに使う金などないわ」
「なら、緋羅紗や掛け軸に弓鉄砲を持たせればいい」
 いかにも興味が無さそうに鼻先でさらさらと答える風鬼に業を煮やしたのか、前を向いたまま守将は声を強くした。
「透波の棟梁からこのわしへ仰ぐ相手を変更するだけだ。七度主を替えてこそ一人前、と言うではないか。御家退転など珍しくもなかろう」
「武士はそうだろうよ。武士はな」
 もしも変心したら、学園は「学園」という体制を守るために自分を始末すると土井は言った。
 呑気で気楽な集団に見られがちなドクタケ忍者隊でもそれは同じだ。いかなる理由があれ、忍者隊に――ひいてはドクタケ城に背けば、いつかどこかで同僚に討ち果たされる。忍者隊が内側から崩れるのを防ぐため、また厳しい掟を守っていることを城主はじめ城の武士たちに見せつけ、やはり忍者は信用ならぬという悪評を防ぎ、忍者隊の取り潰しを免れるために。
 城主・木野小次郎竹高のもと、戦好きの悪い城と呼ばれながら、ドクタケ城はそこそこ一枚岩にまとまっている。中でも忍者隊首領の八方斎は、竹高とは悪友のように仲が良く、そして案外頼りにされていることは城中の誰もが知っている。
 その城中においても、武士と忍者の身分差や意識の違いは無さそうに見えて厳然と存在する。
 忍者隊に所属する忍者たちは、元々が出自もドクタケ城へ来た動機もバラバラな有象無象だ。城仕えの身である自覚を持たせ一部隊として結束させるべく定められた規律は意外と厳しい。それに、一緒に「悪いこと」をした者同士の間にいつしか生まれる、綺麗な言葉に収められない連帯感は、外から見るよりずっと強い。お前たち仲が良いのはいいんだけどなあ、と八方斎が嘆くことしきりな働きぶりのせいで、生え抜きのドクタケ城所属忍者を養成するべくドクタケ忍術教室ができたのだが、それはともかく。
 騙し、盗み、奪い、壊し、侵し、殺し、潜入先や戦場でおよそ人が思いつくあらゆる汚れ仕事に頭の天辺まで浸かりながら、それでも忍者隊を裏切ることだけは、決して許されない最大の禁忌なのだ。

 十数年も忍者の里にいたという若い忍者が、抜け忍になることの意味を知らなかった筈はない。それでも里を出た。
 「父親」に呼ばれたから。「父親」が、自分を必要としてくれたから。
 
 武士と忍者の理屈の違いを今更親切に説明してやる必要を感じず、風鬼が口をつぐむと、沈黙を逡巡と受け取ったのか、守将は熱心に言葉を重ねた。
「考えてもみよ。かくの如き乱世に男子と生まれた以上、少しでも高きを目指しそこへ昇り詰めんとするのが誰しもの本懐。光の当たらぬ場所をこそこそと這いずり回った挙句に死ぬるばかりの命が、わしの麾下におればこそ、たちまち人々に持て囃され、卑賤の身ながら歴史に名を残す事ができるのだぞ。源平武者はおろか、神代の頃の武人と並んで、百年も千年も後の世まで語り継がれるのだ。十分に身命を賭す価値のある栄誉であろうが」
「要らねぇ」
 思わず風鬼は呻いた。
 忍者の世界で名が売れるのはいい。山田利吉のように「まさかあいつが来ているのか」と囁かれる程になれば任務がやりやすくなるし、同業者からの紹介や推薦で良い仕事が回って来る機会も増えるし、それにちょっぴり誇らしい。だがしかし、街道や町中で見知らぬ人に「あっ、あの人が噂の」と指さされるような事態になっては、忍びの者として商売上がったりだ。
 素早い拒絶を後込みと見たらしい守将は、見下しつつ自慢しつつ励ますという曲芸をやってのけた。
「ふん、満足な働きをする自信がないのか。だが案ずるな、海戦にこの人ありと言われたわしの経験と智謀は、天下の覇道において必ずや重要な役を果たすことになる。そのわしの直属におれば、いくら気働きがなかろうと大した戦力でなかろうと、嫌でも名を上げることになろうぞ。持てる力の限り、精々励むがよい」
「コノヒトアリってどんな蟻?」
「蟻? 何かの符丁か」
 口をついた言葉遊びを真っ当に聞き返された不粋に、風鬼が黙る。この状況をあとどれくらい続ければいいんだろうと考え、げんなりして、話を変えた。
「来年どころか千年先の話なんて鬼が笑い死にするぜ。その頃のこの日ノ本の国は今と同じ形ではあるまい。もうずっと天下は乱れっ放しで、その間に外からは腹に一物ありそうな異国の連中がぞろぞろ来てるんだ――それとも、人望も舟もないあんたが、必中の策を以て乱世にけりを付けてくれるのか」
「下々の浅知恵で賢しらに物を申すでないぞ。わしは己の力量も知らず大言壮語する井の中の蛙ではない。わしが船団の指揮を執れば十ヶ国程度は容易く切り取れようが、それの経営ならまだしも、天下をあまねく統べる器量はないことくらい自覚しておる」
 いや、大言壮語してるしてる。
 無念を滲ませて言う守将に心の中で突っ込みながら、三ヶ国以上を治めている国持ち大名なんていくつあったっけ、と風鬼は頭の中に地図を思い浮かべる。想像の地図上に引かれた縄張りの線は、その間にもぐねぐねと動いている。
「もしも仮に、億が一にも十ヶ国を分捕ったら、どうやって土地の支配権の正当を主張するんだ。その時点じゃただの侵掠者に過ぎない。それだけ目立つことをすれば、他の勢力に侵掠され返しもするだろう。ここは俺のものだと周囲を威嚇しながら喚き続けて、既成事実化を待つのか」
「そんな暇のかかることはせぬ。所領安堵の形で公許を得るに決まっておろうが」
「その"公"が朝廷か幕府か、他の誰かなのかあやふやだから、今の有様な訳だろう」
「早耳が透波の取り柄であろうに、知らぬのか。なら教えてやろう。乱世の終焉をもたらし、従来の権力機構とは違う新機軸を打ち出す器量人が、とうとう現れたのだ」

 風鬼はもう一度黙った。
 軽く放った針に、何かが盛大に引っ掛かった。

「あの御方こそ、近い将来きっと天下を手中に収めることになる。崩れ切ったこの国の礎を強固に組み直し、千年先と言わず、永代に安泰を約して下さるのだ」
「……海老・鯛に甘鯛を焼くしテナガザルの田」
 つらつら並ぶ現実味のない言葉にむず痒くなって混ぜ返してみたが、守将はそれに構わず、まるで我が事のように自慢気に続ける。
「おそらくは今、この日ノ本中で最も勢いのある戦国大名であるとわしは見ている。戦においても政でも旧習を重んじつつも拘泥せず先進的なお考えを持ち、果断実行かつ熟慮断行、既存の概念の上に新たな理を打ち立てる、この国のここからの歴史を作るべく登場した御方だ。人を使うにも、身分より実用的な知恵のあるなし、働きぶりを重んじて登用する実力主義体制。わしの居場所はあの御方の下にこそある。そこでならわしは何の憂いもなく、持てる実力を余すところなく発揮できるのだ」
「国人大名風情に臣従するのは嫌だと旧主のもとを出奔したのに、新たな神輿を望んで求めるとは滑稽だな」
「舐めた口をきくな、下郎。反りの合わぬ大将をいつ見限るか、その時機を見定めるも能力のうちよ。見る目のない上つ方に才能を理解されず、凡愚の中に埋没させられる悔しさ、透波ごときに分かりはすまい。時流を読めぬ凡将にいずれわしの手で引導を渡してやるのが、せめてもの情けだ」
 ごとき、と来たか。
「つまり、その御方とやらの家中へ潜り込みたいがために、元々仲が悪かった旧主の方針にわざとあやを付けて出奔したって事か」
「その通りだ」
 風鬼が入れた茶々を、守将は意外にもあっさり認めた。
「ただ暇乞いをするよりも、そうしたほうが反骨の士という箔がつく。旧主の感状も持たぬわしが己の才覚を証す手段は、陪臣でもなんでもとにかく御家中へ連なり、"上様"のお目に留まることだ。わしの戦場は陸の上にあらず海の上にあり、なれど今は舟のひとつもない。小規模なりと自由に差配できる水軍さえ持てば、わしはきっと目覚ましい活躍をする。その能力も意欲もあるのに、それを示す手段だけが、今はまだ無いのだ」
「ああ、そうですか」
 実力能力才能才覚と続けざまに飛び出した同義語に辟易して、風鬼は間延びした声で気のない相槌を打った。

 守将の領国経営の手腕は不明だが、それでも海戦についてはあながち大法螺を吹いている訳でもない。事前に掴んでいた情報の中に、出奔した水軍武将は過去に派手な戦功をいくつか上げている人物だという話は、確かにある。
 それだけにドクタケ城では、その浪人はすぐに他家から声を掛けられてどこかの家中に収まるだろうと見ていたが、実際には水軍と縁のない山中の小領主の元に、客分扱いでひっそりと身を寄せている。おそらく当人にとってもそれは予想外だっただろうが、――この性格じゃあな。
 ともあれ、だから出世の緒とするために何が何でも兵庫水軍が欲しい、と言う訳だ。実に単純で手前勝手な話だ。

 そして守将は今、「上様」と口にした。

「ところで、テナガザルとは何のことだ」
「話題をひとつに絞れよ」




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