「雁の翼に(十四)」
「透波だな」
その自覚があるのか、ヘタレ呼ばわりされた割には落ち着いた声で守将が言った。
「透波は戦闘が主な仕事ではないというのは、嘘か」
「さぁね。時と場合と適性によるんだろ」
守将は風鬼よりも背が低かった。左手の刀を腰の後ろの鞘に戻し、強(こわ)そうな短い髪が生えた後頭部を見下ろしつつ、風鬼はそらとぼけて答える。忍者を使っていたのなら、それくらい知らない訳がない。
ひとまず確保だ。が――さて、こいつをどうしたもんか。
事と次第によっては調査中の出城をぶち壊して構わんと八方斎から許可されて、その準備と手筈は整えてきたものの、首謀者を捕らえたらどうするかはそう言えば特に決めていなかった。簀巻きにして兵庫水軍の水軍館へ放り込めば面白いことになりそうだ。が、うかつに兵庫水軍に近付いたら、俺の身が危ない。じゃあ忍術学園に? それもあまり有難くない。あそこの忍たまどもはどうも苦手だ。家出人を見つけましたよと元の水軍に返す? わざわざ伊予まで行って受取拒否されたら目も当てられない。ドクタケ城に連れて帰る? 水軍の知識や他家の情報は捨て難いが、達魔鬼と俺が確実に喧嘩になって後がめんどい。
考えながら、辺りを見回す。
床の間には奇天烈な形の高そうな茶釜。もっとも、さっき自分が台無しにしたが。その後ろには立派な表装を施した掛け軸。描かれた絵は一枚の葦の葉をくわえる二羽の雁。真新しい畳は青々として日に焼けた痕もなく、中廊下と書院を隔てる襖には、季節物の紅葉の透かしが施してある。ふんだんに灯した贅沢品の蝋燭はサングラスをかけた目にすら眩しい。
ものの良し悪しは知らないが、趣味に金を惜しまない性質ではあるようだ。
一応の主である小領主は決して裕福ではない。ではこれらの調度品を贖い、急拵えながらに瀟洒な出城を造営した資金はどこから出ている。もともと本人が金持ちで、出奔する時にも大金を持って出たのか、それとも繋ぎをつけた「上様」の関係者の提供か。玩物に金をかけて憚らないのは「上様」も同じ趣味だから、とか?
「……さては、謀られたか」
守将が呻いた。この状況とは関係なさそうな言葉だなと思った風鬼へ急に矛先が向く。
「うぬらが如き透波なるものは所詮、人を騙し欺くのを恥とも思わぬ悪辣卑怯の輩、盗人と大差ない卑しい者どもだという事がよく分かった。せいぜい利用してやるくらいの使い途はあるかと思えば、それすら在らなんだか」
「俺に言われてもな」
「養育料だなんだと十何年の間に大金を払ってきたと言うのに、いつかの為に存分に鍛えておくなどと事々に言っておきながら、調練に手を抜きおった挙句にこのざまか。ええい、腹が煮えてならぬ。これなら同じ金で犬でも鍛えたほうが余程役に立ったわ」
「俺に言われてもな」
誰に向けたものだか知らないが、人の悪口は聞いていて気分のいいものではない。透波なるものは、と括られたからには、その悪口の何割かは自分にも向けられている訳で、ますます気分のいいものではない。
でも勝手に喋らせておけば時間稼ぎにはなるから、ま、いいか。
表からは爆発音も衝撃波も、まだ来ない。
焔硝蔵に収められているものを爆破するのは、正直言って相当もったいない。しかし持って帰るにはあまりに手間を食うから、ドクタケ城以外の誰かが目をつける前に爆破して、徹底的に壊してしまうしかない。何があっても他の大名や勢力の手に渡す訳にはいかない。
どんな手段を使っても常に相手を出し抜き、優位に立っていなければ、いずれ潰されるかもしれない恐怖に寝ても覚めても怯え続けなければならないのが今の世だ。それが杞憂かどうかなど、事が起きてみなければ分からないし、起きてからではもう遅い。そんな例はごまんと見た。
出し抜くべき相手とは自分以外の全てだ。敵も味方も、味方のような顔をしている敵もその逆も、どっち付かずの日和見も、全てだ。駆け引き、計略、頭脳戦、最終的には力押し、それを面白がる図太さと諦念を身に付ければそれほど生き難い世の中ではないが、優しい人間には辛いだろうと、優しくない風鬼は考える。
さて、お嬢さんは焔硝蔵の中を見てどうしたかな。
「おい、透波」
「へぁ?」
聞き流す姿勢になっていたところを居丈高に呼ばれて、風鬼は半端な声を出した。喉に刃物が押し当てられているのを忘れてんじゃないか、こいつ。
「さっき適性とは言ったが、修行のやり方次第では、戦闘に特に長じた透波を作ることは出来るのだろう」
「まあ、育て方次第で出来るとは思うが、それが本分なのはあんたら武家だろう」
このおっさんアホなのかな。
呆れ半分に心の中で呟く。戦闘だけ出来ればいいのなら忍者である必要がないし、それを使う立場にいたくせに、雑兵足軽や武士の存在意義が吹っ飛ぶような事を平気で言うとは。
「それともあれか、あんたも忍術に夢を見過ぎてるクチか。基本的に裏方だから実態は地味も地味、地味地味だぜ」
「地味だろうと派手だろうと、やれ隠れ里だ、門外不出の秘術だと勿体つけるからには、それなりのものがあって当然だろうが」
「一の太刀(ひとつのたち)みたいな凄いのを期待されても困る。印を結んでドロンとか、大蝦蟇を呼び出すとかの奥義はないぞ」
「左様な曲芸じみた技は要らぬ。わしに使われるからには戦う技こそが重要であると知っていたくせに、何故そこを特に鍛えることをしなかったのと言うておる。戦うのは我の本来の仕事ではありませぬなどとしゃあしゃあと吐かし、兵どもを陰から監視するくらいしか能がない、使い走りすらまともにこなせぬ端下者に、うかと期待なぞ寄せてしもうたのが口惜しい」
「三回目だけど、俺に言われてもな。強くて気が利く武士の部下を元の家中から連れて来りゃ済む話だろうさ」
「……」
誰もついて来てくれなかったらしい。ご愁傷様。
それはそれとして、どうもあの若い忍者とそれを育てた師匠だかの文句を言っているようだ、と風鬼は見当をつけた。
身ひとつで出奔したために手駒もなく、従っているのは隠れ里とやらから連れ出して来た、おそらく若い忍者ただひとり。しかし今までに忍者を使ったことがなく、下っ端の武士に対するようなつもりでいるのか役目の与え方を間違っていて、更に質の悪いことに守将当人はそれを分かっていない。土井が未だ出城へ引き立てられて来ず、それどころか自分がいま見知らぬ忍者に刃を向けられているのは、若い忍者が裏切ったからとでも思っているようだ。
取り逃がしたとか返り討ちにあったと考えないのは、それなりに信用はしているからか、はたまた計画失敗を夢想だにしない傲慢ゆえか。
若い忍者を斃したのは自分だ。濡れ衣を死装束にされるのをただ聞いているのに、若干良心の呵責がないでもない。土井と渡り合うのを見た限りではそこそこ腕は立ったし、口にした言葉から推して、主には忠実な様子だった。こうまで悪しざまに言われるようなことは――待てよ、主?
「もしかして、今のはあんたの子の話か」
南蛮人にも見えた若い忍者と守将は全く似ていないが、「十何年間も大金を」云々ということは、あの忍者が赤ん坊かほんの幼子の頃からと言うことだ。頑是無い我が子を扱いかねて放り出した男やもめの図に、この無情な男を当てはめるのは難しくない。
が、守将は猛然と否定した。
「馬鹿を抜かすな。あれはどこぞの女が産み捨てにした、唯のみなしごだ。たまさか港で拾ったばかりに、図に乗って付きまとうて煩わしいゆえ、伝手のあった透波の集落へ行かせたのだ」
「女ねぇ。港につきものの遊び女か、それとも歩き巫女か? どちらにしても、かたつむりじゃあるまい」
言外の意を察して、守将は鼻白んだ。
「断じて、ただ拾っただけの餓鬼だ。苗字も名もくれてやってはいない。妙に懐かれていたく迷惑をした」
「拾ったからには責任持ってきっちり面倒見ろよ。子供だって拾った犬や掬った亀の世話はちゃんとするぜ、最初は」
「そのままなら野垂れ死ぬところを、透波の集落へやり技を習う金を出してやっただけで、十分に十分だろう。ちやほやしてやる義理などないわ。里を出てわしに従う身となった以上は尚更よ。どんな使われ方をしようと、どんな目に遭おうと、わしに背くなど到底許されん」
見るとはなしに掛け軸を見ていた風鬼は、その言葉に、鼻先でうごめく破戒坊主じみた頭へ目を戻した。おんちの計画が、と言った若い忍者の表情がそこに重なる。
もう一度、掛け軸を見た。
髷のない頭を見た。
そして、察した。
「それでもあの若いのは、貴様を父親と慕っていた」
おんちとは、音痴でも隠地でもない。御父だ。
ちちうえさま、だ。
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