「雁の翼に(十)」


 少し考えて、土井はすっと片手を上げた。指をひとつずつ折りながら答える。
「守将の正体を確かめ、城内に潜入して書状の類を見つけ出し、出城の目的を探る」
 風鬼はふうんと気の抜けた声を出した。
「型通りの回答をありがとうよ」
「そっちはどうなんだ」
「右に同じ、だ。まさか、あんたが"目的"の一端に連なってるとはねぇ」
「迷惑千万だ」
「戦災孤児の親代わりだからこそ、『おんちの計画』に賛成するだろうって言ってたな。音痴だか隠地だか知らんが。孤児って、きり丸と言ったっけ、あんたのとこの小銭にうるさいチビのことか」
「親代わりと言うほどのことはしていないが」
 長期休暇の間は自宅で寝起きさせ、厄介ごとに首を突っ込むたび後ろ襟を掴んで引き戻すくらいで、それだけなら金吾を預かる戸部も条件は同じだ。ただ金吾には離れて暮らす家族が相模にあり、きり丸は故郷の村もふた親も亡くして天涯孤独だということだけが違う。本人も周囲もそのことを隠してはいないから、ドクタケ忍者の風鬼が知っていてもおかしくはない。今の世にそんな境遇の子供はいくらでもいる。

 ――戦のせいで。

 瞬間ふっと思いの内に沈んだ土井は、どこか興味深げに自分を見詰める風鬼の視線を感じて僅かに狼狽した。それを知ってか知らずか、風鬼ははぐらかすようにちょっと背後の土蔵を振り返ると、その白壁をポンと軽く叩いた。
「ちらっと覗いたが、この中、結構な見ものがあるぜ」
 そう言いながらちっとも面白くなさそうな風鬼の視線に釣られ、土井は白々とそびえる土蔵を見上げる。二層になった瓦屋根の、上方の屋根近くに、桟をはめた明かり取りの小窓が見える。
「焔硝蔵なら、火薬があるんだろう――」
 暗闇では嗅覚が鋭敏になる。言いかけた途端に土埃と潮風のにおいが混ざって鼻を衝き、思わずくしゃみが出そうになって、土井は慌てて手のひらで押さえた。
「なんだ。虫でもいたか」
「いや、においが」
 土井が言うと、風鬼は辺りの空気を嗅ぎ、
「なるほど。酒と白粉の匂いがする」
「ええ? そんな、」
「嘘だよ」
 蹴ってやろうかと土井が上げかけた足を押さえつけながら、風鬼は唇の前に人差し指を立てる。
「本丸を見ろ。そっとだ」
 その指で土嚢越しに向こうを差す。板張りの回廊を踏む足音が、微かに聞こえてくる。
 土嚢の陰からこっそり目を凝らしていると、やがて篝火のゆらゆらした明かりの中へ人影が現れた。

『――その家中にいた武将が、切り取った髻(もとどり)だけを残して姿を消した』

 咄嗟に、頭を見た。
 還俗したばかりの僧のような短い髪。髷はない。中背だが頑丈そうな体躯に白い寝間着をまとい、風変わりな立ち襟の付いた、毒々しいほどに赤い陣羽織を引っ掛けている。
「猩々緋(しょうじょうひ)か」
 風鬼が呟いた。妖怪の一種・猩々の血で染めたと言われる、輸入物の羅紗綿だ。
「八方斎さまが欲しがってたな。ああいうド派手で悪趣味なやつ」
「上司に向かって悪趣味ってお前、……結構似合いそうなのが怖いな。と言うか、ドクタケ忍者隊はあれが買える給料なのか」
「ローンを組めばねー。近頃よく見るけど、誰が着ても悪役っぽくなるよな、あれ」
 それで陣羽織を仕立てるのが武将の間で流行っているが、ただでさえ高価な輸入毛織物の中でも緋羅紗は特に値が張る。それを手にできるのは貿易商や南蛮人と繋がりを持ち、かつ財力と地位を併せ持つ一部の人間だけで、緋羅紗の陣羽織を持つことは「そういう人物だ」と世に示す示威行為でもあるのだ。八方斎の場合は単に、真に、本当に、派手好みなだけなのだろうけど。
 軽口を交わしながら注視は続けている。
 ゆっくりと回廊の中程まで来て立ち止まった人影が、片手に捧げ持った蝋燭を目の高さへ掲げる。その拍子に、立ち襟に隠れていた顔がちらりと見えた。

 第三協栄丸?

 いや、違う。似ても似つかない壮年の男だ。毛先が開いた太筆で描き殴ったような大雑把な目鼻立ちに、対照的にひょろりと貧相な泥鰌髭を生やしている。築山や丹精した植木もない、松の木があちこち適当に生えているだけのを庭を、何かを――誰かを?――探すようにきょときょと見回している姿は、巣穴から首を伸ばして目玉だけを忙しくうごめかす臆病な生き物を思わせる。
 大らかで剛毅な気性の第三協栄丸を、そんな印象を受ける目の前の男と咄嗟に重ねた不可解に、土井は首を捻った。
 ふと見ると、何故か風鬼も奇妙な表情を浮かべている。
「水軍崩れの武将の守将ってのは、あれだな」
 その顔のまま、唐突に確信ありげな口振りで断定する。
「顔を知っているのか」
「知らん。知らんが、あいつを見たらうちのキャプテンを思い出した」
「似ていないのに?」
 顔付きのアクの強さなら目の前の男に負けていないが、造作自体は全く違うし、満ち溢れた自信が言動の端々から零れるような達魔鬼は、やはり臆病さには程遠い性質に思える。そう見せかけて実は、人前に出ない時は日がな暗くて狭い納戸に引き篭っているのだ、とか? まさか。
 暗闇でサングラスは目が疲れるのか、レンズの下に指を入れて瞼を揉みながら風鬼が説明する。
「顔も印象も違い過ぎるが、雰囲気がどっか似てるんだよ。それが"人の上に立つ地位にいる海の男"に共通するものだと言うならば、得心が行く」
「……なるほど」
 回廊の男をもう一度窺う。遠いのと暗いのとを差し引いても、やはり第三協栄丸に似た顔には見えない。それなのに見間違えそうになったのは、第三協栄丸も持っている「海の男」の独特な雰囲気を感じ取ったせいか。
 そう納得したつもりになったが、見覚えのある風景を割れた鏡に映して見るような、何かがずれた既視感はまだ土井の中に残っている。何なんだ、これは。
「根拠はもうひとつある。あの陣羽織の後ろ」
 ゆらりと動いてこちらに背を向けた、篝火の炎よりも赤い緋色を風鬼が顎で指す。
「あの男の家紋か? この辺りでは見ない図柄だが」
「伊予三島の水軍では、総大将が、背中に家紋を染め付けた緋羅紗の陣羽織を着ていると聞いた」
 諸国に名を馳せる名門水軍の、その筆頭の象徴たる陣羽織だということだ。
 臣下である限り決して身に着けられない衣装への憧憬と、へし折られて屈折した矜持とを練り合わせて創り上げた筋書きの手始めに、自分を逐った旧主を模倣した身形をつくる。子供じみた意趣返しだが、ありそうな事ではある。即ち「俺の方が似合うもんね!」だ。
 回廊の端に立った男――守将は、まだ庭先をあちこちと眺め渡している。それから目を離さないまま風鬼が言う。
「あの若いのがあんたを連れて帰るのを待ちかねて出て来たってところかな」
「だろうな」
「南無南無。あめん、の方がいいのかね」
 待ち人を骸に変えた風鬼が、他人事のように手を合わせる。
「知るか。しかし、様子を見に来たのなら、しばらくは部屋に戻らんだろう。忍び込むなら今だ」
 さて、どこから侵入するか。本丸をぐるりと見回し考える土井に、ふと思い出したように風鬼が尋ねた。
「今夜の予定が済んだら、そのまま大人しく帰るのか」
「出城の目的の内容次第では、もうひと働きしていく。お前はどうする」
「こいつらが何を企んでいるにしろ、ドクタケの利にならんのだけは確かだからな。色々とぶち壊してから帰る」
「ぶち壊すって、企てをか。この出城をか」
「それが知りたけりゃ、折角だから付き合っていきなよ。お前さんを利用したがってる割に友好的じゃないんだ、どうせ忍術学園にとってもいい話じゃあるまい」
 だろうな、と、今度は声に出さず土井は思った。
 若い忍者が喋ったことから推すと、兵庫水軍か忍術学園か、あるいは両方と何かの交渉をする為の人質として、自分が目を付けられたのだろう。代わりに出城へ届けてくれと密書を押し付けて来た男はおそらく、困っている人を見過ごせないは組の性格につけ込んだ罠だ。怪我は本物だったから崖から落ちたというのは演技ではなく本当の失態なのだろうが、それを即座に利用して自分に接触してきたのなら、あの男、武士としての力量はともかくそこそこ頭が回る。
 そこで顔を覚えられた。そして、どの時点からか分からないが行動を捕捉され、崖下で手荒い出迎えを受けた。

 戦災孤児の親代わりだから。――それと誇大妄想じみた天下統一の計画と、何の関係があるって言うんだ。

 その大小に関わりなく武家同士が各地で土地を奪い合い覇権を競い合う、群雄割拠と言えば聞こえはいいが、乱れること麻の如き戦国の世だ。それを終結させる方法は、相争う全ての者どもが武力を放棄して和議を結び、心を合わせて幕府や朝廷に善く仕えるか、あるいは誰かが圧倒的な軍事力を以て全てを臣従させるかの二択。
 前者は笑い話にすら値しない理想論だ。
 が、この出城の守将とそれを家中へ加えた小領主は、同じくらい現実離れした後者を、まさか実行するつもりなのか。その一環として、海上での戦力と人員・物資を運ぶ機動力、水上利権から成る経済基盤を欲して、兵庫水軍の取り込みを図ろうとしているのか。
 それが可能なだけの力を蓄え、いざこそと諸国制圧に乗り出しても、しかし名だたる武将たちはおいそれと平伏するまい。己の家名や領地領民を守るために死力を尽くして抵抗する。100年近くの昔に西国一帯を巻き込んだような大規模な戦乱が、今度はこの日の本の国の全土で起こる。
 戦うのは合戦場の武士や兵だけではない。戦地となる村や町が敵方の将から乱暴狼藉を禁じる制札を得たとしても、戦場稼ぎが目的の雑兵ばらにとって、それは絶対的な抑止力にはならない。押し寄せる侵略者を前にした民衆の中には、長年かかって拓き蓄えた土地財産を放棄して集落ごと逃散するよりも、狩られてなるものかと武器を手に立ち向かう者もいる。制札を取れなければ言わずもがなだ。
 そうなれば数え切れない人が死に、数え切れない人が家族や帰る場所を失くして、きり丸のような境遇の子供がまた大勢生まれる。戦さえなければ、平和な世でさえあれば年齢なりの「子供」でいられるのに、時代にそれを許されない子供たちが。
 戦さえなければ。
 この時代を変える誰かが現れれば。

『――子は親を慕い親は子を慈しむことが、きっと当たり前に出来る世になる』

 瞬かない琥珀色の瞳を光らせて、若い忍者が呟く。


「おーい、起きてますかあー」
 遠くへ声を届かせるように両手を口の左右に添え、そのくせひそめた声で風鬼が呼び掛けて、土井は我に返った。思わず強く瞬きして風鬼を見ると、風鬼も土井の顔をじっと見返し、そしておどけるようにちょいと口を尖らせた。
「甘かぁないが、優しいよな、お嬢さんは」

 からかうでも非難するでもない口調で言った風鬼の台詞が、心のどこかをちくりと刺した。 


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