落乱れしぴ


作中に登場する、室町末期に実在した料理やお菓子のレシピいろいろ。
現代人でも食べられるものを選んでおりますので、ご用とお急ぎでなければ再現も可☆能☆です。
土井家の食膳の定番イナゴの扱いに困ってます。現代でも食べる人は食べるけどどうなんだコレ。

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※内容は基本的に原文ママ。訳は間違っている可能性があります。古典漢文の授業なんて遠い昔のことよ。
※南蛮菓子は次の資料に依ります。
◇→「南蛮料理書」1600年までに成立したと推測される日本最古の南蛮料理レシピ集。著者・編者は不明ながら、西九州の修道院で書かれた可能性がある。「口伝」「口伝」で肝心なところが 分から ない のが「忍たまの友」との奇妙な一致。
◆→「古今名物御前菓子秘伝抄」1718年に京都の書林・水玉堂梅村市郎兵衛が刊行した日本初の菓子製法専門書。著者・編者は未詳。落乱時代より100年以上新しいのは目をつぶって下さい…。



しんベヱが作った「カステイラおひとつどーぞ」(11巻)

◇かすてほうろの事
たまこ拾こに、砂糖百六十目、麦のこ百六十匁。此三色こねて、なへにかみをしき、こをふり、そのうへにいれ、うへしたにひををゐてやき申也。口伝有。
【訳】卵10個、砂糖2.25kg、小麦粉2.25kgをこね合わせ、鍋に紙を敷いて小麦粉を振り、タネをそこへ流し入れ、上下に火を置いて焼きます。

※「上下に火を置く」と言う表現はこの後も出てきますが、どうもオーブン(天火)的なものが当時あったようです。

◆かすてら
玉子五十つふし、白沙糖六百目に小麦の粉五百目入、ねり合、銅(あかがね)の平なへに紙を敷、入、大なる鍋に入粉(いれこ)にして、かねのふたを仕り、上下に火を置、こげ候程にやき申候。形(なり)は色々に切申候。但し、下の火、上の火よりつよく仕候。
【訳】卵50個をほぐし、白砂糖2.25kgと小麦粉1.875kgをそこへ入れて練り合わせ、銅製の平鍋に紙を敷いてタネを入れます。大きい鍋に入れて金属製のフタをし、上下に火を置いて、焦げ目がつく程度に焼きます。色々な形に切りましょう。ただし、下の火は上の火より強くします。

※編者注に「練り混ぜる製法でふっくら焼けるかどうかは疑問」とあります。卵を泡立てたり重曹(膨らし粉)を使う方法もあったらしいですが。約120年の間に卵の量が5倍に増えてるのは日本人が卵の美味しさに目覚めたから(あながち冗談でもない)。



「あったけど!! ユリコの砲弾でぜ〜んぶふっ飛んでしまった」「ボーロ」(33巻、44巻、47巻)

◇ほうろの事
小麦のこ壱升に白砂糖五十目、しを水にてこね、うすくのへ、あつさは五分はかりにして、くるまにて切、なへにかみをしき、うへしたにひををき、やき申也。口伝あり。
【訳】小麦粉1.8L(約900g)と白砂糖187.5gに塩水を入れてこね、薄く伸ばして1.5cm程度の厚さにし、型抜きで切り抜き、鍋に紙を敷き、上下に火を置いて焼きましょう。

◆はうる
小麦の粉壱升に白沙糖二合入、水にてこね、やはらかにもみ、うとんのごとくのし、ちいさき丸きかねに車のやうにまはし候様に仕、ゑを付て、其かねを持て形(なり)色々に切、銅(あかがね)なへに入、かねのふたを仕、上下に火を置てやき申候。但し、下の火、上の火よりつよく置て能御座候。
【訳】小麦粉1.8L(約900g)に白砂糖360cc(約198g)を入れ、水でこねて柔らかく揉み、うどんのように伸ばして、小さな丸い金型を車のように回して模様をつけ、その金型でいろいろな形に切り、銅製の鍋に入れて、金属製のフタをし、上下に火を置いて焼きましょう。ただし下の火は上の火より強くするのがモアベターです。

※佐賀の丸ぼうろが最も「ほうろ(はうる)」の原型に近いそうです。44巻で長次は卵を使ってる(しかもポルトガル語の本を読んでる)から、おばちゃんや長次が作ったスポンジケーキ風のものは上の「かすてほうろ」? このレシピで出来るのはケーキと言うよりソリッドなクッキーですね。
【参考画像】
ボーロ

左は福岡、右は長崎の会社のボーロ。

株式会社セシカ(福岡)のボーロ

株式会社セシカ(福岡)のボーロ
原材料:国産小麦粉・砂糖・鶏卵・もち米飴・蜂蜜・ぶどう糖・ベーキングパウダー
色が濃い目で平べったく、みっしりした歯応え。栄養成分表は佐賀県環境科学検査協会の分析になってました。

牧瀬製菓(長崎)のボーロ

牧瀬製菓(長崎)のボーロ
原材料:小麦粉・砂糖・卵・蜂蜜・ぶどう糖・麦芽水飴・ごま油・ソルビット・トレハロース・膨張剤
ややふっくらした外観で、ごま油の香りが効いています。レトロ感のある実直なパッケージが素敵。




「わーいいにおい…」「先生これなんですか?」「ビスコイトだ 南蛮菓子だよ」(35巻)

◇びすかふとの事
あまさけにて麦のここね、つくりふくらかして、やき、ひきわり、こまかにして、かわらかし申也。口伝。
【訳】甘酒で小麦粉をこね、発酵させ膨らませて焼き、ひき割りにして細かくしてから乾かします。
 
※編者注に「これだと出来上がるのはパン粉だよね」の突っ込みがありますが、大きさの記述がないので「ひきわり、こまかにして」一口サイズだったのかも。南蛮人が持って来たビスコイトがあんまり固いのを見て、最初から食べやすく割っておいたのかなーと思うんですがどうでしょう。
「南蛮料理書」以降、ビスコイト(ビスカウト)の記述は「長崎夜話草」(1720年・著/西川如見)の「長崎土産 南蛮菓子色々」まで出て来ないそうなので、長崎で長年かけて美味しく改良されるまで広まらなかったのかもしれません。
読み上げるとリズムが良くてお菓子の名前が面白いので以下に全文引用。
「南蛮菓子色々 ハルテ ケジャアド カステラボウル 花ボウル アルヘル カルメル ヲベリヤス パアスリ ヒリョウズ ヲブダウス タマゴソウメン ビスカウト パン 此外猶有ヘシ」 さては西川さん食いしん坊だな。



コンデンスミルクをもっと濃くして固めたもので「チーズケーキのような…」味わいの「酥(蘇)」(26巻)

○延喜式巻二十三 民部下(927年制定)
蘇之法。乳大一斗煎。得蘇大一升

【読み下し】蘇を作る法。乳大一斗を煎る。蘇大一升を得る。
【訳】蘇の作り方。牛乳18Lをじりじり火にかけます。蘇が1.8Lできます。

※税として酥(蘇)を納めるよう定めた条文より。納入期限や納める量に続いて作り方が記されています。付録の「和名考異」に「牛乳 諸本不和名。醫心方食性。宇之乃知」とあるので、牛乳は医薬品(健康食品?)扱いっぽい。

○涅槃経(大般涅槃経・4世紀頃に成立)
牛従り乳を出し、乳従り酪を出し、酪従り生酥を出し、生酥従り熟酥を出し、熟酥従り醍醐を出す、仏の教えもまたおなじく…

※「五味相生の譬(ごみそうしょうのたとえ)」より。
酥のレシピという訳ではなく、牛乳を段階的に加工していくと最後に醍醐ができることになぞらえた説話みたいです。原著が見つからなかったので孫引きゆえ読み下し文のみ書いてますが、原文は漢文です。読 め ん 。

酥(訓読みだと「ちちざけ」=乳酒?)の詳しい作り方が載っている日本語の文献は現在までにまだ見つかっていないので、おばちゃんはもしかして渡来物の漢文(それも古典)を読みといたのかもしれません。すげえインテリ。

たぶんまだ増えます…。


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【番外】「水軍鍋」

室町時代から戦国時代にかけて瀬戸内海で活躍した村上水軍が出陣する前、必勝祈願と士気向上のために食べたもの。
「八方の敵を食らう」という意味で、8本足のたこは必ず入れたと伝えられています。勘右衛門にげて超にげて。

【材料(4人分)】ゆでだこ:80g/むきえび:80g/むきあさり:40g/大根:80g/里芋:120g/カットわかめ:2g/ねぎ:20g/水:1200cc/粉末だし:2g/しょうゆ:大さじ1

1)ゆでたこは1cm程度に切る。
2)ねぎは小口切りにする。
3)大根はいちょう切り、里芋は3等分にする。
4)むきえび、あさりをボイルして臭みをとる。
5)鍋に水を張り、沸騰したらだしを入れる。
6)具材を入れ、しょうゆで味を調える。
7)カットわかめを入れて盛り付ける。

※説明文およびレシピは海上自衛隊オフィシャルサイトより引用させて頂きました。色々な部隊の活動状況報告とレシピ更新がインフォメーションに併記されるシュールさがたまらない。
あっさりした海鮮鍋て感じで美味しそうです。村上水軍をモデルとする兵庫水軍も食べているはず…!








【参考資料】
「新訂増補 國史大系」(編/黒板勝美・吉川弘文館)
「『涅槃経』を読む」(著/田上太秀・講談社学術文庫)
「近世菓子製法書集成1・2」(編訳注/鈴木晋一/松本仲子・平凡社)
「長崎夜話草」(著/西川如見・撰/細川潤次郎・東京求林堂) ※近代デジタルライブラリーで閲覧できます。