二、
これ、何とかしてやらないとみっともないな。
痛いほどの日差しが俯き加減の首筋を灼く。
滲み出る汗は絶え間なく額を滑り、頬を伝い、顎の先に溜まって弾け、乾いた地面にぽたぽたと小さな黒い染みを作る。
真昼の盛夏の陽に炙られて落ちる自分の影を踏んで、じっと路傍にうずくまっている。
暑い。
眼の前に広がる細長く尖った草の茂みの間から、色のない炎に似た草いきれが揺らめき立つ。
流れるのをやめた水底の澱のように地表に滞留する熱気は泥の重さだ。総身にまとわりつき、手足ばかりか頭の働きまでも阻むその熱を厭わしく思いながら、耳につく虫のうなりの向こうにさらさらと草のささめく清かな音は聞こえないものかと、ぼんやり考える。
それにしても、暑い。
「そんな道端でぼーっとしてると暑気中りするよ、三之助」
いつからそこにいたのか、少し離れた所から孫兵が言う。
そういう自分こそ日陰のひとつもない炎天下の路上に無防備に佇んでいるのに、汗みずくのくせに涼し気な顔つきなのが、少しばかり小憎らしい。
「ふいご、持ってないか」
顎の汗を指先で払い落とし、尋ねてみる。
孫兵は素っ気なく首を横に振り、袖でぐるりと拭った顔に呆れたような表情を浮かべる。
「そんな使い道が限定されるもの、戦場偵察の実習に持って来ないよ」
「そっか。まあ、かさばるしな」
「何に使うの」
「何って、膨らませるんだよ。見れば分かるだろ」
孫兵が首を回して茂みを見る。「確かにぺっちゃんこだね」と呟き、小さく頷いた拍子に、前髪の先から透明な雫が跳ねて散る。
毒虫や毒蛇に噛まれた時のために懐に種火を持ち歩いている孫兵は余計に暑いはずだ。種火じゃなくてもっと役に立つもの、例えばふいごなんかを持っていれば良かったのに。
陽炎の向こうに滲む孫兵から茂みへ目を戻し、鼻の下を手首でぎゅっとこする。
「なあ、生物委員」
「うん」
「虫は頭が潰れても平気で生きてるよな」
「うーん。平気じゃないけど、生きてはいるよ。暫くの間は」
「でも、胸とか腹だと駄目なんだろ」
「命の維持に関わる器官がその辺りに集中してるから」
片手庇で日を遮り、孫兵が眩しそうに目を細める。
「それならさ、こいつは人だから、」
茂みの中を指差す。伸ばした指の先を、大きい頭に大きい目をつけた蝿が羽を震わせて飛び過ぎる。
「胸が潰れたくらいで死なないよな」
「胸が潰れたくらいで人は死ぬよ、普通」
「何を言ってるんだよ。こいつは虫じゃないぞ」
「うん。虫じゃないのは良く知ってる」
「そうだろ。人なんだからさ。死なないだろ」
「そうかな」
「そうだよ」
「そうかもね」
「さっさと元に戻してやらなきゃ。このままだと格好悪いし、学園に帰れない」
しかし、肝心のふいごがない。道具の中に吹き矢の筒は持っていなかったっけ。どこか近くに葦は生えていないか。葦の茎は中空だから、そこに見えている白いあばら骨の隙間にうまく差し入れられれば、ひしゃげた胸板に空気を吹き込める。
ぷうっと膨らませてやれば、それで何もかも全部元通りだ。
「葦を探して刈って来ようかな」
「どうせ迷子になるんだからやめなよ。――ああ、ちょっと待って、吹き矢筒なら確か持ってた」
そう言って懐や袖の中をごそごそ探っていた孫兵が、ふと後ろを見る。
「笛が鳴ってる。実習は終わりだ」
「もうそんな時間か。まずいな、左門が駆け出して行ったきりだ」
「はい、吹き矢。連れて帰るなら僕も手伝うよ? 学園にたどり着けるか心配だし」
「ありがとう。って、何だよ心配って。たぶんもう少ししたら左門が一周りして戻って来るから、そしたらみんなで帰るよ」
「そっか」
「そうだよ」
「そうだね」
「いつもみたいに、縄でくくられて」
「そうだろうね」
ぶんぶん、ぶんぶん。思わず拍子を付けて口ずさみたくなるような調子の良い蝿の羽音が、むっとするような青い臭いと、よどんだ熱を掻き回して飛び交う。
でも、うるさいだけだ。軽快だけど楽しくはない。暑いし。蒸し蒸しするし。汗でびしょびしょだし。これから吹き矢筒を吹き続けなくちゃならないし。考えただけで脳貧血を起こしそうだ。
やっぱり、どこかにふいごは無いかなあ。
いくらか途方に暮れた気分で辺りを見回しても、少し長くなった影が一緒にぐるぐる動くだけで、助けになりそうなものは何も無い。
流れた汗が目にしみた。
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