九、
迷子の二人を探し回ってようやく捕獲した林の外れは、偶然にも絶好の休憩ポイントだった。
少しひらけた場所には短く柔らかい草が一面に生えていてひんやりと座り心地がいいし、前は川だから見通しもいい。頭の上で重なる枝はちょうど頃合いに強い日差しを遮り、気持ちのいい木漏れ日と涼しい陰を一緒に作ってくれる。
「こういうのを怪我の功名って言うんだろうなあ。ちょうどいいや、ここで飯にしようぜ」
左門と三之助に括りつけた綱を両手にぐるぐる巻き付けた作兵衛は、苦笑いして孫兵を振り返った。
三年生全クラス合同の野外実習中だ。二人の姿が消えた時、たまたま最後の目撃者だったばかりに捜索に巻き込まれた孫兵はやや疲れた顔をしていたが、作兵衛の提案にニコッと笑って答えた。
「動物って、居心地のいい場所を本能的に見つけるんだよね」
「変な場所にある木陰とか、うまい具合に風が抜ける場所で猫が寝てたりして、びっくりするよな」
「するする。昼寝してた猫をうっかり踏みそうになって引っかかれたことがあるぞ」
つまり左門も三之助も、猫がこっそり確保した快適な場所へ踏み込んで行ったというわけだ――と、作兵衛はいちいち突っ込まない。食事は二人ずつ背中合わせに座って、その間に他の二人は周囲を警戒しよう、とてきぱき指示を出す。
「初めが孫兵と左門、次が三之助と俺な。それでいいか?」
「僕が左門の綱を持つのか? 正直言って、抑え込める自信はないよ」
「いや……今は大丈夫だろ、さすがに。でも、一方は木に縛りつけておこう」
食っている最中はフラフラいなくならないだろうと思いたい。雀だって、取った餌は安全な場所に持って行ってから落ち着いて食べるんだから。
とにかく昼食だ。
大きめのお握りふたつに塩気の強い瓜の味噌漬け、お握りの中味はお楽しみのおばちゃん謹製弁当を広げた一組目が、いただきまーすと声を揃える。
綱がぴんと張って少しつんのめった三之助は、辺りをきょろきょろ見回して、苦い顔の作兵衛を振り返った。
「この場所、結構広いよな。畳にしたら八畳はある?」
「あーうん、それくらいな感じだな」
腕に巻き直した綱をしっかり握りしめて作兵衛が頷く。
出し抜けに左門が言った。
「孫兵、たぬきって本当に八畳敷なのか?」
べふっと変な音を立てて孫兵がむせた。急いで水筒を呷って変な所に入りかけたお握りを飲み下し、とんとんと胸を叩いて一息つく。
「お化けたぬきの話だよ、それは」
「やっぱりそうだよなあ。どうやって畳んでいるのか不思議だったんだ」
「本物のは、この瓜の漬物くらいちっちゃい」
「真面目に答えるなよ、お前も。それに食う気が無くなることを言うなよ、俺ら飯前だぞ」
耐えかねて作兵衛が口を挟み、孫兵は涼しい顔で「ごめんねー」と謝って食事の続きに戻る。
そのやり取りをよそに明後日の方向へ視線を飛ばしていた三之助が、不意に皆の方を見た。
「辻堂にいた尼さんがたぬきだった話、知ってる?」
まだ引っ張るのかとへの字口をする作兵衛をよそに、孫兵と左門は首を振りつつそれに乗る。
「知らない。怖い話? それとも面白い?」
「面白いって言うか、痛い話だけど、」
仕事に出かけた帰り道、急に日が暮れて困っていた人が、道の先に明かりの灯るお堂を見つけた。
これは助かったと、中で読経をしていた尼さんに一晩の宿を頼むと快く承知してくれたので、贅沢にも畳が敷いてある床にごろりと横になった。
するとおかしな事に、畳の表面に毛が生えている。気になって抜いてみると、一本抜くたびに尼さんの読経も一瞬止まる。試しにひとつかみまとめて引き抜くと、尼さんは「痛い!」と悲鳴を上げて、なんとお堂がガタガタと崩れ始めた。
さては化物のまやかしか、と咄嗟に刀で畳を突き刺すと、その途端にお堂は消えて周囲は昼間に戻り、後には血だまりだけ残っている。
点々と続く血の跡をそっと辿ってみると、草むらの中でたぬきが股間を押さえて引っ繰り返っていましたとさ。
「痛い痛い痛い!」
「うわ、キュッとなった」
「尼さんなのに八畳敷?」
「そこはほら、お話だから」
体をよじって大笑いしたりわざと内股になって飛び跳ねたりしてギャーギャー騒いでいる拍子に、木に縛ってあった左門の綱がほどけた。
「お、危ない危ない」
慌ててそれを拾い上げた作兵衛は、先端が尖った太い枝が落ちているのに目を留めた。
綱の端を杭で打ち込んでおく方が安全かもしれない。そう考えて、枝と大きな石も一緒に拾う。
「三之助、地面の上に左門の綱を抑えといてくれ」
「へいよ」
「しっかり伸ばして。せーの」
綱の上で枝を立て、そのてっぺんを槌代わりの石で力いっぱい叩くと、
きゃあっ、と甲高い叫び声がした。
なんだと思う間もなく足元をすくわれ、ふわっと身体が浮いたのも束の間、四人は鞠のようにころころと転がる。
まるで敷物を一気に引っ張られたようだ。自分たちに何があったのかすぐには把握できず、地面に転んだまま、きょとんとした顔を互いに見合わせる。
「腰打った……」
「何、今の?」
「地震じゃないの」
「局地的すぎるだろ」
起き上がろうとして地面に手をついた孫兵が、急にそこから手をのけた。手のひらを見て、足元を見て、制服をぱたぱた払っている同級生たちを見る。
「……なんで土が付いてるんだ?」
「え? そりゃ、あるだろ。だってここは林の――中――」
言いかけた作兵衛は、孫兵の表情を見てそのことに気付き、言葉を失った。
さっきまで地面が見えないほどみっしりと生えていた草が一本も無い。その代わり、浅く鋤き返したような黒っぽい土が、一面に広がっている。
その上に落としたお握りを拾って無念そうな顔をした左門が、あーあとため息をついて言った。
「僕たちは八畳敷の上に座っちゃった、ってわけ?」
「で、そこに杭を刺した」
三之助が痛ましそうな顔をする。その綱を掴んで絶句する作兵衛の肩を、孫兵がポンと叩いた。
「たぬきは雑食だから、お握りで許してくれると思うよ」
「……」
背負っていた荷物からお弁当の竹皮包みを取り出した作兵衛はそれを林の中へ投げ入れると、手を合わせて深く頭を下げ、精一杯の大声で「ごめんなさい」と叫んだ。