八、
さあ、御髪が上がりました。
鏡をどうぞ。結いようはきつくございませんか。後ろは、はい、このように。襟足の産毛を剃って仕上げますので、少々失礼。
それにしても、私も髪結いを長くしておりますが、なかなか見ない立派な口髭をお持ちでございます。端を揃えて油で整えましたが、どうぞ触れてお確かめ下さい。塩梅はいかがですか。
白粉ですか。ございますよ。
何をおっしゃいます。貴方様のような武人にとってお顔の傷は誉れにこそなれ、決して恥じるものではありません。負けた戦で受けた傷なれば尚更のこと、力を尽くして存分に戦ったしるしでございましょう。それを覆い尽くして無いものとしてしまうなど余りに勿体のうございます。そんな事をしたら、この斉藤幸隆、末々までの恥。どうぞご勘弁下さい。
付けるならば、この色にいたしましょう。なめし革のように焼けた肌色によく合います。顔色を少し明るくして、いいえ、しわや傷を隠すのではなく、それが映えるお顔にするのです。女人は七難を塗り込めてとにかく肌を白く白く見せたがるものですが、武人の化粧は違うのですよ。
お顔に刻まれたそれは貴方様の生きた証。どうぞ誇りになさい。
無礼を申しました。
ただ、私は貴方様よりだいぶ歳を食っておりますし、橋の袂という場所に店を構えてこの稼業をするうちに、様々な人たちを見て参りました。世間ずれした頭の古い髪結い親父の戯れ言とお聞き頂ければ重畳ですが、ほんのちょっと心に懸けて頂きたく存じます。
ありがとうございます。
先に要らぬ髭をあたりましょう。剃刀を使いますから、しばらく身動きなさいませんよう。
お召しになっている、この帷子は?
奥方様の手縫い。そうだと思いました。とても優しい、丁寧な手でございます。長からず短からずすっきりと身に添うて実に見事です。ひと針ひと針に貴方様を思う心を込めていらしたのでしょうね。
おや、そんな事をおっしゃるものではありませんよ。
お子様もいらっしゃるのですか。五つのご嫡男と、三つの姫様とは、さぞ可愛い盛りでありましょう。――お察し申し上げます。
私ですか。十五になる不肖の息子が。ずっと髪結いの修行をしておったものが、親の因果が子に報い、今は忍者の修行をしておりますよ。
ええ、忍者です。信じられませんでしょう。あれは髪結いになるものだとばかり思っていたのに、まこと奇妙な具合に物事が動く世の中です。正しい道を行ったのか、あるいは踏み外してしまったのか、こればかりは神ならぬ身には分かりません。
当人がその道を行くと思い定めた上は、私がいくら気を揉んでも仕方ないことです。
髪結いの出来る忍者になるんだと、それなりにやる気を出してあっけらかんとしておりますよ。これも因果というものでしょうか。
ところで、貴方様と奥方様は仲睦まじくあられたとお見受けします。
ご謙遜なさってはいけません。帷子のつくりは勿論、身拵えのなさりようを見れば明らかでございます。
なればこそ、ご嫡男と姫様はきっと、父御がいかに猛く勇ましい武者であったか、またいかに御家族を思うこと一方ならぬ慈父であったか、奥方様がとくとくと聞かせ育ててゆかれましょう。
人の心を持っているならば、後顧を憂うのは無理からぬ事。それを情けなしと思う必要は全くございません。ただ、あまり心配し過ぎては、強く優しい父上の姿を心に住まわせたお子様方に笑われてしまいますよ。
貴方様が信頼した奥方様を、信じる上にも信じなさることです。
さて、お喋りしている間に、これですっかり整いました。姿見をご覧になりますか。よろしいですか。
道中長うございます。足元はしっかりとお作り下さい。いいえ、お代は結構です。その六文は屹度大事に持っておゆきなさい。
またのお越しをお待ちしております。
願わくばその頃が、もっとのんびりした時代でありますように。
「父さん、まだ起きてたの――こんな時間にお客さん?」
店と住居を隔てる戸が少し開いて、寝ぼけ眼のタカ丸が顔を出す。
前垂れ襷の姿で土間に立った幸隆は、丁度客を見送ったばかりのように、開け放した戸口に向かって丁寧に頭を下げている。
涼しい風がついと流れた。