六、



「昨日の実習ん時に、この辺でなあ、」
 山道の脇に熊笹が生い茂る場所へ差し掛かった時、不意に与四郎が言い出した。
「オラの腕ほどでっけえめんめんくじら見たわ」
「バッカ言え。おめえの腕つったらほとんど丸太じゃねえか」
 こんなでけえのがいて堪るかよと、行者装束の袖を肘までたくし上げた与四郎の腕を仁之進がペチペチ叩く。
 前を行く山野は二人のやり取りが聞こえているのかいないのか、後ろに注意を払う様子もなく黙々と歩き続けている。その背中から離れ過ぎないよう気を付けながら、与四郎は伸び上がって熊笹の薮の奥を覗き込む。
「だって見たんだもんよ。今日は居ねえっかなあ」
「喜三太に持ってってやるんけー?」
「おーよ。いい土産になんべー」
 相模国内で万寿烏・土寿烏の目撃情報があったのがひと月前だ。西国にいると思われていた二人が風魔忍者の周辺に現れたことに神経を尖らせていたが、目立った動きが確認できないうちに、数日前にまた西へ移動を始めたらしい。
 そこで忍術学園に警戒を促す為に山野と仁之進・与四郎が西へ発つことになったのだが、既に通いなれた旅路とあって生徒二人に気負いはない。緊張は保ちつつも、気楽そうに喋りながら足を運んでいる。
「勝手に所替えされちまうめんめんくじらがかえーそーだなァ。嫁御やちびっこがいるかも知れねえじゃん」
 手を伸ばして笹の葉を一枚むしった仁之進が、両眉毛を下げて本気で気の毒そうな顔をする。
「んじゃー、父ちゃんだけじゃなくて、みんな揃って西へ引っ越しさしてやればいーべや」
「一族郎党を探してる暇はねえぞ。駄弁ってねえでちゃっちゃと歩け」
 大らかに言って笑う与四郎へ、山野が足を止めずにぴしりと釘を刺した。
 首をすくめる与四郎を仁之進がからかって小突く。与四郎が錫杖を軽くぶつけてやり返し、仁之進もそれを受けて立つ。しゃらんしゃらんと山奥にあるまじき音が鳴り響く。
「お前らなぁ。大概にしねえとこっから学校にけーすぞ、コラ!」
 足を止めた山野が振り返って仁王立ちをすると、飛び離れた二人は神妙な顔をして頭を垂れた。
 反省が早いのは教え子たちの良い所ではあるが、長続きしないのが欠点でもある。この点について忍術学園の山田先生と一献語り合いたいもんだと思いつつ、山野は再び歩き出す。
「それとな、与四郎。おめえが見たっつうめんめんくじら、そりゃあきっと山息子だ。とっつらまえて良いもんじゃねーよ」
「ヤマムスコ?」
 歩きながら山野が言うと、期せずして仁之進と与四郎の声がかぶった。
「って、何ですか」
「山ん中でひとりで仕事をしてっと、いつの間にか近くに美童がいるのさ。年の頃は十三、四の、肌は白くて唇は紅をさしたような、絵姿みてーのがな」
 べつに悪さはしねえ。ただ突っ立ってるだけだ。だけども、ちょっとでもその若衆を心に留めたらば、そうと察して馬鹿笑いして嘲ってくる。
 何でかって?
 そいつぁめんめんくじらの化生だからさ。そうとも気付かねえ人間が想いを懸けてきたら、そりゃあ馬鹿にもすんべえよ。
「もっとも、笑うその口に唐辛子をいっぱい詰め込んでやりゃあ変化が解ける。そーすっと後にはでっけえめんめんくじらが転がってるって寸法だァ」
「はあー」
 嘆息した与四郎は自分の腕を持ち上げ、反対の手でそれをさすると、気味が悪そうな顔をした。
「でも先生、それ、お伽話か何かでしょう?」
「ホントか嘘か俺ぁ知らんよ。ひと気のないとこでキレーな若衆かでっけえめんめんくじらを見たら、せいぜい注意するこったな」
 呵々大笑する山野の後ろについて歩きながら、与四郎は捲っていた袖を急いで下ろし、小さく揺れる薮の向こうを仁之進は凝然と見詰めている。

 昨日の実習の時、この辺で美形の少年を見た。