四、
市に集まった人たちの呼び込みや掛け合いの声が、照りつける太陽の下で賑やかに飛び交っている。
そんな活気にあふれる人波の中、腕をこまねき歩きながら、牧之介は考えていた。
今日は暑い。いたく暑い。しばらく一所に立ち尽くせば、足元に汗の水溜まりができそうなほどだ。重い荷を担ぐ男衆は老いも若きも片肌や諸肌にして日に焼けた肌を汗で光らせているが、ふとした拍子に熱気にのぼせて、足元をふらつかせたりしている。
してみるにこんな日は、重く無骨で見栄えしない真剣ではなく洗練された拵えの竹光を挿している方が、立ち居振る舞いがすらりと決まってカッコいいのではないか。
その証拠に、腰のものを竹光に代えてからというもの、炎天下でも身軽く歩き回れる上に一向に倦まない。飯代のかたに取り上げられた出色の数打に未練が有ろうはずがないからこれは負け惜しみではない。いや本当に。
しかし名だたる剣豪の不肖・花房牧之介、いつどこで鞘当てを言い掛けられ刀を抜く事態にならないとも限らない。弘法筆を選ばず、なれど真剣に竹光で立ちあっては相手への礼を欠く。仕方がないからその時に備えて早急に新しい刀を求める必要がある。竹光でも十分なんだけど。いやいや本当に。
ただ、腰は軽いが、懐はそれ以上に軽い。
町の刀剣屋や刀鍛冶の工房は最初からお呼びではない。月の市に古道具屋か蔵廻りが店を出していないかと巡り歩いているのだが、今日はどこにも見当たらない。
「ちぇっ。いつもなら、ひとりや二人はいるんだけどなあ……ん?」
いつの間にか人気(ひとけ)のない市の外れまで来てしまった牧之介は、そこで草陰に隠れるように品物を広げている店に気が付いた。
笠をかぶり覆面をした売り子は足を止めた牧之介をすくうように見上げると、いらっしゃいと低く呟いた。
「ここは何を商っているんだ?」
「古い物ならば何でも。かわらけとか古着とか、刀とかね」
顔を伏せた売り子の服装や体つきはまだ若い男のように見える。しかし、膝を抱えて地面に座る姿勢やしゃがれた声はまるで老人のようでもある。こんな人のいない場所に陣取っているのも奇妙な感じがしたが、同業者組合に入っていないか何かで大っぴらにできないのだろうと解釈して、それよりも刀があるという言葉に惹かれた牧之介はいそいそと店の前にしゃがみこんだ。
「おお」
弾みかけた声を飲み込み、牧之介は売り子に見えないように小さくグッと拳を握る。
飾り気のない黒漆塗りの鞘。元の色が分からないほどくすんだ下げ緒。質素な鍔は細工も分からないほど錆に埋もれ、柄巻の糸もすり切れた、しかし堂々たる威風を備えた太刀が無造作に筵の上に置かれている。
露骨に欲しがる態度を見せてはふっかけられる。はやる気持ちを抑えて、牧之介はわざと興味の無さそうな顔をした。
「ほう、この櫛の細工は凝っているな。家内の土産に良さそうだ、……この刀は随分と古いな」
「平安か鎌倉の初め頃の作なものでね。ま、400歳にはなりましょうよ」
「それはまた年季の入った……。銘はあるのか?」
「さてね。廻りまわって私の手元へ来たもので、もともとの持ち主も誰なんだか」
「ふーん。例えば、例えばだぞ、これに値をつけるとしたら幾らくらいになる」
「まず、二万貫文」
「に」
口を開いたまま絶句した牧之介を、売り子は物憂げな動作で笠越しに見遣る。
「冗談はよせ。どれほどの業物か知らんが二万貫文だって? 下手をすれば城が建つぞ」
「私の付けた値じゃありません。それだけの金を出しても買いたいと言った大名がいた、というだけの話さ。先の戦でいけなくなっちまってお流れになりましたが」
牧之介が適当に手にとって動かした品物を並べ直しながら、売り子は錆びた声でぼそぼそと喋る。袖口からのぞく手首が折れそうに細いのに目を留め、こいつはもしや盗品を売る食い詰め者かな、と牧之介はようやく少し警戒する。
「その大名は数寄者というやつで、どこから噂を聞いたんだか、こいつの刃紋を見た者には何かが起こるとやらで是非欲しいってね」
「何か、とは?」
「だから、何かが」
良きことか悪しきことかは知りません。なにしろ見た人というのがいないのだ。
この刀は打たれてこのかた、一度も鞘から抜いたことがないのですよ。
「奉納太刀でもないのに400年もこのままなんてことがあるものか。ははぁ、分かったぞ。刀身がボロボロのサビサビで抜けなくなった戦場の拾い物に古めかしい装飾をして、大層な逸話をくっつけて高く売ろうと言う腹だろう。しかしこの剣豪・花房牧之介、ものの真贋を見抜く眼も並大抵では」
「なら試しに抜いてご覧なさい。それだけなら金は取りませんですよ」
あっさりと牧之介を遮った売り子はひょいと刀を取り上げて、柄頭の方を牧之介の鼻先へ向けた。笠の下で、異様に大きい目が一瞬、ぎらりと光ったように見えた。
「む、――むう」
思わず言われるままに柄を取ろうとした牧之介の手が、空中で止まる。
突き出された柄に日光が差し掛かっている。
明るい日差しの中に、崩れ解けて蜘蛛の巣のようにもつれた柄糸が見える。
「やっぱ、やめとく」
牧之介は上げていた手を引っ込める。
「なーんか気味が悪いし、抜いたからには買えと言われても困るしな」
売り子がちっと小さく舌打ちする。
「なんだよ、態度悪いぞ。刀はいいからこっちの古着とか草鞋も見せてくれよ。なあ、おい、おいってば」
「見た目より勘がいい」
乱暴に太刀を放り出して吐き捨てた売り子はそれきり顔を背け、後はどう声をかけても、まるで牧之介がそこにいないかのように振舞った。