二十四、



 激闘から一夜明けた戦野を包んで、乳白色の朝靄が漂っている。
 昨夕には空を埋め尽くすほどに飛び交っていたカラスの群れも、今朝はまだ姿を見せない。伸ばした手の先も霞むほど濃い靄の中は、まるで真綿に厚くくるまれたようにしんと静まり返り、キクラゲ城の御借具足をまといひそやかに歩き回る利吉の他に動くものの気配はない。
 地面の上でどろどろに踏みにじられた旗指物を何気なく跨ぎ越そうとして、赤黒く粘つくものが一面に広がっているのに気が付く。
 その中に転がる当世風の甲冑をまとった身体をちらりと見てすぐに目を離し、錆臭い染みを迂回する。
 ――あれなど、あっという間に剥ぎ取られてしまうのだろうな。
 日が昇れば付近の村々から戦場稼ぎがやって来る。彼らに現場を荒らされる前に仕事を終えなければならない利吉は、そんなことを考えながら歩みを止めない。


 キクラゲ城を含む複数の城が協力し合っての治水工事にやっと成功した河川を狙い、益なしと見て工事に不参加だった城がにわかに水利権の割譲を主張し強引に兵を進めたのが、そもそも戦の原因だった。
 それに即応した広域連合軍はこの平地の広野で進軍の鼻先を抑え、各所に布陣して互いに睨み合うこと数刻、そのままここが決戦場となった。
 同盟関係にある複数の城からなる広域連合軍と、多数の支城を配下に収める勢力強大な城の一個軍との戦力は、前評判では拮抗していると思われた。それだけに下手を打てばだらだらと終わりの見えない長期戦にもつれ込む可能性もあったが、半日ばかりの短期決戦で大勢は決した。
 どちらが先に放ったものか今となっては分からない。
 静寂を破って鳴り響いた一発の銃声をきっかけに、獣の咆哮に似た喊声を上げつつ両陣からわっと兵士が押し出し、たちまちのうちに両軍入り乱れての白兵戦になった。

 あちらこちらで人や馬が団子状になって揉み合うその只中へ、突如、付近の山中から大口径の石火矢が打ち込まれたのだ。

 戦が終盤になってからキクラゲ城忍組を通じて呼び出された利吉は、実際の戦闘はほとんど見ていない。敵も味方も一緒くたに吹き飛ばす武器の投入はどちらの陣営のものかすぐには判断できなかったと、城主代理で出征した嫡男・木耳良兼は、いくらか呆然として見える表情で利吉に言った。
 我が殿じゃ、と先に叫んだのは、連合軍の兵士のほうだった。南蛮好みの新しいもの好きで知られる城の兵士だ。
 数人まとめて飛び散った身体のどこからどこまでが一人分なのか、それが敵なのか味方なのかすらも分からない生々しい破片を足の下に踏みつけて、半ば狂乱に浮かされたような調子で、兎も角も連合軍勢の意気は上がった。
 それが事態の趨勢を決定付けた。
「干戈を交える大勢の兵士ではなく、いくつかの強力な武器で勝敗が決まる。わしの知る戦とはずいぶん様相が変わってきたものじゃ」
 そう言って顔をこすった六十七歳の若様は、広域連合軍の総大将の指示でばらばらに配置されたキクラゲ城家臣団の、各々の受け持ち場所での戦況を見て来て欲しいと頼んだ。
 それを聞いて訝しさを顔に浮かべた利吉に、こうも言った。
 忍組の面々は全て出払い、それでもなお人手が足らないのだ、と。


 目を逸らすようにして言った良兼の言葉を額面通りに受け取った訳ではなかったが、特に断る理由もなく、利吉はその依頼を受けた。
「忍者は戦闘員じゃないんだがな」
 足元に転がっていたキクラゲ城の紋が描かれた陣笠を避け、利吉は誰にともなく呟く。その向こうの、折れた槍や弓矢、馬印、複数の人馬がまとまって落ちこんでいる窪みに目をやり、頭の中へその様子を刻み付ける。
 キクラゲ城の忍組は派遣から直属へ昇格した者も含めて、城の規模に比してそこそこの人数を抱えているはずだ。その全員を以てしても状況確認が追いつかない、という事態は考えにくい。連合軍の中では、キクラゲ城軍は一個軍団として使うにはやや少勢だったのだろう、解体し小隊として陣借り――他城の軍勢の一員としてその名を借りて働く――という形で再配置した総大将のやり方を見るに、寡兵を補うために忍者も兵力として組み入れられたのではないか、と利吉は考えた。

 忍組の中には見知った顔もいる。そのうちの何人かは、ひょっとすると石火矢で、――

 突然、ぐらっと足元の土が崩れた。
「うわっ」
 思わず短く声を上げて飛び退くが、十分に地面を蹴れず、尻餅をつきそうに身体が泳ぐのを何とか堪える。
 靄で覆い隠されていた塹壕の縁を踏み崩したようだ。軽く舌打ちした瞬間、まるでそれに呼ばれたかのように、地面の下から人影が躍り出た。

 五人。敵兵。みな手負いだ。塹壕に隠れていたのか。

 素早く目を走らせ、利吉は身を低くして半身に構える。が、踏ん張った右足首に嫌な痛みが走った。
「こんな時に!」
 忌々しい。
 ひん曲がった刀や柄だけの槍を手に利吉を取り囲んだ敵兵たちは、利吉が吐き捨てた悪態には頓着せず、異様に血走った目をしきりにぎょろぎょろさせた。誰も口をきかず、唇の端から赤と白の泡を吹き出すようにして垂らし、意味を成さない唸り声をひっきりなしに上げている。
 利吉は顔をしかめた。
「錯乱しているのか」
 恐怖という感情が振りきれてこうなってしまった兵士はある意味怖いものなしだ。相手が誰であろうと構わず殺到して来るし、自分の身命すらも最早省みない。何をしでかすか読み難いのだ。
 その上、足首は次第にじんじんと熱を持って痛みを訴えてくる。

 囲みを破れても、逃げ切れるだろうか?

 懐に手を差し入れて苦無を掴み、焦りを噛み殺しつつ利吉は少しずつ爪先を後ろへ滑らせる。
 特大の紙を引き裂くような雄叫びを上げて右手の敵兵が折れ刀を振りかざし、それに釣られたのか、左手の敵兵が刃欠けの素槍を振りかぶった。狙いも付けずいちどきに振り下ろされるそれらを抜き放った苦無で受け流し、左の敵兵の腹を蹴った勢いで後ろへ跳んで、背後を塞いで突っ立っていた敵兵に体当たりする。諸共に転倒するが利吉がいち早く起き上がり、苦無を突き出して牽制しつつじりじりと距離を稼ぐ。
 踵を返して一気に駆け出したい。しかし思った以上に捻挫は酷いようだ。右足にほとんど体重をかけられず、構えて立っているだけで体勢が崩れそうになる。

 ――親に先立つ親不幸なんて、冗談じゃない!

 目の前のひとりを斃して血路を開く、と肚を決めてしなやかに身を沈めた、その時だ。
「何事ぞ。騒がしい」
 靄の向こうから場違いに涼やかな声がした。がちゃり、がちゃり、と重々しい音が近づいて来て、滲んで見えていた灰色の影は、やがてはっきりとした輪郭を持って現れる。
 そこにいたのは古めかしい、しかし絢爛な大鎧に身を包んだ若武者だった。
 大鍬形の兜を着けた頭をひとつ巡らせ、それで状況を見て取ったらしい。肩に担いでいた今時珍しい薙刀をすらりと構える。
「この一手は私の懸り。お手出し無用に願います」
 新手の登場に色めき立つ敵兵から目を離さず利吉は言い放つ。
 大きく張り出した吹返に半ば隠れた若武者の顔は、まだあどけない程の年頃に見えた。名家の御曹司か何かなのだろう、昨日の今日で傷ひとつ付いていない鎧をまとった少年が、この場の助けになるとは思えない。
 しかし若武者は背に庇う形で利吉の前へ出ると、凛とした口調で命じた。
「木耳家中の兵の窮地を看過できぬ。下がっていよ」
 短慮な血気に逸る気配のまるでない、至極落ち着いた態度だ。その短い言葉に抗いがたい威厳を感じた利吉は、敵兵を警戒しつつも、やや後へ退いた。
「彼奴らは正気を失くしています。油断なされませぬよう」
「忠告、しかと心得た」
 明朗に応じた若武者は、一声叫んで突進してきた敵兵の胴を、薙刀の間合いに入るやぶんと打ち払った。肋を叩かれた敵兵が悶絶して塹壕の中へ崩れ落ちるのに目もくれず、二番手が繰り出した長柄槍の柄を足を上げて踏み付け、薙刀をくるりと回して石突でしたたかに鳩尾を突く。
 全ての動作が流れるように連続して、まるで舞を見ているように優雅でさえある。
 見る間に五人を突き倒し、反撃する気力も挫ききったのを確かめると、若武者は利吉を振り返って眉庇を少し持ち上げた。
「尋ねるのを忘れていた。そなた、大事(だいじ)ないか」
「……」
 声もなくまじまじと自分を見詰める利吉の視線に、若武者はたった今見せた戦い振りが嘘のような、慎ましくはにかんだ笑みを浮かべる。
 その顔は一瞥では深窓の姫君にさえ見える、度肝を抜かれるような美貌だった。


 日の出前に任務を終えてキクラゲ城陣地へ戻った利吉は、見聞した状況を事細かに伝えたあと、この戦に参加している大鎧の若武者はどなたかと良兼に尋ねた。
「大鎧? ――はて。そのような者がおれば相当目立つはずじゃが、覚えがないのう」
 不得要領にそう言って、良兼は首をひねる。
 名を尋ねる暇もなく、再び濃くなった靄に紛れて若武者は立ち去ってしまった。礼の一言くらいは言わないと気が済まない利吉はじれったくなって、若殿の隣で同じように頭を傾けている常光寺の方へ顔を向ける。
「空色の白抜紋様の直垂に小桜威の小札の鎧を着けて、昔の僧兵のような大薙刀を巧みにつかう、私よりも若いくらいの方なのですが」
「長槍や大太刀ではなく、薙刀を? ……ううむ」
「もしやその若武者は、」
 悩む常光寺を尻目に、何かに思い当たった様子で良兼が顔を上げる。
「供も無しにひとりで現れなんだか。源平絵巻から抜け出たような出で立ちで、身分のありそうな様子であるのに」
「はい。騎乗せず徒歩(かち)で、おひとりでした」
「顔立ちは? 女の子のような風貌の、物凄い美形ではなかったか?」
「はい、確かに。その方の御名はなんとおっしゃるのです?」
 利吉はまだ若武者の容貌のことは話していない。それを言い出したということは度忘れしていたのを思い出したのかと、勢いこんで尋ねると、良兼はあっさりと言った。
「知らぬ」
「え? あの、ご家中の方なのでは――」
「分からぬ」
 重ねて首を振る良兼はなぜか明るい表情をしている。それを見て何かを納得した顔で頷いた常光寺は、戸惑う利吉に向かって説明した。
「木耳家の味方であることだけが確かな、どこの誰とも知れぬ御仁が、時折戦場に現れるのだ。立派な大鎧姿で白兵戦に滅法強い、十四、五歳の美丈夫だ」
「左様。わしの初陣の頃から年頃も格好もまったく変わらぬままじゃ」
「……初陣? 良兼様の?」
 目の前の若殿はなにしろ六十七歳なのだ。その初陣とは軽く五十年は前の話だろう。その間、全く変化がないって?
 絶句する利吉をよそに、主従は懐かしい友人の噂でもするように和やかに話をしている。

「久しく見なかったが、まだ現世におわしたのだのう」
「そうですな。相変わらずのご様子で何よりです」
「しかしまあ、実のところ誰なのだろうな? わしの遠いご先祖様のどなたかだろうか」
「それはありませぬ。お顔の系統があまりにも違いますゆえ」
「ははは。失敬な奴め。……眼帯パッチンするぞ」