二十、
「こんにちはー。梯子、貸してくださーい」
用具倉庫の入口のほうから声が聞こえて、撒き菱の箱の中身を数えていた喜三太は手を止めた。
が、すぐにハッとして手元に目を落とす。
「……あ。あー」
次は百三十、六だっけ? 七だったっけ。
箱から出してどこかの隙間へ転がり込んだら面倒だからと、箱に入れたまま右から左へ積み替えて数える物ぐさをしたのが裏目に出た。やっぱり十個ずつ山にしておけば良かったなあと思いながら、喜三太は「はあい」と返事をして棚の陰から立ち上がった。
「あれ、喜三太が今日の当番?」
入り口の所に立ったまま倉庫の中をきょろきょろ見回していた伊助が、かしこまって損しちゃったと朗らかに言う。
ちょっぴり口を尖らせてから、喜三太はふにゃりと笑い返した。
「そうだよー。焔硝蔵で使うの?」
「ううん。教室で」
このくらいの大きさがいいんだけど、と伊助が自分の胸辺りの高さを手で示す。
「三尺ぐらい? それなら、梯子より踏み台のほうがいいんじゃないかな」
壁に寄せて置いてある頑丈な木製の踏み台を指して喜三太が言うと、伊助もそれを見て、少し眉を寄せた。
「あれ、天板が広いぶん重いだろ。ひとりじゃ教室まで持って行くのが大変だよ」
「僕も一緒に運ぶよ。ちょっと先輩に言って来るから、これに名前を書いといて」
伊助に筆と出庫表を渡した喜三太は倉庫の裏へ回り、そこで大箱いっぱいの釘を数えていた作兵衛に声をかけて、振り返ったその顔を見て自分の不用意を悟った。
黒板の上の「今月の目標」が曲がっているのが朝から気になっていたのだと言われて、喜三太は首をかしげた。
「そんなとこに、何かあったっけ?」
「土井先生が今のを聞いたら泣くよ」
二人で担いで来た踏み台を教室の黒板の前に据えて、ぐらつかないか軽く揺すって確かめる。伊助がそうしている間に見上げてみると、なるほど、「手を洗う時は爪の中までしっかりと」と書かれた紙が、やや斜めになって貼られている。
「上の方を一ヶ所留めてるだけだから、吹き込んだ風か何かで動いちゃったんだと思う」
そう言って伊助は掲示板の端に刺してある余りの鋲をいくつか引き抜き、それを喜三太に手渡すと、よいしょと踏み台によじ登った。
片手で鋲を持ったまま喜三太も器用に這い上がる。
「え、なんで? 下から鋲を渡してくれれば良かったのに」
「だって面白そうだもん」
喜三太が涼しい顔で答える。教室を俯瞰で見下ろす、というあまりない機会に乗らない手はないと言わんばかりの楽しげな様子に、伊助は呆れたように言う。
「そりゃまあ、高い所って面白いけどさ」
「それ、山田先生が聞いたら笑うね」
山羊と煙となんとやら。
気を取り直して伊助が目の前の張り紙に手を伸ばすと、目の前には、目があった。
吊るされた幔(とばり)を少し持ち上げて向こう側を覗こうとする時みたいに、傾いた紙の端を枯れ枝のような指が押さえている。
その陰に、見開いたまま瞬かない二皮目がいる。
細かな血管の走る白目の中で黒い瞳がぐるりと動き、凍り付く伊助と喜三太を順繰りに見た。
……じゅう。じゅういち。……おわり。
頭の中で声がした瞬間、かさりと微かな音がして、張り紙がまっすぐに垂れた。
それを見届けた伊助は、ぎちぎちと首を回して、左を向いた。
同じく見届けた喜三太は、そおっと首を回して、右を向いた。
「わあ!!」
同時に叫んで踏み台から飛び降りる。教室を転がり出て廊下を走り抜け、危うく衝突しかけた先生や上級生の「廊下を走るな」と言う注意も上の空に、さんさんと日の当たる校庭へ一目散に駆け込む。
そこで呑気にドッジボールをして遊んでいたは組の面々が、ただならぬ形相と勢いの二人に気が付いて、慌てて集まって来た。
「どうしたのさ?」
「何かあったの」
「大丈夫? 水、持って来ようか?」
声も出せずにぜいぜいと息を切らしながら、口々に言う級友たちを見回して、それから伊助と喜三太はお互いの顔を見た。
九人と二人で合わせて十一人。は組の生徒はそれで全員、それで終わり、だ。
走った熱さのせいとも冷汗ともつかない汗を拭って伊助が呻く。
「数えられてたんだ」
何の為に? と言いかけて、喜三太はひゅっと息を吸い込む。そして、恐る恐る囁いた。
「……もしかして、僕たち、在庫?」
何の為の?