二、



 蔵の整理をしたら古い冊子や巻物をどっさり収めた長持が出て来たと、学園長の知人の土豪が丸ごと寄贈してくれた。お陰でこのところ、図書委員会は暇がない。
 ありがた迷惑と言っては言葉がきつい。しかし、絵がいっぱいの草紙からお固い律令集まで何でもあるのは良いとして、とにかく数が多いのだ。これらを整理して分類して図書室の書棚に並べるところまで持っていくには、大変な手間がかかる。
 それでも、埃を払って虫干しする所まではどうにか終えた。次に待っているのは破損や傷みの程度をひとつひとつ確認する作業だ。が、この量ではたとえ分担しても、放課後だけではとても手を付けきれない。
「それで、休み時間まで仕事してるわけ」
 教室の机の上で久作が手際良く広げる巻物を、頬杖をついて覗き込んだ左近は、上目遣いにちょっぴり同情らしいものを込める。
「そういうわけ。頼むから邪魔してくれるなよ」
「話すのはいいだろ。これ、何の絵巻物?」
「どこかのお坊さんの一代記……みたい」
 流麗すぎて判読できない詞書のあとには、丁寧な筆致で描かれた活気のある市の光景が続いている。
 端の辺りで人を集めて説法をしているのがこの絵巻物の主役で、後光まで描き込まれた特別扱いだが、むしろ目を惹かれるのは生き生きとした人々のほうだ。品物を広げて客を呼び込む人、何を買おうか迷っている人、店先で談笑する人、荷を運び入れる馬借、そのあとをついて来る子供と犬、沢山の人や動物が色々な動きをしていて、同じ顔立ちはふたつと無い。
「この笠の女の人、きれいだな」
 不意に久作の後ろから肩越しに伸びた手が、白いもの売りの前に屈んでいる笠をかぶった女を指さした。
「へー。三郎次、こういうのが好みなんだ?」
 指先の女は翡翠色の袖を品良く持ち上げて、思案げな瓜実顔にそっと添えている。
 久作が口を開くより先に、三郎次を見上げて左近がからかう。
「そういうんじゃないけどさ。美人は美人だろ」
「無造作につっつくなよな。これ、紙が古いんだ」
「え、そうなの? ごめんごめん」
 振り返って軽く睨む久作に、両手を軽く上げて三郎次が謝る。それを尻目に今度は左近がそろりと紙面を指す。
「それなら、こっちの子は可愛いよな」
 熱心に喋っているらしい主役を遠巻きに囲む、市の客のひとりだ。きょとんと愛らしく小首をかしげて佇む女の子の足元には子犬がじゃれつき、梅の模様の着物の裾をくわえて引いている。
「そうかー? この右の子の方が可愛くない?」
「右ってどれさ」
「これこれ。社の前で何か喋ってるのの片方」
 三郎次が久作の背中にのしかかるようにしながら腕を伸ばす。押された勢いで絵巻物の上に突っ伏しそうになった久作は慌てて腕を突っ張って堪えると、拳を上げて三郎次の顎をトンと小突いた。
「お前ら、うるさい!」
「久作はどの子がいい?」
「僕は横を向いてる花売りの――じゃないだろ。もう、どっか行ってろよ! 邪魔すんな!」
「わー、久作がキレたー」

 しつこく茶々を入れようとする2人を追っ払うのにやっとのことで成功して、作業の続きに戻ろうと、改めて絵巻物に目を落とす。
 絵の中からまっすぐこちらを見つめる花売り娘とまともに視線がぶつかる。
「え」
 さっきまで横顔じゃなかったっけ。
 思い違い? いや、そんな筈はない……はず。この子が可愛いなと思って、ついつい何度も眺めていたんだから。でも、絵の中の人が振り向くわけがない。

 思わず顔を近づけて見直す久作の目の前で、顔を上げた花売り娘は、片目をぱちりとつぶってみせた。