十三、
街道外れの辻の所に立っている地蔵の裏、と決めてあった連絡中継所には、何の書状や暗号も残されていなかった。
小さな祠に収まった地蔵を掃除するふりをしながら辺りをくまなく探してみたが、それらしいものはやはり何も無い。
この方面の情報収集担当は八味地黄丸と三黄丸だ。性懲りもなく占い師とその弟子に扮して町に潜入していたが、それがまた忍術学園にばれて叩き出されたという噂は、どうやら本当だったらしい。
有名無名の忍びをして「凄腕」と畏怖されるドクササコ忍者隊の頭は、青物売りの変装のまま、地蔵の前にひれ伏すようにして深い溜息を吐いた。
傍目には何か大願があって熱心に拝んでいるようにも見える姿勢のまま胸の中で呟く。
これくらいで胃を痛めていたらこいつらの頭は務まらない。だがもし御利益をくれるなら、少しでいい、「順調」が欲しい。
気を取り直して顔を上げる。
道の向こうへ去っていく誰かへ向かって気楽そうに手を振っている、同じく青物売り姿の部下が目に入る。
その後ろ頭を担ぎ棒の先で小突き、「痛い」と抗議する声には耳も貸さず、行くぞと低く言って野辺の小路を歩き出した。
桶を担いだ部下は指先につまんだ細長いものをくるくる回しつつ、調子外れな鼻歌を歌っている。
「お前はもう二十一だろうが。ガキみたいに落ちてるものを何でも拾うなよ」
枯れた木の枝か鳥の羽の芯か、そんな得体の知れないものを横目で睨みつつ小言を言うと、手遊びを止めた部下は不服そうに言い返した。
「拾ったんじゃありませんよ。道端にいたおこもの婆ちゃんに、あとは帰るだけだからいいやーと思って菜っ葉をあげたら、お返しにくれたんです」
ほら、と傾けてみせた桶は確かに、適当に放り込んでおいた青菜がすっかりなくなっている。
領内の畑から調達してきた何の仕掛けもないただの青菜だが、頭(かしら)の渋い顔を見て部下は首をすくめた。
「いけませんでしたか?」
「いけない事はないが。あんな人通りの少ない所に"おこもの婆ちゃん"がいるのはおかしい、とは思わなかったのか」
「……。でも優しそうだったし、兄ちゃんらお地蔵様を大事にして優しいねー、いい男だねーって……。怪しくなかったですよ。まだ成りたてなのかも」
喋れば喋るほど深くなる頭の眉間の皺に、部下の声がだんだん小さくなる。
たまたま二人が地蔵の所へ行かなければ婆ちゃんは丸一日実入りなしに終わったはずだ。それを生業にしている者がそんな悠長なことをする訳がない。効率良く稼ぐには人の多い町中や街道筋に陣取るのが道理で、その道理を外しているのはいかにも怪しく、さては目的あっての何者かの変装かと疑ってみる理由には十分だ。
もっとも、ちらりと見かけたその小柄な老婆には、確かに警戒心を刺激するような気配は微塵もなかった。
その種の自分の勘は信用している。実際「成りたて」だったのだろう。隣で縮こまる部下に、そこまで教えてはやらない。
「……で、何なんだ、それは」
「狼の眉毛ですって。あんな婆ちゃんが、凄いですよねえ」
「なんだって?」
「狼の、」
「聞こえている」
あの小さい婆ちゃんが狼と取っ組み合って引っこ抜いてきたとでも言うのか。そしてお前はそれを信じたのか。リュウノヒゲを渡された日には天井知らずに尊敬しちまうのか。思わず額を抑える頭の隣で、部下は針金のような獣毛をひらりと持ち上げ、生真面目に言う。
「こうやって目の前にかざすと、人の本当の姿が見えるんだそうです」
濃い灰色の硬い毛越しに真剣な顔つきでじっと見据えられて、頭は心ならずも少し動揺した。
「なんだよ、本当の姿って」
「世の中は人のふりをした化け物だらけで、それが見えるって。牛鬼とか、虫頭とか――」
言いながら、白い目が険しく細められる。張り詰める奇妙な緊張感にいたたまれず、頭の目が意味もなくうろうろと泳ぐ。
部下の目元がふっと緩んだ。
「人間が見えました」
「当たり前だ!」
手加減なしに頭を張ったのをぶちぶち言われるのが面倒臭くなり、目についた茶店を指して懐柔を試みると、部下は渋々の体(てい)でそれに乗った。
「こんな所に茶店があったんですねぇ」
「流行ってはないようだな。――団子とお茶、二人前頼む」
店先の床几に腰を下ろしながら奥へ向かって呼び掛ける。はあい、少々お待ち下さいねえ、と女の声が返って来て、がたがたと人の動き回る気配がする。どうやらひとりで切り盛りしているらしい。
町からも村からも遠く街道からも離れたこの場所は立地が良くないようで、他に客は見当たらない。時折、馬を引いた馬借や行商人が遠くの街道を通るのが見えるものの、わざわざ道を逸れて来る者はいない。
部下は人が現れるたびに「狼の眉毛」をかざしてみるが、一向に化け物は見えないらしい。しきりに首を傾げては、やっぱりかつがれたのかなあ、などと呟いている。
「何を期待してたんだよ」
「婆ちゃんが、持っていればきっと役に立つからって言ってたんです」
「次からはそういう話を聞く時には眉に唾をつけとけ」
「それは狐対策ですよ」
「はい、お待たせしましたあ」
華やいだ声が割って入った。「狼の眉毛」を捧げ持って振り返った部下が、そのまま動きを止める。
これが店主なのか、目の覚めるような美貌の娘が襷掛けして前垂れを締めて、お盆を持って立っていた。青物売り姿の二人を見てにっこり微笑む。
「今日の売れ行きはいかがでした」
愛嬌たっぷりに尋ねる声も、床几に皿と湯呑みを並べる仕草も愛らしい。この姿を見るために客が押し掛けてもおかしくないような娘だ。
が、頭の目にはどうも良い感じがしなかった。自分の容姿のほどを熟知していて、かつ、それがもたらす効果を最大限に発揮するための演技をしているように見えた。
「おかげさまで」
あざとい女は好かんと考えつつ、頭は素っ気ない返事をして湯呑みに手を伸ばす。
その手を部下が押さえた。
「帰りましょう」
囁くような硬い声だ。それを訝しみ、顔を見てぎょっとした。
顔色が失せ切ったせいで青白くさえ見える目が凍りついている。
「あら。召し上がって行かれませんの」
娘が無邪気に小首を傾げる。うちのお団子、美味しいですよ。食べてみてくださいな。せっかく立ち寄って下さったんだから。
部下はそれには答えず袂から掴み取った小銭を床几に放り投げ、呆気にとられる頭の腕をかっさらい、脱兎のごとく街道へ飛び出した。
疾風のような速さで駆け抜ける二人連れの青物売りに、すれ違う人たちは驚き、飛び退き、何事かと振り返る。
忍びの技はさておいても、人を引きずっても走れる体力と脚力は折り紙付きなのだ。互いの足が絡まりそうになりながら部下にどうにか並走し、何がどうしたと尋ねかねているうちに、すれ違った牛飼いの爺さんが大声で叫ぶのが聞こえた。
「どうした、兄ちゃんたち。まるで鬼にでも追われてるようだぜ」