「ゆたにたゆたに」
唇から漏れた空気がぷくんとふくらみ、水中を昇っていく半ばで音もなく弾けた。
遠浅の海の底は柔らかい砂。そこへ静かに仰向けに沈んで、溶け消えた泡を見上げる。
細かく砕いた瑠璃を振りまいたような、やわやわと揺れる海面は、空の色を映してうっすら青い。
それを掴んでみたくなって、両手を差し伸べた。
緩やかな風になびくように、着物の袖が揺らめく。
船から見下ろす海はあんなに青いのに、海底の砂に届く光は白く見えるほどの黄金色だ。波につれてその光がうねり、細い波影が体の上に降りかかる。
まるでおとぎ話に出てくる天女の羽衣。
掴んだつもりの手をすり抜けて、ふわり、羽を広げるように体を包む。
ぼんやりと考えて、その想像が、自分にはあまりにも似合わないのに苦笑した。ぶくぶくと零れていく空気がもったいない。
細く立ちのぼる泡の中を、小さな魚が泳ぎ過ぎて行く。
小さい頃から陸にいるより海の中いる時間の方が長かったように思う。ゆったりと体にまとう水の重さが心地よくて、そこに抱かれていると安心した。お陰で魚に負けないくらい泳ぎは達者になったのに、未だに息継ぎは必要で、好きなだけ潜っていられないのはなんだか不公平だ。
と、水練仲間の舳丸にそう話したことがある。
舳丸は笑ったけれど、そのあとちょっと真面目な顔をして、実は俺も少しそう思うと言った。そして、笑うなよと前置きしてから、「こうやって年中海に入ってると、いつか竜宮城が見つかるんじゃないかとちょっと期待してる」と付け加えた。
重は笑わなかった。
竜宮城が本当に海の中にあるわけないって人は言う。でも、それを確かめた人もいないんだ。浦島太郎になるのはごめんだけど、もしいるのなら、きれいな乙姫様には会ってみたい。
もっと水の中を自由自在に動けるようになったら、あるいは。
いっそ魚みたいになれたら。いや、でも、いくら巧く泳げても、エラやヒレが生えてくるのはちょっとカッコ悪い。イカや蛸も、泳ぎは良くても姿が良くない。貝は外が見えないからつまらない。鯨は悪くないけど、なんか重ったるいしなあ……。
そうだ。どうせなるなら、思い切って海神。水龍がいいや。高貴で優雅で強くて一生水の中にいられて、なんたって海の守り神だ。乙姫様にも十分つり合うし言うことない。
うん、それがいい。それに決めた。
とりとめのない空想を破って、岸の方からがんがんと鉦を打ち鳴らす音が聞こえた。
鳴らす回数によって何の合図か決まっているけど、今のはやたらと叩いているだけのような。これ、何だったっけ?
あっと思い当たり、慌ててぷかりと浮上して、岸辺の岩場へ貫き手を切った。やがてはっきり見えてきた人影は仏頂面の間切で、重は心の中でしまったと舌を出す。
「間切兄、すいません。船番交代の時間ですね」
急いで水から上がって来た重を睨み、間切はぐいと片方の眉を吊り上げた。
「やっぱり忘れてやがったか。この、」
海河童めが。
「ウミガッパ?」
「てめえのことだよ」
思わず復唱した重にそう言い捨て、間切は肩をいからせ水軍館へ戻って行く。
水龍までの道のりは、まだだいぶ遠そうだ。