「花はうるわし」


 雪、雹(ひょう)、霙(みぞれ)どころか雨や雷の気配さえ少しもない青空に、そよそよと吹く風、爽やかに白い雲。暁の頃には山頂に暈(かさ)がかかり、うっすらと霧にけぶっていたが、草花に宿っていた露も今は消えて、明るい光が校庭に差している。

 庭掃除の途中で何気なく辺りを見回した乱太郎は、箒を動かす手をふと止めて、隣でちりとりを用意しているしんべヱに言った。
「ドクタケ忍者の名前って、たぶん偽名だよね」
「えっ。誰か出た?」
「ううん。今日はいい天気だから、何となく」
「お天気だとドクタケ忍者が出るの?」
「……えっとねえ。風鬼とか雷鬼とかさ、」
 今まで会ったことがあるドクタケ忍者は気象や天文、自然現象を表す漢字に「鬼」の字を付けた名前の者が多い。中には親子・兄弟・親戚もいるかもしれないが、おそらく大半は赤の他人同士なのに、名前に法則性があるのはわざとらしい。それによく考えれば、普段どれだけヘボかろうと彼らはれっきとしたプロ忍者なのだ。馬鹿正直に本名を名乗るはずがない。
 きょとんとするしんべヱに乱太郎が説明しているうちに、庭のあちこちへ散っていたは組の面々がなんだなんだと集まって、次々と話に加わる。
「偽名って言うか、忍者としてのコールサインとかコードネーム?」
「ドクたまもそうっぽいよね。みんな最後に"き"が付く言葉だもん」
「普段から父ちゃんにコードネームで呼ばれるってシビアだなー」
 二組いる父子鷹を思い出して団蔵が唸り、いぶ鬼、しぶ鬼、ふぶ鬼、と指折りドクたま達の名前を挙げようとして、三治郎がちょっと首を傾げる。
「そう言えば、山ぶ鬼だけ花の名前だね」
「男のドクタケ忍者は天象・気象で、ドクタケくのいちは植物の名前を付ける決まりだったりして」
「駆逐艦かよ」
「それじゃあ、例えば山ぶ鬼に付いていたかもしれない名前は、」
 そう言いながら兵太夫が「けや鬼」「ひの鬼」「くすの鬼」と土の上にがりがりと書く。これじゃまるで材木置き場だとすぐに周り中からつっこまれ、少し考えて「久寿の鬼」と書き直す。
「……うーん。なんか、イカツい感じ」
「どうせなら、山吹みたいにきれいな花や実がつくものが良くない?」
 庄左ヱ門の一声に、それならどんな植物があるかな? と、わっと頭を寄せ合ってきゃあきゃあ騒ぎ始める。たまたま通りがかり、掃除そっちのけで何やら楽しそうな一年は組を見た上級生の苦笑いや渋い顔は、もう目に入らない。
「さつき、つばき」
「むらさき、あずき、ほおずき」
「ねむのき、おだまき」
「つわぶき、みずき、はなみ」
「ぶふぇっくしょおん!!!」
 言いかけた喜三太を遮るようにしんべヱが盛大にくしゃみをした。それと同時に二本の太い滝が鼻から足元へ流れ落ちて周囲が一斉に飛び退く。後追いでふところから鼻紙を取り出し、これまた豪快に鼻をかんで、しんべヱは恥ずかしそうにむにゃむにゃと笑う。
「やー、今年は花粉が多いなあ」
「しんべヱの鼻炎は一年中じゃん」
「何回見ても驚くよなぁ、この量」
 横幅はあれど小柄な体のどこへこんなに水分が収まっているんだろうという疑問はさておき、しんべヱがくしゃみと一緒に粘っこい水たまりをぶちまけるのは一年は組にとって日常の光景で、今さら誰も慌てたりしない。すぐに何人かが置きっぱなしの箒やちりとりを取りに走り、残った者はとりあえずせっせと土をかぶせにかかる。
 両手や爪先で土をかき寄せながら、みな何となく口をつぐむ。
 さっき喜三太が言おうとした、白や淡い紅色の可憐な花と、目の前に広がる厄介なねばねば。たまたま名前に同じ音を持っていたふたつが頭の中で否応なく重なる。

 それに気付いちゃった上で、その名前を顔見知りの女の子に冠するのは、駄目だろ。人として。

「きれいな花なんだけどね」
「はにゃー……」
「それ、洒落?」