「柳と蛙」


 のんびりとした昼休み。教員長屋の縁側で茶飲み話に興じていたは組担任2人の所へ、とてとてと乱太郎が走って来るのに、先に気づいたのは山田だった。
「どうした乱太郎、そんなに走って」
「事務の吉野先生から土井先生にご伝言です」
「わたしに?」
 湯呑みを取り上げかけた土井が、口の手前でその手を止める。
「カニ、悪の在郷で、樽に合わない桃を干し、得手下し梨は藍、だそうです」
 乱太郎の言葉を聞いて山田は目を剥いた。一方の土井は一瞬考え、それからニコリと破顔する。
「分かった、ありがとう。今行くよ」
 ぽんと乱太郎の頭に手を置き、失礼しますと山田に断って縁側を立った。
「ああ、行ってらっしゃい」
 ポカンとしてお茶をすすりながら、連れ立って歩いていく2人の後姿を見送っていると、入れ替わりに縁側の向こうから安藤が歩いて来た。
 渋面をしている。
「何ですか、今のは」
「伝言ですよ」
「しかし、あれで意味が」
「分かるんですよ。土井先生には」
「ははぁ。妙な才能をお持ちですな」
 皮肉な口調である。が、これが常なので山田は気にもならない。土井が手付かずのまま置いていった茶菓を、良かったらどうですと勧めると、安藤は山田に並んで腰を下ろした。
「山田先生も大変ですな」
 麩饅頭をくるむ笹の葉をはがしながら、安藤が言う。
「大変、とおっしゃいますと」
「あんなに若い先生と組んでいては、なにかと面倒が多いでしょう」
「まあ、わたしの息子と言ってもおかしくない歳ではありますがねえ」
 確かに若さが出る事もあるが、なかなかに見所はあるのですよ。
 そう言って、湯呑みを傾ける。
「しかし、忍者としての経験も浅い。いざと言う時に頼りなくはないですか」
「とんでもない。わたしは彼を信頼していますよ。ああいう笑い方のできる男ですから」
 訝しげに、安藤は首を傾げる。
「本人は言いませんが、昔、色々辛酸を舐めたようです。でも、実にいい笑顔をします」
「笑うのと教師と、何か関係がありますかね」
「教師と言うより人となりですかね。いい笑顔のまま苦労できてるんですから、柳の強さの心を持っているのは間違いありません」
 ひん曲げられても押さえつけられても、しなやかにたわんで折れず、覆いが去ればすっくと立ち上がる。
 そういう人間を、信頼できない筈ありませんよ。
 湯呑みを片手に山田が笑うと、安藤は肩をすくめ、ぱくりと麩饅頭をかじった。もぐもぐ口を動かしながら遠くを見遣っていたが、何を見つけたのか不意にニヤリとする。
「そのわりには、生徒にきりきり舞いしておるようですが」
「は?」
 指差した方を見ると、わあっと駆けて行くは組の生徒が数人。それを猛然と追走する土井が「火薬で花火を作るなと何回言ったら――」と怒声を上げる。
 いつもの光景だ。
 山田はほりほり頬を掻きながら、弁解口調で言う。
「ウチの生徒は……あれは、柳に飛びつく蛙どもですから」
 飛びつかれれば当然枝は揺れる。曲がって、しなって、ゆらゆらと。
 きゃあきゃあ騒ぎつつねずみ花火のように八方弾ける子どもたちを、土井は律儀に追い掛け回す。それを目で追いながら、安藤は呆れたように首を振った。
「まるで十二人目の生徒がいるようですな」
「……ま、そうとも言えますが」
 ぶすりと山田が認めた。

「ところであの伝言はなんだったんです?」
「火薬の在庫で足りないものを教えて下さい、ですよ。たぶん」
 実は、山田は解読に今までかかったのだ。土井に聞かねば本当の答えは分からないが、追いかけっこは当分終わりそうにない。