「灯火」


 オニタケ忍者隊は人数が少ない。
 元々は大勢所属していたのだが、組織的な経費横領をきっかけとした一連の事件で首領の春牧行者の逆鱗に触れ、玉三郎と九丁目を除く全員が放逐されてしまったためだ。後にホウキタケ城から移籍してきた「早すぎた天才」を加えても、たったの四名にしかならない。
 と言っても、色々な意味で危ない研究に没頭している「早すぎた天才」は実戦向きではなく、昼夜を問わず実験室に籠もりっ放しで、首領は首領ゆえに部下とは交わらず行者の名の通り山中に居を構えているから、現在のところ忍者隊詰所で起居する実働要員は玉三郎と九丁目しかいない。
 数十人が寝起きできる詰所自体は文字通り「寝起きできる」だけの建物だ。屋根と壁の他には狭い土間がくっついた板敷きの広間があるばかりで、大して広くもないのだが、さすがに二人きりでは無闇にがらんとして物寂しい。
 という事は無かった。

「しかし、奇妙だよなあ」
 眼前に展開する惨憺たる光景から目を逸らし、隣で早くも途方に暮れた顔の九丁目に向かって玉三郎がわざと陽気な声を掛ける。
「……はぁ」
 しまい込んでいたものを手当たり次第に引き出してみると、広間はみるみるうちに私物と備品と大小さまざま種々雑多な品々に埋め尽くされて、一寸四方の隙間さえなくなった。それを土間から眺めつつ、溜息のような相槌のような声で九丁目が応じる。
 まともな忍び道具が三割、何だか分からないが何か使い道が見出だせそうなものが二割、がらくたにしか見えないものが七割。あれ、十割を越えたぞ。ごみ袋は何枚いるだろう? 年内最後の粗大ごみの回収日はいつだったかな。燃えるごみと燃えないごみもちゃんと分けないと、城の諸事役にまた怒られちゃう。
「えーと、その……、入道の大将が灌仏会だから戦を止めたなんて話、聞いたことあるか?」
「……ない。です。ね」
「あー、えー……、あれだな、信心ってやつは面倒臭いな」
 この惨状にどう始末をつけようかとぐるぐる考えて反応が鈍い九丁目に、やや話しづらそうにしながらも、玉三郎は声の調子を変えない。足元に転がって来た木組みの何かを拾い上げ、いかにも意味があるふうにこねくり回して、それを右から左へ移動させる。
 百日近くも飽かず国境で激しい衝突を繰り返していた戦線が、今朝早く突然争いをやめた。
 明日から現地で偵察任務に就く事になっていた玉三郎と九丁目は、おかげで予定がすっぽり抜けてしまった。ぽんと投げ出された時間の使い道に困り、結局、少し早めの大掃除だと、まずは持ち物を整理することにしたのだが。
 これだけのものを今までどこにどうやってしまっていたのか、その幻術めいた収納法は今やすっかり記憶から蒸発してしまった。
「このままじゃ今晩の布団も敷けないし、とりあえず、取って置くものとそうでないものにざっくり分けましょう」
「おう」
 広間の右側と左側を大雑把に指して九丁目が提案すると、さすがにまずい状況だと感じていたらしい玉三郎は、珍しく素直に頷いた。あれやこれやごちゃごちゃと積み上げられた山のひとつを早速崩しにかかる。
 その背中に向かって、忘れずに釘を刺す。
「あれもこれも取って置く、っていうのは駄目ですからね」
「……、おう」
 一呼吸遅れた返事に溜息で答え、九丁目も袖を捲り上げて目の前の古びた鎧櫃から手を付ける。
 聞き集めて来た話によると、停戦を持ちかけたのは、なんと現状で優勢な側の総大将だという。
 一進一退を繰り返すだけあって軍団の規模はあまり変わらないが、地方の土豪まで含めた小勢が数多く集まった優勢側と、三名の城持ちががっちり肩を組む劣勢に立つ側とでは、内情はだいぶ異なるらしい。
 優勢側の総大将自身は良く言えば実際家、悪く言えば罰当たり者と名を馳せる人物で、神仏関係者から己へ下されるありがたい説教を鼻息で吹き飛ばして憚らぬ手合いだ。
 しかし寄せ集めの配下には、名のある将から末端の雑兵まで、南蛮の宣教師が広めたでうすの教えを信奉する者が数多くいた。彼らは間もなくやって来る神の子の生まれた日、仏道で言うところの灌仏会のような日には、すべての争いをやめて祝いの祭りをせねばならぬと頑強に主張し、それが認められなければ陣払いして国元へ帰るとさえ言い出したらしい。
 手駒にごっそり抜けられ軍団を維持できなくなるのを憂慮した総大将は、有利に進んでいた戦を、腸を煮えくり返らせながら渋々止めた。
 だんまりで作業するのは気詰まりだと、手と口を今のところは等分に動かしながら選り分けに努めていた玉三郎は、ここで「だがな」と声音を転調させた。
「三人同盟の方も、劣勢を立て直す時間ができて儲けものって訳にはいかんらしい。何しろ相手は名うての梟雄だ。何かの罠かと疑って、逆に身動きが取れなくなったそうだ」
「へえ。そこまで計算してたんですかね」
 そう言った途端、ごんと鈍い音を立てて山の上から何かが落下した。間一髪で引っ込めた手のあった場所にごつい算盤が転がっているのを見て九丁目は口を曲げる。これ、だいぶ前に忍術学園から借りた物じゃないか! すぐに――出来れば年内には、返しに行かなくちゃ。
 頭の後ろを睨まれているのも知らず、玉三郎は豪快に山ごと右端へ移動させながら言う。
「さあね。頭のいいやつの考えることは俺達には分からんよ」
「達?」
「うわっ」
 山の天辺でぐらぐらしていた箱が転げ落ち、その中から刃物がどっと飛び出して、玉三郎は慌てて飛び退った。錆びた苦無やひん曲がった手裏剣や鎖の切れた微塵の錘が盛大に散らばる物凄い音に驚いて振り返った九丁目が、あっと声を上げ丸い目を見開く。
「心配無用! すべて避け切ったぜ」
「してません! 壊れっぱなしや使いっぱなしでしまい込んじゃ駄目だって言ったのに、ああ、もう……、あああ、もうっ」
 玉三郎が無茶をしたせいで落ちた箱につられてその山が隣の山へ崩れかかり、それがもうひとつ隣の山を倒し、飛び退いた玉三郎がぶつかった反対側の山も崩れ出して、崩壊が崩壊を呼び大峡谷から高峰連山に姿を変えていく広間の有様に、九丁目が頭を抱える。

 百日の戦は長過ぎる。激戦だから人も随分死んだだろう。長陣の間は農作業も冬の支度もできない。故郷の家族ともお互い気に掛かる。でうすと関係のない人たちだって、きっと停戦は大歓迎だ。先が見えない戦にずっと張り付けられっぱなしなんて、考えただけでもうんざりする。
 でも、先が見えないなら、足元だけ見ていればいい。
 一寸先は闇なら、その闇を見なければいい。
 少なくとも「今」自分の足元は明るい。「今」隣に仲間がいる。「今」やらなければならないことがある。なら全身全霊「今」に没頭して、先々どうなるのかなんて、悠長に思い煩う暇を作らなければいいんだ。
 でも、でも、今私は足元さえ見えない!

 緑青が浮いた小振りの釣鐘が転がってごおーんと鈍く鳴ったのを最後に、崩壊は止まった。
 九丁目を引きずって土間へ退避していた玉三郎は首を伸ばして注意深く広間を見回し、もう何も動いていないのを確かめると、掴んでいた九丁目の襟首を離して頭を掻いた。
「荷崩れに敷かれたくらいで、気絶すんなよ」
「……遭難するかと思いましたよ。詰所の広間で」
 やっとのことで息をついた九丁目が埃だらけの顔を手のひらでこすると、額に大きなこぶができていた。頭を打ったのだと気が付き、今更くらくらして思わず土間にへたり込む。
 崩れたものの中に何かを見つけた玉三郎が身軽にがらくたの上を渡って行くのをぼんやりと目で追っていると、戻って来た玉三郎は九丁目の目の前に立ち、ひょいとしゃがんだ。
「やるよ」
「へ?」
 鼻先に小袖を突き出されて、九丁目は目をぱちぱちさせる。
「古着だけどまだ新しかったし、仕立てもいいから買ったんだが、俺には肩幅が合わなかった。お前なら着られるだろ」
 一度着てそれっきりしまい込んでいたのが今ので出て来たと、ついさっきそれを咎められたのに悪びれずに言う。
「はあ……。でも、」
 手に押し付けられた生地が軽い。広げてみると、薄い藍色の地に、ほとんど白に近い水色から黒に見える紺色で染め出された模様は、大小の朝顔だ。
「夏ものですよ、これ」
「夏になったら着りゃあいいじゃねえか」
 玉三郎があっさり言い、そんなの――と反論しかけて、九丁目は口をつぐんだ。
 「今」は冬。「今」の先は見えないし、見ない。祭りが過ぎてまた戦が始まったら、きっと偵察任務を再度命じられる。それをうまくやり過ごした後には別の任務が待っている。偵察か、潜入か、密使か、危険と一心同体の仕事が。
 だって忍者なのだから。

 そんなの、それまで生きてるかどうか分からないじゃないですか。

 だけど、――だけど。
 呑み込んだ言葉がふわりと浮き上がり、仄かな光をまとって、闇の中を行く手へ向かってゆるやかに漂い出す。
 まるで、蛍みたいに。
「ありがとうございます」
 夏まではどうにか生きていよう。
 小袖をしっかり掴んで礼を言う九丁目に、玉三郎は広間の方を振り返りながらうんと生返事をして、「本当に今夜寝る場所もねえな」とぼやき渋い顔をした。