「失言」
釘の頭を打ちそこねた金槌が、指をかすめてガンと板を叩いた。
自分で振り下ろした金槌の意外な勢いに、作兵衛は思わず声を上げた。その声に留三郎が作業の手を止める。
「大丈夫か。手、打っちまったか?」
「あ、いえ、ギリギリで当たってないです。大丈夫です」
驚いた顔のまま答えた作兵衛は、それでも何となく、釘を押さえていた手をそろそろと持ち上げる。
ひっぱたいてしまった板には丸く槌跡が付いている。自分の金槌を置いて作兵衛に近付いた留三郎は、手を何度か開閉させて無傷なのを確かめると、その跡と作兵衛の顔を見比べて苦笑した。
「指を潰さなくて良かった。作兵衛、疲れてるな」
「いえ、すみません、気が緩んでました」
「金槌の跡、ひとつじゃないぜ」
指摘されて作兵衛は決まり悪そうに手を伸ばし、へこませた板を意味もなく撫でる。
荷台の板があちこち剥がれた荷車は火薬委員会の備品で、車軸が歪み全体にだいぶガタが来ていたが、買い換えの予算が下りないとかで用具委員会に持ち込まれたものだ。平身低頭する火薬委員ではなくその場にいない会計委員長に悪態をついた留三郎はしかし、修理自体は快諾した。作兵衛が作業場所に駆けつけた時には、必要な板は切り出され道具は整えられて、留三郎がひとりで作業にかかっていたのだ。
「急がなくていいって言われてるし、少し休憩するか」
「すみません。遅刻したうえ、先輩に準備をやらせちゃったのに」
「いいよ、そんなの」
秋の初めとは言え日差しはまだまだ暑い。木陰に入って足を投げ出し、あー、と声を出して伸びをする作兵衛に、留三郎が尋ねた。
「一年生たちは校外実習で遅れるって聞いてたけど、作兵衛は迷子の捜索か」
「え。分かりますか」
「そりゃ分かるさ。大変だな、毎度毎度」
決断力のある方向音痴と無自覚な方向音痴を縄で繋いで引き回す、鵜飼いさながらの光景はしばしば目にする。その縄をいつの間にか切られて途方に暮れている姿も。
厄介な同級生がいるというのは本当に厄介だ。本当に。
しみじみと深い同情を覚えている留三郎をよそに、作兵衛は懐を探って縄の切れっ端を取り出すと、無残にばらけたその切り口を眺めてはあと溜息を吐く。
「この太さだとむしろ綱なのに、あいつら、それでも千切っちゃうんです」
「……それで駄目なのか。いっそ注連縄でも使ったらどうだ」
「デカ過ぎて持ち歩けませんよ。丈夫な縄の作り方なんて、先輩、ご存知ありませんか」
「丈夫な縄ねえ」
釘をまとめて束ねていた紙縒りを指先で弄びながら、留三郎は呟いた。
細く捻ってある紙を丁寧にほどき、一枚の紙片に戻して、しわを伸ばすように軽くつまんで引っ張る。殆ど力を入れていないのに、紙はピリッと音を立てた。
「紙なら、丈夫にする方法があるんだがな。縄にも応用できるのかな」
手の中にくしゃくしゃと紙を丸め込み、留三郎は頭を掻いた。きちんと正座し直した作兵衛がキッと顔を上げる。
「物は試しです。教えて下さい」
「実際どうなのかは知らんけどな。すり潰したナメクジを紙に塗り重ねてよく乾かすと、刀も銃弾も通らないくらい丈夫になるっていう。簡易的な鎧兜ならその紙で作れるらしいが、あまり気持ちのいいものじゃ――」
口元を引き締めて聞いていた作兵衛の表情が「うえー」とでも言いたげに歪み、次いでスーッと青ざめたのに気がついて、留三郎は思わず言葉を切った。作兵衛の視線を辿り肩越しに後ろを振り返る。
可愛いペットを収めた壷を後生大事に胸に抱えた喜三太が、目にいっぱい涙を貯めて立ち尽くしている。わなわなと震える口が、大きく開く。
フォローの言葉を吐く暇もない。
「食満先輩の、鬼ッ!!」
響き渡る大音声は校舎を揺るがしたと後に語った会計委員長がその場で用具委員長に蹴り倒され、その理不尽さに速やかに切れて乱闘になだれ込んだのは、また別の話だ。