「先輩の見解」


 少し前までごった返していた食堂もすでに人影まばらで、何かの用事で遅くなった教師や生徒が数人、閑散とした卓について静かに箸を動かしているだけだ。
 その中の1人、足音高く食堂へ駆け込んで来た滝夜叉丸は、見るからに不機嫌だった。器を上げ下げする動作も手荒く、時折大きな音を立てては視線を集めているが、それに気がつく様子もない。
 いや、気がついてはいるようだが、改める気配は一向に見えない。まるで意地を張る子どものようだ。
 袖をひっかけ汁椀を倒しそうになった何度目かで、斜向かいにいた雷蔵が見かねて声を掛けた。
「怒りながら食べると体に悪いよ」
「怒ってなどおりません」
「その顔じゃ説得力ないって」
「わたしが怒る必要なんかありません。だから、怒ってなど」
 そう言ってますますまなじりを吊り上げ、勢いよく椀を掴んで相当に熱いはずの汁をがぶりと飲む。
 だから、説得力ないってば。
 口の中を火傷しないんだろうかと半ば心配し、半ば感心していると、不意に滝夜叉丸の眉がすうと下がった。やるせなさに満ちた視線を向けられた雷蔵はちょっとだけ怯む。
「不破先輩、」
「え、え、何?」
「わたしはまだ未熟なんでしょうか」
「何のことだい」
「1年生です」
「ええ?」
 脈絡のない話し振りに首を捻ると、滝夜叉丸は箸を置いて深々とため息を吐いた。
「1年は組の、あの3人です。関わりたくはなかったんですが、わたしでなければ分からない筈だと言って珍しく真面目に戦輪のことを聞いてきたので、それならと教えていたんです」
「上級生が下級生に得意な武器の扱いを教えるのは、いいことだと思うけど」
「わたしもそう思いました。材質、用途、効果的な使い方や手入れの方法、微に入り細を穿ついい質問だったので、こちらも丁寧に答えていたのです」
「うんうん。偉いね」
「が、迂闊でした」
「えーと……」
 またぞろ話が見えなくなってきた。
「時間をかけて全部話し終えて、第一声がなんだったと思います?」
「……さ、さあ」
「『やったーこれで今日の宿題終わりだぁ』」
「ありゃ」
 歩く武器事典扱いされていたわけだ。
 プライドの高い滝夜叉丸に正面から宿題を手伝ってくれと言ったところで、軽く一蹴されるのは分かりきっている。そこをくすぐってつるつる答えを引き出すとは1年生もなかなかやる。が、黙って立ち去れない所がまだ甘い。
 そりゃ怒るよ。
「お疲れ様だったね。それで遅くなっちゃったのか」
「そうではないんです」
 言いながら、眉尻がますます下がる。
「その後に『説明がくどいんだよなぁ、もうちょっと簡潔にできませんか?』とおまけの一言がついて」
「うわぁ」
 わっと逃げ出した3人を追い掛け回して、1人ずつ捕まえては剣突を食らわせ、その挙句があわや食いっぱぐれだ。
「やすやすと利用されたことに腹を立てたわけではないんです。それくらいで怒ったりなんてしません。ただ上級生に対する礼儀を教えてやらねばと……。しかし、どうしてもイライラしてしまうのは、わたしの精神修行が足らない故なんでしょうか」
 再び手に取った箸でぐずぐずと焼魚を突き崩す。その姿に、雷蔵はああと合点がいった。
 苛立ちの本当の対象は1年生ではなく、1年生相手に時間を忘れるほど本気で怒った自分なのだろう。プライドが邪魔をして認めにくいようだけど。
 それにしても、本気で相手をしたくないのなら、呼び止められても無視してとっとと逃げれば良さそうなものだ。そこをあえて引っ掛かってやるというのは、
「なんだかんだ言っても、君も1年生は可愛いんだな」
 雷蔵が言うと、滝夜叉丸はとんでもない冗談を聞いたという顔をした。
「バカな子ほど可愛いとは言いますが、本当のバカは可愛くありません」
 そう言うと崩した魚を飯碗に放り込み、汁をかけて一気にかき込み始めた。大きな碗の陰に顔がすっかり隠れてしまう。
 向こうから見えないのを幸い、雷蔵は小さく笑うと、自分も膳のものを片付けにかかった。

 可愛さ余ってなんとやら。そう言ったら、滝夜叉丸は、今度はどんな顔をするだろう。