「修羅をさやかにいく男」
朝靄の向こうから現れた隊列は、夫丸に牽かれた牛馬が荷や車を運ぶ荷駄隊だった。
三重の横列を組んで待機する鉄砲隊に戸惑うような雰囲気が広がる。
それでも、身じろぎする者、声を上げる者は一人もいない。
百に近い人数がここにいるというのに見事な統制だ。梢がそよいだほどの微かなさざめきを背後に感じ、照星は傍らに立つ首領をちらりと見遣る。
勾配の緩い丘陵の樹木線よりわずかに内側へ引っ込んだこの位置は、麓の街道をよく見通せ、かつ麓からは見えにくい、伏撃にうってつけの場所だった。
佐武鉄砲隊に合力を求めたとある城の伝令将校は、まだ夜の明けきらぬ早朝にこの街道を敵の軍勢が通行するはずだと、昨夜のうちに伝えて来た。
膠着した戦線を打開するため、後方に温存していた精鋭部隊を投入するようです。本隊へ合流する前に、そこへ撃ちかけて散々に叩いてくだされ、と。
荷台の積荷は米俵や兵の糧食、薪、燃料、馬の飼料のように見えた。砲弾や大筒などの武器弾薬を積んでいる様子はない。
腹が減っては戦が出来ぬ。そう考えれば、この荷駄隊は長陣に倦む人馬の胃袋を満たし士気を維持させる、心強い「精鋭部隊」ではある。
「単純な情報の誤認か、伝令将校がそうと知って言い回しを洒落たのか、それとも……」
木の幹に身を隠しながら遠眼鏡をあやつる首領の脇に折り敷いた照星は、口の中で低く呟いた。抱えた鉄砲には既に弾を込めている。が、銃口はまだ足元を向き、指は引鉄から外している。
街道を挟んだ向こう側の丘に目を凝らす。漂う靄にかすんで見えないが、そこでは別働隊が同じように斜面にへばりついて、照星が放つ一発目の銃声を待っている。
射手ひとりに薬込役が二人と鉄砲が三丁つく編成で横列に展開し、照星の射撃を合図に両側から一斉掃射を浴びせる作戦だった。弾込めの手間がない射手は間断なく撃ち続けることができ、鉄砲を次々と交換するから連射で銃身が加熱して照準が狂う気遣いもない。そうやって、後詰の部隊を壊滅状態に追い込むまで斉射を繰り返す手筈になっていた。
実際的な戦力である歩兵や銃兵の部隊ほどではないにしろ、これだけの荷駄が前線へ届けば必ず戦況に影響が出る。今この兵站線を潰すのが戦術として正しいのは明らかではある。
が、それをすれば、佐武昌義の名が「麾下の鉄砲隊に夫丸を撃たせた首領」として巷間言い触らされるもまた必定だ。
荷駄隊の人員の多数を占める夫丸は、兵士ではない。今この場においては牛馬や荷車と同じ運搬の道具で、人であって人ではなく、即ち戦闘員ではない。
九郎判官義経は櫂を漕ぐばかりが役目の水手・梶取を射させて壇ノ浦で武功を上げた。と同時に、道具を攻撃しないという不文律を破った卑劣漢の悪名をも得た、と言う。
あなたは、今義経になるつもりがお有りか。
今や遠眼鏡なしで見える所まで近付いた荷駄隊から目を逸らそうとしない横顔に向かって、心の裡で尋ねる。息を吸って吐くほどの間に余人の何生分の逡巡を重ねているのか、微塵の動揺も見えないその顔からは窺えない。
城から何らかの伝令が来る気配はない。取り決め通り撃つか、情報違いとして撃たぬか、判断材料は目の前の事実と勘のみだ。
首領が従うに足る決断を下す人物と知ればこそ、照星は既に、どちらにも応じる準備は出来ている。「放て」の号令あらば、自分の初弾が一方的な鏖殺の嚆矢となることを呑み込みつつ、対象へ銃口を向け引鉄を引くことに躊躇いはない。
無い、が。
そのあと世の人たちは、自分の意志ではなく命に順うて撃ったのだと言い訳のできる射手ではなく、第一声が舌先に上る寸前まで自らの頭で最善の手を考え抜いた号令者を、「慈悲なき非道の者」と必ずや糾弾する。
かと言って撃たずに見過ごせば、なぜ撃たなかったと城方に詰問されるついでに「臆病の気質なり」と決め付けられて、後退を知らぬ百足が印の佐武の軍旗を、汚されないとは限らない。
それら全ての謗りや咎を一身に受けてなお前へ歩み続けるのが、首領たる人間の覚悟であり責任と心得ているのだろう。それが証拠に、ほんの一言の相談さえも、首領は誰にもしようとはしない。
水手に矢を射た兵士は、雑兵であるがゆえに、唯の一人もその名を知られていない。だから全ての責めを義経ひとりが甘んじて浴びた。
それなら、多少なりとも名の売れた狙撃手である自分がここにいる事が、このひとに向かう誹謗を幾らかでも逸らしはしないか。
そう期待するのは、私の傲慢だろうか。
不意に首領が動いた。帯の右腰に差していた采配を、迷いのない動作ですっと抜く。
柄を握る手は半ば以上手甲に覆われているが、しっかりと血の通う肌の色をしているのが、鮮やかに照星の目に映った。
心を決められたか。――ならば、一心に。
銃身を握り直し、自分の手に目を落とす。その指先の爪はうっすらと朱い。
潮が引くようにしんと落ち着きを取り戻した全隊が、背を真直ぐに伸ばして立つ最前線の首領を静かに見守る。
晴れ始めた朝靄の中で、高く差し上げた右手の采配が、静かに振られた。