「RPG」


 ぺらぺらと喋り続けていた軽薄な声がふと止まった。
 一呼吸ほどの沈黙が落ちた次の瞬間、きゃあああ! と裏返り気味の甲高い声が響く。
「よしっ、行こう」
 茶店の裏手に控えていた乱太郎はきり丸としんべヱに頷きかけ、先頭を切って走り出した。
 その足が正面へ回り込む角を曲がる手前で急に止まる。
「うわっ」
「わーあ」
 乱太郎の背中に勢い良く衝突したきり丸が弾き飛ばされて、すぐ後ろに続いていたしんべヱにぶつかる。が、出番を待っている間に餅と団子を詰め込んだしんべヱのお腹にぼよんと弾き返されて、結局、きり丸だけが腹這いにべちゃりと潰れた。
「乱太郎! いきなり止まるなよ!」
「ちょっと静かに。おかしなことになってる」
 這いつくばったまま抗議の声を上げるきり丸を小声で制して、乱太郎は目の前の光景を指差した。

 店先の床几のそばに左足を引いた半身になって立っているのは、年の頃三十半ば程に見える、地味な顔立ちの男だ。
 しかしその格好は物凄い。
 髪は黄金色の平紐で巻き立てた大振りの茶筅髷。紐の両端に通した透明の玉が、男が頭を動かすたびにしゃらしゃら揺れる。
 下衣はいぶし銀で雲竜模様を箔押しした黒繻子の括袴。上衣は白さが眩しい袖無し帷子。その上から丈の長い肩衣をきっちり着込み、幅広な金紗の帯を胸高に締めて、体の前で大きく牡丹のように結んでいる。肩衣の地色は上から下へ向けて徐々に深みの増す群青、右肩に覗く真赤な日輪から伸びる放射状の線は先端へ向かうにつれて太くなり、錦糸と薄橙の混ざった縁取りにくっきり浮かび上がる。
 派手に傾(かぶ)いた衣装があまり似合っていない、それが為に却って目を惹くその男は、帯に差した五尺はありそうな大刀――その鞘も見事な螺鈿細工と金蒔絵が施された豪奢な拵えだ――に手を掛けるのも忘れて、ひたすら戸惑っている。

 ちぐはぐな傾奇者から二間ばかり離れて、地味な小袖に襷と前垂れを着け髪を手拭いで覆った、背の高い茶店の店員娘が立っている。片手で抱えたお盆をぴったり顔に引き寄せているから、ぱっちりと気の強そうな目元しか見えないが、その目に強い困惑を滲ませて、まるで金縛りにでも遭ったかのように居竦んでいる。

 その二人の間に割り込む、梅雨時の温気と湿気をこねて丸めてちょいちょいと目鼻をくっつけたような雑なつくりの人影は、馴染みたくないが毎度おなじみの花房牧之介だった。
 今日は左腰に刀を差している。
 それが真剣か竹光かはさておき、その柄に右手をかけ、左手で娘の手首を取って、足を踏ん張り何やら力んだ顔つきで娘の前に立ちはだかっている。

 仕事帰りの物売りや足を休める旅人、被衣姿の婦人に目深く笠をかぶった行脚僧などなど、たまたま居合わせた他の客が奇妙な三竦みに目を奪われる中、注目を集めて気を良くしたらしい牧之介が声を張り上げて喋り出した。
「この諸国修行中の天下の剣豪、花房牧之介の面前でぇ!」
 頬でも叩かれたようにびくりと傾奇者が身じろぎする。その拍子に、茶筅髷の平紐を飾る玉が日差しを受けてきらきらと光る。
「か弱き女性(にょしょう)に無体を働こうとするなどぉ!」
 店員娘の喉が、カエルでも飲み込んでしまったような若い娘らしからぬ音を立てて鳴る。
「いやしくも刀を帯びる者にあるまじき不埒千万、以て海内に比類なし!」
 思わせ振りに言葉を切った牧之介は芝居がかった動作で腰の刀を鞘ぐるみ揺すり上げる。
 その塗りの剥げかけた粗末な黒鞘と、傾奇者の絢爛な鞘を見比べて、今しも斬り合いになるかと固唾を呑んでいた客たちの顔は、時ならぬ見世物を期待する表情に変わっていく。気合は十分ながら素人目にも態度物腰が浮ついた牧之介は言わずもがな、立ち姿は牧之介よりも決まっているがどちらかと言えば優男寄りな風貌の傾奇者が見るからに困り果てていては、とても剣戟響く刃傷沙汰にはなりそうにもない。
「無用な争いは好まざれどもぉ! 愛と勇気と正義を体現したる身なればぁ! 其許(そこもと)の悪行、見過ごすわけに到底ゆかぬ!」
 好奇の視線を浴びていよいよ気を良くした牧之介は、奇妙に抑揚をつけた口調で大仰な口上を述べきると、得意げに鼻の穴を膨らませて、はったと傾奇者を睨みつけた。
 それを眺めつつ呆然と佇んでいた傾奇者は、何か言い返さんかいと催促するような周囲の雰囲気を察して、たちまち目を泳がせ出した。
「……どうする? お約束通り、石を投げてみる?」
 乱太郎の背中にくっついたまましんべヱが囁き、その脇から店先を覗いていたきり丸が苦い顔で首を振る。
「駄目だよ。誰に当たるか分かんねえもん」
「うーん。牧之介が現れたのは予定外だけど、この展開はそんなに悪くないのかも……」
 もっとよく見ようとぐいぐい前へ詰めてくる二人を背中で押し止め、乱太郎が腕を組んで唸る。
「もう少し様子を見よう」
「大丈夫かなぁ? あのおっちゃん、予想以上にアドリブが利かないぞ」
「牧之介も手を離さないし」
「しつっこいなぁ、あのスケベ」
 その時、傾奇者の目が茶店の陰でわちゃわちゃと問答している子供たちの上に止まった。細く整えた眉の両端が情けなく下がり、酸欠の鮒のように、ぱく、と口が開閉する。
「おう、なんだ? 申し開きがあるのか? ならば言うが良い!」
 傾奇者の視線に気付いたのか、突っかかる牧之介に腕を取られたまま店員娘もちらりと振り返る。
 先頭の乱太郎と目が合う。
 お盆の陰で薄く紅を引いた唇がゆるゆると開き、「助けて」と小さく動いた。


「目的が果たせたなら過程はなんでもいいではないか。そうだろう?」
 全く悪びれない牧之介に同意を求められて、乱太郎・きり丸・しんべヱの三人は、前の日に取り込み忘れた真冬の早朝の洗濯物よりも冷たい目で「不賛成」の意を示した。
 あれから少しの時が経ち、場所は変わって茶店の裏手。最初に三人が潜んでいた裏口前の薪置き場だ。
 客の中に紛れていたとある城の連絡役と密偵は騒動の陰で無事に密書の受け渡しを完了し、店員娘に絡む傾奇者に扮したはずが牧之介に絡まれた仲間の武士は、それを確認してよろよろと帰って行った。
 遣り取りを妨害するべく潜んでいたであろう敵方の刺客も、すべての客が引いた今、それらしい姿はどこにも見えない。
「それでもまだ曲者が近くにいるかもしれないんだから、黙っててよ」
 遠慮のない大声で喋る牧之介に釘を刺す乱太郎の声も、やや高くけんけんと尖っている。
 密書中継点である茶店の店先で騒動を起こすのは、敵の注意を逸らしつつ連絡役と密偵の身を守る為の陽動で、三人に任されたとても重大な任務だったのだ。
 傍若無人な傾奇者が店員娘に目を付け、実のない口説き文句をずらずらと並べ立てた挙句、娘が嫌がるのを無視して強引に連れ去ろうとする。そこへ店の裏から「近所の手伝いの子供たち」が飛び出して来て、お姉ちゃんをどこへ連れて行く気だ、お姉ちゃんに触るな、お姉ちゃんを返せ、人さらいだ、かどわかしだ、馬鹿馬鹿馬鹿! と大騒ぎしてみせる――という筋書きだったのに、それなのに。
 誇らしさに胸が(お駄賃でちょっぴり懐も)膨らむ仕事を台無しにしてくれた牧之介は、なぜか不服そうに太い鼻息を吐いた。
「どうしてお前らみたいなガキんちょにそんな大層な依頼が来るんだ? 世の中間違ってるなあ。ここに心ならず無聊をかこつ天下無双の剣豪がいるというのに」
「来るわけないじゃん」
「待て、それはどっちの意味でだ」
「僕たちはお手伝いだよ。依頼を受けたのは別の人」
「それじゃ、あの"娘さん"も仕込みか? あれ、女装した男だろ」
「えっ、分かったの?」
 ほりほり頬を掻きながら何気なさそうに言った牧之介にしんベヱが思わず反応し、乱太郎ときり丸が斜(はす)な目をして左右から小突く。
 的を射た牧之介は嬉しそうににんまりした。
「そんなもん、手を掴んだ瞬間に気付いたさ。あんなに手首のごつい若い娘がいるもんか。こいつは訳ありだと察したから、機転を利かせて咄嗟にひと芝居打ったのだ」
「大マジで調子こいてるように見えたけど」
「ふん、俺の大立者ぶりにまんまと騙されたな。あの娘の中身は忍術学園の五年生か、六年生か? 見た目はまぁまぁイケてたが、それらしく見せるには色気と愛嬌がもうちょい足らんなぁ、はっはっは!」
 いかにも世情に通じた伊達男の助言であるかのように言って取って付けたように磊落に笑い、この報酬はさっき食べた団子代で手を打つと早口に口走りつつ、牧之介はさっさと踵を返して立ち去ってしまった。
 きっと例によって財布が風邪を引いていて、最初から食い逃げするつもりで逃げる時機を伺っていたら、"芝居"が始まったから渡りに船と便乗したのに違いない。
 それはともかく。

「……だ、そうですよ。利吉さん」

 開いたままの裏口の戸から中へ向かって乱太郎が呼び掛けると、鼻先に雷が落ちたような大音響とともに、小さな茶店の建物がぐらぐらと揺れた。