「リターンエース」
「鬼はー」
「そとぉ!」
掛け声と共に放り投げた豆が勢い良く宙を舞い、地面や庭木の上にばらばら落ちる。先に撒かれていた豆をせっせとついばんでいる小鳥たちは、その度にほんのちょっと後ずさり、一呼吸置いてそろそろと元の場所へ戻って来る。
指先で二、三粒ずつ豆をつまんではちびちび投げていたきり丸が、長屋の庭に詰めかけたヒヨドリやらムクドリやらの鳥の群れを眺めて、ああもったいないとぼやく。
「撒けば撒いただけどうせ鳥が食っちゃうんだからさ。こんなにいっぱい豆を用意するなんて、あーもったいない、もったいない」
「縁起ものだからねえ。こういうところでケチると、それこそけちがつくって言うし」
「それじゃきっと、去年は医務室に撒く豆をケチったんだな」
「……きりちゃん。世の中には、言っていい事といけない事がある」
「……冗談だよ。鳥のやつら、だんだん図々しくなってきたな」
立春前日の本日、忍術学園では節分の儀式が執り行われている。
作法委員会の仕切りで挙行される厳粛な年中行事のひとつである。一年生に割り振られたのは、学園中に炒った豆を撒いて回りそこかしこに潜む邪気を祓うという、儀式の肝とも言える重要な役目だ。
ではあるものの、かしこまって「鬼は外」「福は内」と呼ばわっていたのはほんの僅かな間だけで、誰が一番遠くまで豆を飛ばせるか、とか、高い枝にぽつんと残った橙の実を豆で打ち落とせるか、にたちまち熱中して、こと一年は組については既に厳かさのかけらもない。
その上、思いがけない大盤振る舞いに気が付いてどこからともなく集まって来た鳥たちが、こちらはこちらで忙しく鳴き交わしたり取っ組み合って場所争いをしたりの大騒ぎで、長屋の前はまるで月の市のような賑わいだ。
片手に盛った豆の香ばしい匂いに誘われそうになるのを頑張って我慢しているしんべヱが、羨ましげに言う。
「突然ごちそうが降って来たんだもの、鳥は嬉しいよね。僕たちにしてみたら、飴やおせんべいが空から落ちて来るようなものだもん」
「この時期は餌が少ないし、一生懸命だよね――ありゃ、ごめんごめん」
しんべヱの手の中の豆を素早くかっさらって、乱太郎は隅へ押しやられているすずめの一団の方へぱっと放る。その飛距離がやや足らず、すずめたちの少し手前をうろついている一羽の鳩の上へ、ひとつかみ分の豆が降りそそぐ。
が、地面をつつき回るのに忙しい鳩は、自分の頭や背中にびしびしと当たる豆をまったく気にするそぶりもない。それどころか、翼の隙間に挟まった豆が転がり落ちると、それもすぐさま拾って噛み割っている。
「これがほんとの、鳩が豆鉄砲を食ったような顔……じゃなくて、痛くないのかな」
思わず呟いた乱太郎を悠然と見上げくちばしを動かす鳩は、つぶらな目をぱっちり開いて涼しい顔だ。
「羽がふわふわだから大丈夫だろ」
「ならいいんだけど。案外、動じないもんだ」
「食べるのに夢中なんだよ。その気持ち、分かる分かる」
鳩に共感を寄せたしんべヱが何度も頷き、そのどさくさに紛れて自分の口にちょいと豆を放り込む。半分に割った豆を手の中で転がしていたきり丸は、催促がましく足元まで飛んできたつぐみにそれを投げて、ようやく諦め顔をした。
「まぁ、鳥が喜んでるからいいか……」
「見たい?」
「え?」
不意に聞こえた声に三人が辺りをきょろきょろすると、長屋の角から背の高い二つの影が現れた。
同じ顔が、片方はにっと口の端をつり上げ、片方は穏やかに目元を緩ませている。
「鳩が豆鉄砲を食ったような顔を、さ」
「やあ。鬼は追い払えた?」
きょとんとする乱太郎にうそぶく三郎は、縄でくくった葱や大根を片手で無造作にぶら下げている。乾いた餅のようなものが沢山入った笊を抱えた雷蔵は、口々に挨拶するきり丸としんべヱに軽く応じてから、冗談めかして尋ねる。
「さっき小松田さんが出門票を持って飛び出して行きました」
きり丸が真面目くさって答えると、雷蔵は「それなら確実だ」と同じく真面目に言って、すぐに堪え切れずに吹き出した。
「追い払われて追い掛けられて、か。鬼は泣きっ面に蜂だな」
「先輩たち、調理実習ですか。献立は炊き合わせですか? おだしをよく含ませたの、おいしいですよねえ」
五年生たちが持っているものに目を留めたしんべヱは、早くも想像の中で出来上がった料理を味わったのか、うっとりした表情で口元を拭う。
「献立は合っているけど、授業じゃなくて夕食当番なんだ。今、五年の当番みんなで食堂から材料を貰って来たところで、」
「蜂じゃなくて鳩だよ」
話している最中の雷蔵の袖を三郎が引く。その弾みに、笊の中でからんと軽やかな音が鳴る。
「なんだよ、何の話?」
「鳩が豆鉄砲の例えは、予想外の出来事が起きて呆気に取られた時の顔が、豆をぶつけられてびっくりした鳩の顔のようだから、っていうのが由来だろう? 餌のはずの豆が飛んで来るのがまず鳩にとっては不可解だし、しかもそれを突然ぶつけられたら、そりゃ驚くよな。今がまさに丁度いい機会だから、一年生の良い子たちに慣用句の実例を見せてあげようっての」
「だから、何の話?」
「わざと当てたら鳩が可哀想ですよ」
訝しがる雷蔵と乱太郎を置いてきぼりに、次第に早口になりながらそう言った三郎は、雷蔵の笊の中のものをひょいと取り上げて振りかぶると、自分たちが出て来た曲がり角へ向かって思い切り投げつけた。
「うわっ。……あ?」
長屋の角を曲がった途端に飛んで来たそれを反射的に受け止めた兵助は、自分の手が高野豆腐を掴んでいるのを見て、やや間の抜けた声を出した。
睫毛の長い目がしばしばと瞬く。
次の一歩を踏み出すのを忘れたまま、ぽかん、としている。
「なんだこりゃ。投げたの、三郎か?」
「今のが、人間版"鳩が豆鉄砲を食ったような顔"です」
「あー……あはは……」
手の中の高野豆腐と、したり顔の三郎と、なんとも言えない表情の一年生三人組とを見比べて、三郎と同じく野菜を担いだ兵助は眉を寄せる。問いかける視線を向けられた雷蔵が肩をすくめ、ちらりと背後を振り返る。
そこには五月雨のように豆をばら撒いて遊んでいる一年は組と、その雨の中を、体に当たる豆つぶてもどこ吹く風で悠々と歩いている鳩がいる。
「理解した」
頷いた兵助が閃く手も見せず投げ返した高野豆腐が、三郎の鼻先を痛烈に叩いた。