「Call? Raise!」


「おい、そこの女! 何をしている!」
 村外れの小さなお堂を眺めていた女は頭から被っていた茜色の被衣を少し持ち上げ、いくらか戸惑った風情で、大声を上げた野伏の方を見た。
 早くも腰の刀に手をかけている。
 が、大股に歩み寄るにつれ、立ち姿や服装から相手は若い娘と見当をつけたらしい。厳しい顔を作りながらも値踏みするような目付きになっている。
 やや身を引いた女は慎ましく会釈をすると、被衣の陰から細い声で儚げに訴えた。
「こちらのお堂で休ませて頂きたいのです。道に迷ってしまいまして。その上にこの暑さで、疲れてしまいました」
 野伏は無遠慮に女を観察し、わずかに見える髪の先や袖に隠した指先をじっとりと睨め回して、ふんと鼻から息を吐いて顎をしゃくった。
「そんなもん、その辺の木の下で十分だろう」
「身繕いもしたいんですの。はしたない姿を人目に晒すのは嫌ですわ」
「へっへ。それこそ、そこいらで――」
 へらへらと言いかけた野伏の目の前で被衣を肩へ落とした女は、たっぷりと愁いを含んだ眼差しで、たおやかに野伏を見上げた。
 野伏はのけ反った。
 その姿勢のまま声を絞り出す。
「……と、とにかく駄目と言ったら駄目!」
「どうしても?」
「だあめ!」
「まあ、つれないこと」
 持ち上げた袖を楚々と口元に添えて女が嘆いた次の瞬間、野伏の目の前にパッと華やかな色が広がった。
 それが女の被衣と気付く暇もなく、叩き付けるような激しい衝撃を横っ面に浴びて、野伏の意識はそれきり寸断された。

 上段から斜め下へ鋭く振り抜いた足が地面に付くのと同時に、左手の草むらにフッと人影が現れる。
 着物の裾をはね上げた山田は、素早く腰を落とし足を開いて身構えた。
「待って下さい。わたしです」
 両手を上げた土井がそのままの姿勢で草を踏み分けて出て来る。
 いつもの私服に手甲と脚絆、笠を加えた遠出の出で立ちなのは、本日の設定が「お使い中の良家の娘とその従者」だからだ。道に迷って小さな漁村に入り込んでしまい、現在地の確認がてら一休みしようと頃合いの場所を探している最中です――
「と言う演技はもういいようですよ、山田先生」
 強烈な回し蹴りを食らって失神した野伏を見下ろし、土井が言うと、構えを解いて被衣を拾った山田はツンと明後日の方を向いた。
「……。伝子お嬢さま、裾をお直し下さい。おみ足が眩しいです」
「あらいやだ。それで? お堂のほうは確認できて?」
「いつまで続けるんですかこれ。今、番頭と野伏の頭領が中にいます。荷箱は12個すべて室内の隅に積み上げてありました」
 これくらいの箱、と一抱えほどの大きさを土井が手で示すと、山田は「それよ」と頷いた。
「港で盗まれた輸入品というのはそれに違いないわ。やはり番頭が一枚噛んでいたのね」
 出入りの貿易商が城に納入するはずの荷を紛失したと、キクラゲ城家臣・常光寺与ヱ門が血相を変えて学園へ駆け込んで来たのが授業の直前だ。大殿の言いつけで若様が手配した「もの」が何かは頑として口を閉ざしながらも、貿易商の主は手癖の悪い番頭が怪しいと睨んでいること、おそらく東国への横流しを企んでいること、大きくはないが陸路で運ぶのは困難な品であることを申し述べ、どうか盗品の在り処を突き止めて取り返してくれまいかと、聞き入れられねば刺し違えんばかりの勢いで懇願した。

 ことが大殿にバレたら若様の家督相続がまた遠ざかるのです!

「概ね常光寺殿の予想通りでした。この村は住人が少ないし、昼間はみんな漁に出払ってしまいますから、」
 言いさして、土井は真後ろへ左足を蹴り上げた。
 刀をかざして背後に忍び寄っていた野伏の顎を爪先が掠める。
 空を切った蹴り足が旋回する勢いに任せくるりと反転した土井は、そのままスッと身を沈め、蹴りを避けて顔を上げた野伏のがら空きになった腹に、流れるように猿臂を打ち込んだ。
「盗んだ荷の隠し場所に丁度良かったのでしょうね、っと」
 白目を剥いて声もなく崩れ落ちる伏兵を空中で捕まえ、無造作に草むらへ押し込む。
「そんな村を見るからによそ者の野伏がうろうろしていたら、ここが怪しいと宣伝しているようなものだわ」
 拾い上げた被衣を畳んで腕に掛けながら、山田は呆れたように首を振る。そして足元に伸びている野伏を指した。
「土井先生、この男もそこの草むらへ突っ込んで隠しておいて下さい。番頭たちが油断している間に勝負を決めてしまいましょう。この時間なら、今から学園に戻って午後の授業には間に合います」
「はい。あ、そうだ山田先生、お預かりした着物はこちらに、」
「ぷん」
「――伝子お嬢さま、お召替えを」

 お堂を取り囲む回廊に上って竹林と接する裏手へ回り、窓の下に張り付いて、中の気配に耳を澄ませる。
 海辺のさんさんと明るい日差しの中では紺色の忍び装束はかえって目立つからと、2人とも私服姿だ。傍目には日陰で一休みしている旅人か何かに見えるだろう。
 ただし、足元だけは忍び足袋を履いている。
「これはこれで、見咎められたら言い訳できませんね」
「なぁに。見られなければいいんですよ」
 男の着物に戻った山田は涼しい顔で答える。化粧は落としてあるが、青々としたヒゲの剃り跡が目に染みる。
「最近、自分の感覚が麻痺してきた気がします」
「ふん?」
 野伏が"伝子さん"を見て驚くという「自然な」反応をしたのを新鮮に感じたことに衝撃を受けた土井がぼそっと呟くと、その辺りを説明された訳ではない山田は、ただ怪訝そうな顔をした。
 窓の向こうからは人の耳をはばかる様子のない声が聞こえる。会話をしているのは2人だが、荷を見張っている野伏を含めると中に全部で7人いることは確認済みで、どれもこれも外にいた見張り達とおっつかっつの人相の悪さだ。どう見てもあまり素性のいい連中ではない。
「……明朝、まだ暗いうちに運び出して、東国行きの船に積む予定です。くれぐれもしっかりと警備を頼みますよ」
 やや甲高い声がそう言うのが聞こえて、山田と土井は無言で目を見交わした。
「ご案じなさるな、番頭殿。わしらが守りを固めたからには、大船に乗ったつもりでいるがよろしい」
 対照的なガラガラの太い声は野伏の頭領か、自信たっぷりに保証する。
「これはなんと心強い。このままうまく事が運べば、お約束通り礼はたっぷりと弾みます」
「よしなに頼みますぞ。それにしても、キクラゲ城の鼻先で唐渡りの品を横取りしようとは、番頭殿も肝が太い」
「いえいえ。わたくしの小知恵など、頭領殿の男ぶりの前には、ほんのちっぽけな芥(あくた)でございますよ」
「これはお上手。わしの目の黒いうちは何人たりともこの荷に指一本触れさせぬと、改めて言っておこう」
 くっくっく、わっはっは、と高低の笑い声が重なり、やがて下っ端の野伏たちらしい声もそれに混ざって、呑気な不協和音が人気のない村に響く。
 村中に置いた見張りたちが、あちこちの竹やぶや草むらで強制的に昼寝をさせられているなどと、夢にも思わないようだ。
「半刻後まで黒い、にAランチ」
 懐から取り出した宝禄火矢と鳥の子玉の点検をしていた山田が、下を向いたまま小声で言った。
 着物の各所に仕込んだ道具を確かめつつ土井が応じる。
「では、四半刻後に日替わり御膳」
「ふむ。その意気や良し」
 顔を上げた山田がニヤリとする。
「が、急くなよ、半助」
「承知です」
 土井が頷くと、真顔に戻った山田は腕を伸ばしてお堂の正面方向を示し、次いで手のひらを下へ向けて手を下げた。
 もう一度頷いた土井は音もなく回廊を飛び降りてするすると正面へ回り、回廊に上がる階段の下へ滑り込む。そこで息を静め、合図を待っているうちに、ふっと思い出した。
 確か、今日のAランチはおでん定食じゃなかったっけ?
「……こりゃ、のんびりしていられないな」

 一呼吸後、腹にズシンと響く爆発音が鳴り渡った。





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行動はアクション寄り、会話はほのぼの寄り……を心掛けましたが、動きの少ない会話劇と言うどっち付かずになった感がなきにしもあらず。は組担任ズをメインにした話はまだ書いていなかったので、二人で任務についた場合はどう行動する? どんな話をする? など、あれこれ考えながら楽しく書かせて頂きました。
和泉さま、リクエストありがとうございました!