「ただいま準備中」
「作兵衛、頑張れ、がんばれ」
「竹谷先輩、気を付けてぇ」
忙しなく人が行き交う校庭に、賑やかに囃し立てる声と笑いながらはしゃぐ声が楽しそうに響いている。
学園長に言いつけられたあの品はさて用具倉庫に保管していたか、それとも作法委員会の物置にあるのかと考えながら歩いていた留三郎は、それが聞こえてふと我に返った。見回すと飼育小屋の辺りに集合している一団がいて、その傍らの大きな木の下で、何やらわいわい騒いでいる。
生物委員が揃っているのはいいとして――他に見える顔は、一年は組の乱太郎・きり丸・しんべヱと、三年ろ組の作兵衛・左門・三之助だ。
各々の組み合わせ自体は珍しくないが、この三組が一堂に会しているのは珍しい。
更におかしなことには、八左ヱ門の膝のあたりにがっちり腕を回した作兵衛が、腰を落として両足を踏ん張り顔を真赤にして八左ヱ門を抱え上げている――上げようとしている――のだ。二尺ほど地面から足が離れている八左ヱ門は今にも重心を崩して頭からぐるんとひっくり返りそうに見えるが、そこはさすが五年生で、腹筋と背筋をフル稼働させつつ、水平に上げた両腕の高さを微妙に調整してうまく体勢を保っている。
「面白そうなことをやってるな。何だ、これ?」
留三郎が近付きながら尋ねると、笑顔のまま振り返った下級生たちは口々に挨拶する。
「あ、食満先輩。こんにちはぁ」
「こんにちは。上からすみません」
「こん、に、ち、ヴぁ」
「無理するな、作兵衛」
「していませんっ」
叱られた。
ええと――と組体操中の八左ヱ門と作兵衛から横に視線をずらすと、孫兵を筆頭に一平、三治郎、孫次郎の四人が、左門と三之助に結びつけた太い縄をしっかりと握り締めて立っている。それを見て変な顔をする留三郎と目が合った孫兵は軽く首をすくめ、手にした縄をちょっと持ち上げてみせた。
「作兵衛から預かりものです。長屋の大掃除の最中にふらふら出歩いていっちゃったって」
追い掛けて捕獲して引っ立てる最中だったというわけだ。
「最後の最後まで難儀だな、作兵衛は。生物委員会は?」
「生き物たちの冬ごもり準備の仕上げです。なにしろ昨日まで何も出来ませんでしたから」
今日は今年最後の日、大つごもりの日だ。
だというのに学園内には大勢の生徒がうろうろしている。
先月末に学園長の突然の思いつきで始まった「長期野営耐久サドンデスレース」が閉幕を見たのはようよう昨日のことで、その間、授業以外の一切の生活や業務は滞りに滞った。年内に始末をつけなければならないあれこれを片付けてなんとか今日中に帰省の途に就くべく、師だけでなく生徒たちも今なお、学園の中を縦横無尽に奔走しているのだ。
「それじゃ、しんべヱたちは――」
「冬休みがもらえるかどうかの瀬戸際でぇす」
ニワトリの観察レポートを提出しようと思って、と手に手に筆と帳面を持った一年は組の三人が元気に答える。同じ組の虎若と三治郎が苦笑いしているところを見ると、この三人だけに課せられた追試のようだ。
「そしたら、ニワトリが飛んだんです」
「うん?」
孫兵たちが持っている縄を見て考え事の続きに戻りかけていた留三郎は、空を指して乱太郎が言った一言にきょとんとした。
「そんで、この木のてっぺんに止まっちゃったんです」
校舎と同じくらいの高さの木を見上げて、今度はきり丸が言う。
「ニワトリって飛ぶのか?」
「五、六間くらいなら――飛べる――やつもいます、うわわわわ」
尋ねられた八左ヱ門がばたばたと両手を上下させる。羽ばたきの真似をしたのではなく、足を踏みかえようとした作兵衛がよろけたせいだ。
梯子を掛けたり下から登ったりするには高過ぎるし、先端の枝は細くて掴まるのは危ない。このまま逃げられても大変だ。天から降臨したやんごとなきものさながらに悠々と地上を睥睨するニワトリを仰ぎ見て、さてどうしようと生物委員たちが悩んでいると、そこへしんべヱが進み出た。
僕が捕まえて来ます、――と言うのでは勿論ない。
しんべヱは一番近くにいた虎若をおもむろに掴むと、弾みをつけてえいやっと放り上げたのだ。
「僕もびっくりしたけどニワトリもびっくりして固まっちゃって、おかげで無事に捕まえられました」
平然と虎若が言い、自由への逃亡に失敗して飼育小屋の隅で砂を掘っていじけているニワトリを目で指す。怪力のしんべヱがたまたま居合わせて助かりましたと、にこにこしている。
「人力カタパルトか。凄いって言うか……、うん、凄いな」
重い木材や石材もひとりでひょいと担いで運んでしまうしんべヱの剛力無双ぶりは同じ委員会の留三郎もよく知っている。知っているが、まさかこれ程のものとは。
「そこへ僕達が通り掛かりました!」
遅れを取ってはならじと、すぱっと挙手して左門が声を張る。
今の見た? 用具委員の一年生のしんべヱが同級生をぽおんと放ったぞ。大した力持ちだ。なら、同じ用具委員で三年生の作兵衛は、上級生を軽々持ち上げて投げるくらいはできるんだよな?
と、無邪気な質問なんだか意地の悪い挑発なんだかを作兵衛に言い掛け、つまんねえこと言い出すんじゃねえよと作兵衛がムッとして――
そしてこうなった。
「お前も"巻き込まれ"だな」
「いやぁ。面白いですよ」
作兵衛に脚を抱えられてゆらゆらする八左ヱ門は腕を浮かせながら気さくに笑う。土台になっている作兵衛は、背丈も体重も自分より上の五年生を次はぱっと空中へ放るのだとうんうん唸って、それどころではない。
しんべヱがしたような"超高い高い"ではなく、担ぎ上げて投げ落とすリバーススープレックスに近い形になるのではないかと留三郎は思ったが、それでも八左ヱ門は付き合ってくれるらしい。
……そう言えばこの状況、作兵衛の――富松の上に竹谷、か。
不意にくすっと笑った留三郎を、きょろきょろしていた三之助が不思議そうに見る。
「食満先輩も何か用事の途中でしたか」
「ああ。学園長先生に言い付かって、――ふふ。あれに南天や笹が入ればもっといいな」
他愛もない連想が、行方を捜索中の探しものと相まって妙につぼに入って、そんな事まで口走る。
園芸ですか? と左門が首を傾げ、ぱちぱちと瞬きした孫兵は、「ああ」と手を打った。
「門松ですね」
常緑の葉をつけた松と背の高い竹の寄せ植えに、南天、熊笹、梅、裏白、葉牡丹、ゆずり葉などをあしらった、歳神様の依代だ。
それの人間版が今、みんなの目の前で危なっかしくぐらぐらしている。
六年生のくせにつまんないこと言ってるぅ、と白けるような良い子たちではない。
富「松」と「竹」谷の組み合わせに改めて気付き、なるほどねーと大人っぽく頷く三年生と対照的に、一年生はわっと盛り上がった。
「兵太夫も呼んでこようか。笹山兵太夫、で笹だ」
「ちょっと苦しいけど立花先輩も。梅の花!」
「竹の追加で虎若も」
「たけ違いだよ。佐"武"だもん」
「じゃあ松――って、意外といるな。松千代先生に七松先輩に、小松田さん」
「勘弁してくれ、さすがに潰れるぅ!」
八左ヱ門をどうにか三尺近くまで持ち上げて、そこからどうしても次の動作に移れないまま腕と足がぷるぷるし始めた作兵衛が悲鳴を上げる。その頭の上をぽんぽんと叩いて「ほら、もうちょいだもうちょい」とあとは投げられるばかりの八左ヱ門が励ます。
それが良くなかった。
八左ヱ門の体重を頑張って支えていた作兵衛の腕が急激に、ふにゃっ、と萎えた。
「お、おお?」
「うわああぁあい!」
やけっぱちの気合一閃。
大きく傾いた八左ヱ門の身体は作兵衛の手を離れて、確かに一瞬、ふわっと宙に浮いた。
そして案の定――前のめりに地面の上に転がり落ちた。
「あーあーあー。どっちも大丈夫か、お前たち」
「大丈夫……です」
「です」
ごろんと後転をするような格好になった作兵衛は、負荷をかけ続けた手足のダメージは別として、しっかり顎を引いていたので特に怪我はない。が、作兵衛を膝で蹴らないよう思いっ切り勢い良く飛び込み前転を決めた八左ヱ門は、地面についた手のひらと鼻の頭と額をすりむいている。
「おー。こりゃまたいい男になったな、竹谷」
「ちょっと苦み走った感じですか?」
「うわぁ。何の騒ぎだ、これは」
少し離れた場所で別の声が呆れたように言う。振り返れば、作法委員会の一団が、まるで用具委員会のように大小の大工道具をそれぞれ抱えて通り掛かったところだった。
「仙蔵、今年の正月に使った注連縄の在り処を知らないか」
顔を見るなり留三郎にそう呼び掛けられた仙蔵は訝しそうに首をかしげる。
「注連縄? お焚き上げしただろう、正月の後に」
「それがどうも燃やしそびれて、どっかにあるらしいんだよなぁ。学園長がまた使うから探しておけって」
「ええー。そういうのって、いいんですか?」
仙蔵の後ろからひょっこり顔を出した兵太夫が作法委員長を見上げる。使い回しはあまり良くない、とかぶりを振って、仙蔵は用具委員長に目をやった。
「新しいものを作るならば、その管轄は用具かな。それとも作法かな」
「工作でもあり行事の儀式でもあり、で曖昧なんだよなぁ。あみだくじでもして決めるか?」
「それで今日作っても、一夜飾りは良くないから、門に掛けるのは明日の朝だな」
「てことは学園で年越し決定かよ」
「笹と花だ」
「向こうから来てくれたね」
「揃ったところで、今の"門松"をもう一回……」
「やんないからな。竹谷先輩、申し訳ありませんでした」
大声で仙蔵と相談している留三郎の後ろで、こちらはこそこそ小声が交わされる。ぱんぱんに張った腕をさすりながら作兵衛が頭を下げると、軽く笑ってその謝罪を押し返した八左ヱ門は、「しめなわ」と呟いて目を瞬いた。
「……七松先輩と、潮江先輩に食満先輩を足して、あとは四年の田村」
「ん?」
自分の名前が聞こえた留三郎が振り向く。独り言のつもりだった八左ヱ門はちょっと慌てて、空中に指で字を書きつつ釈明する。
七松の「七」と、そのものずばりはいないから、二に通じる文次郎の次と留三郎を合わせて「五」として、三木ヱ門の「三」。
しめなわは七五三縄とも書くでしょう?
「あんまり上手くねえな」
「承知で言ってます」
「さっぱり分からないぞ。留三郎まで一緒になって、何をきゃあきゃあやっていたんだ?」
「門松の中に入れるとしたらお前は梅だ、って話」
「はあ?」
賑やかで楽しい大つごもりの一日が、冬の短い昼を追いかけるように騒がしく過ぎていく。