「年々歳々」
食堂の壁に張り出された月間献立表を前に、野村がさっきからずっと浮かない表情で立ち尽くしている。
食事の詳細がずらりと並ぶ献立表、そして野村のあの顔。単純な足し算だ。
「『ラッキョ御膳』の日でもありましたか?」
食器を下げるついでに土井が冗談半分に声をかけると、野村は振り返りもせず、
「ありませんね。『練り物懐石』の日はありますが」
とだけ答えた。
「ほ、本当に? 何日ですか?」
「冗談です」
「……何を見てらっしゃるんです」
「これですよ」
そういって指差した場所には、おばちゃんの手跡鮮やかに「ちまき」と書かれている。
「ああ、今月は端午の節句がありますからね」
餡入りのしんこもちか、味付きのもち米か好きな方を選べると書いてあるけれど、まさかそれが気に入らないわけではないだろうに。
「睦月は正月、七草、鏡開きに小正月。如月には節分、初午、弥生の桃の節句」
唐突に野村がぶつぶつとを歳時を並べだした。一心に念仏を唱える禅僧のような、のどかな食堂にはあまりに似つかわしくない鬼気迫る様子に、他の生徒や教師もぎょっと注目する。
「……冬から春になれば根雪が溶け、水がぬるみ、鮒が泳ぎ、草花は芽吹いて、桜が咲き、田畑を耕し種を蒔く」
「野村先生、あの、」
「緑の風が薫り、麗らかな日が映え、木々の梢が輝く……いやまったく、豊葦原の瑞穂の国は四季の変化に富んだ風光明媚な国であることだ」
「はあ」
言葉とは裏腹に忌々しげに呟きため息を吐く野村に、なんとも声の掛けようがなくて、土井は個性のない返事をする。
有職故実か歳時記か、はたまた自然学の講義でもしようと言うのだろうか。実技担当だが博識な野村のこと、面白い話は聞けるだろうけど、教科担当には今更な話だ。それになにも食堂で話さなくても。そう考えながら首を捻っていると、周囲の目が、2人をどことなく遠巻きにしているのに気がついた。
これはマズい。
「そうですねえっ。ちまきみたいな行事食も多いですしねえっ」
土井は慌てて声を高くし、献立について話しているんだと強調した。が、野村は陰鬱に、
「ええ。何かにかこつけてバカ騒ぎをする習慣が実に多い」
とうなずく。
「一体、どうなさったんです?」
「花が咲いたといっては酒を酌み、米が実ったといっては舞い囃す。古人たちは、乱痴気宴会をしたいがために祭事を定めたのではないでしょうに」
「はあ」
「そして腹立たしいことに、この国には行事が多い。あまりにも多い。だから常に心を明らかにし、玉が盤を転がるように機に臨み変に応じねばならぬと、そう痛感しておるのです」
「はあ」
捻りもなく同じ返事を連発する。つまりは臨機応変、しかしそれと四季と何の関係があるだろう。
そう尋ねようとした時、突然野村が後も見ずに脱兎の如く駆け出した。
「野村先せ……」
「野村雄三ぉー! 勝負じゃあー!」
銅鑼を打ち鳴らす様なやかましい声と共に調理場から飛び出してきたのは、言わずと知れた大木雅之介だった。勝手口から入ってきたのだろうか、呼び止める間もなく野村の後を追って行く。
「何でお前はいつもいつもそう突然現れるんだ!」
「今日は五月晴れだからのお!」
「この前は雨が降ったからと言って来ただろうが! どうせ来月になれば梅雨だからと言うのだろう!」
「甘い! 来月は芒種じゃ!」
言い争う声がどんどん遠ざかっていく。
何かにかこつけてバカ騒ぎ。
「あれも年中行事かな。……いや、」
年中と言うには、頻繁すぎる。