「あたりまえの僕ら」
地図で調べておいた川の近くの木立に目をつけていたのに、辿り着いてみると、そこは既に他の班が陣張りを始めていた。
「ちぇっ。ひと足遅かったな」
「しょうがないよ、競争だもの」
わいわいと縄を張る級友たちを残念そうに横目で見る左近の背中をポンと叩き、その手で久作は上流の方を指さす。
「三郎次が戻って来たら、もうちょっと先まで行ってみようぜ」
「それはいいけどさ。天気、もつかなあ」
灰色の雲に覆われた空は、見上げるたびにどんよりと重さを増している。容赦なく照りつける夏の日差しを遮ってくれるのはありがたいが、ひとたび雨が降り出してしまったら、視界は悪くなるし足元はぬかるむしで日光よりも厄介だ。
場所こそ勝手知ったる裏山ながら、普段は持たない道具を背負い、自分たちで陣地を作って一晩を過ごす野営実習は、ワクワクと同じくらいドキドキもする。
だからと言って、お気楽なキャンプとは違う。何しろ忍術学園の二年生だ。偵察任務や潜入調査を想定した実践的かつ実戦的な訓練なのだ。
「おーい。左近ー、久作ー、おーい」
遠くから呼びかける声が聞こえて、2人は顔を上げた。
少し先の対岸で三郎次が手を振っている。
2人が同じく手を振り返して応えると、三郎次は両手を口に添えて、もっと大きな声を出した。
「こっち来いよ! この先に、そこよりもいい場所を見つけたぞ!」
天幕を吊っていた級友がそれを聞いて「ええー」と声を上げる。素知らぬ顔の左近と久作は、川面に突き出す岩の上を飛び渡って対岸へ渡り、元の3人組に戻ると林の中をてくてく歩き出した。
「そういえば、は組も今日は裏山で植物観察なんだってさ」
歩きながらふと思い出して左近が言うと、久作はキュッと顔をしかめた。
「知ってる。昨日、きり丸としんべヱが図書室で"食べられる野草図鑑"をひっくり返してた」
「ほとんど遠足みたいなもんだし、遊び気分だよなあ、あいつらってば」
「ほんとほんと。一年坊主は呑気で羨ましいや。――あれ?」
首を振り振り笑い飛ばそうとして、三郎次は行く手がやけに騒がしいのに気が付いた。
もう少し進むと林が終わり、その先にはちょっとした崖がある。まばらになった梢の向こうに見えてきたのは、崖の前を慌ただしく右往左往するちびの井桁模様たちだ。
「……また何かやらかしてる」
「さすがアホのは組」
「関わんないほうがいいぜ。面倒くさいけど、遠回りしよう」
木の陰にしゃがんでひそひそ話し合い、頷き合ってこっそり立ち上がる。
その拍子に、ガサガサッと大きな音を立てて潅木が揺れた。
「あ」
「……さこーん」
左近の腰の刀が枝を引っかけている。三郎次がおどろおどろしく嘆き、久作は天を仰ぐ。揺れる茂みを見つけて、一年生が駆け寄って来る。
「先輩っ!」
切羽詰まった声に、逃げ出そうとした3人の足が止まった。
崖はせいぜい校舎の3階ほどの高さだ。
その頂上より少し下、精一杯腕を伸ばしてわずかに足りないくらいの位置に、しんべヱが張り付いていた。
近道をしようと手甲鉤をつけて崖をよじ登っていたら、どういう加減か崖面に刺さった鉤が抜けなくなり、小さな出っ張りに辛うじて足がかかった状態のまま二進も三進も行かなくなったのだと言う。
「先生に連絡は?」
「三治郎と金吾が呼びに行ってます。でも、しんべヱの体力がもう限界に近いんです」
庄左ヱ門の返答を聞いて、三郎次はしんべヱを見上げた。両手足を踏ん張って持ちこたえているが、足や腕がプルプルしているのが地上からでも見える。
それから目を離さずに三郎次が言った。
「久作、天幕!」
「おう」
久作は背負っていた荷を下ろして手早く解き、野営の天幕に使う大きくて丈夫な布を取り出した。その端を掴んで振り広げ、浮き足立つ一年生たちをぐるりと見回す。
「全員、布の周りに集まれ。崖の下で広げるんだ。左近!」
「分かってる。乱太郎、きり丸、お前らは混ざるな。手当してやる」
お互いの身体を縄で結び合っていた乱太郎ときり丸はしんべヱに2人分の体重がかかるのを避け、縄を切って崖を滑り落ちたとかで、埃まみれのうえ顔や腕にひどいすり傷を負っている。
「そこそこ傾斜はあるけど、思い切ったことするなあ」
「……だって」
「だって、」
「だっても蜂の頭もない! ほら、邪魔だから向こうへ行くぞ」
崖の前を離れようとしない乱太郎ときり丸を左近が追い立てるのを横目に、崖下へ運んだ布を二年生2人と一年生6人で「せーのっ」と持ち上げる。
「おーい、しんべヱ! 鉤を外して飛び降りろ!」
「無理だよ、怖いよ~!」
団蔵が呼び掛けると、しんべヱは崖に顔をくっつけたまま泣きそうな声で叫んだ。
「大丈夫!」
「みんなで受け止めるから!」
「しんべヱ、飛べっ」
宥め励ます兵太夫や伊助を上回る声量で、三郎次が怒鳴る。
その途端、ぽろんとしんべヱが落ちた。
落下の衝撃でぐいっと布が引っ張られ、隣同士の肩や頭が激しくぶつかり合う。それでも、飛び降りたしんべヱは広げた布の中心にしっかりと収まった。
が、どこからか不穏な音がする。
「お?」
訝った虎若と喜三太が顔を見合わせる。
一拍おいて、びりびりと裂けた布の隙間からしんべヱがどすんと地面に落ちた。
「わぁっ!」
腕にかかる重さが突然消え、布を支えていた全員が同時にこける。
少しの間きょとんとしていたしんべヱは状況を把握すると、ちょっときまり悪そうに、しかし安心を顔いっぱいに浮かべて、地面に転がる先輩と級友にニコニコとお礼を言った。
「おしり痛いけど、助かった~。みんな、ありがと!」
「……おっ前なあ、も少し痩せろっ! それでも忍者のたまごかよ」
「今夜は雨が降るって予想なのに、屋根なしかよ~」
「まったく、は組に関わるといっつもこれだ」
「いたっ」
起き上がった三郎次と久作が口々に悪態をつく。少し離れてそれを見ていた左近も口を尖らせ、手当てが済んだ乱太郎の腕をペンと叩いた。
貴重な飲み水を使って泥を落とし、丁寧に包帯を巻いた腕だ。
乱太郎ときり丸は顔を見合わせてニヤッとすると、わざとらしく可愛い声を揃えて張り上げた。
「先輩方、助けて頂いてありがとうございました」
残りのは組が即座にそれに乗る。
「ありがとうございました。本当に助かりました!」
無邪気に作った声の大合唱に、二年生たちはてんでに明後日の方向へ目を逸らして、やけっぱち気味に叫ぶ。
「あーもう! お前らってホント、は組だよなあ!」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ子供たちを離れた樹上から遠目に見つつ、土井は野村に頭を下げた。
「申し訳ありません。実習中にご迷惑をお掛けしました」
「これもお互い訓練の一環ですよ。お気になさらず。それにまあ、何しろは組ですから」
「はは……。面目ないです」
反論できずにうなだれる土井から子供たちの方へ視線を移し、何気ない風に野村が言う。
「あの3人がね、」
「乱きりしんですか」
「三左久です。……語呂が悪いな。あの3人が"は組"と呼ぶのは、同じ二年生ではなく、一年は組のことなのですよ。あいつらは誰もそれをおかしいと思っていないのが、何ともおかしい」
二回目の「おかしい」は「面白い」の意味らしい。
私もそれに釣られたようですと野村が珍しく笑って見せ、一瞬驚いた土井は、やがて胃の上をひとさすりして苦笑いを返した。
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二年い組の三人で状況設定なしとのことでしたので、日常の一コマ的な話を書かせて頂きました。元祖上級生3人組メインでいつか書こうと思いつつ、乱きりしんの3人との違いをどう表したものか頭を捻っていたので、良いチャレンジが出来ました。しかし結果あんまり違ってないような……むむむ。
アヤイ様、リクエストありがとうございました!