「夏三題」
一
ジーワジーワと地から湧くようなセミの大合唱が、軒に吊るした簾の向こうから聞こえる。
日光はそこで遮られ、外が見えない分いつもより狭く感じる家の中は、昼間なのにうっすらと暗い。それでも、仰向けに寝転んで天井の梁の辺りを見上げていると、そこに溜まっているもわんとした熱気が見えるような気がする。
「あっつーい」
乱太郎は大の字になったまま、その空気に向かって文句を言う。
言えばその暑さが恐縮して出て行く訳でもないけれど、でも、言わずにはいられない。
「父ちゃんが子どもの頃だって夏は暑かった」
足元の方から、父ちゃんのもっともらしい声がする。
「じいちゃんが子どもの頃も、きっと暑かった」
午後の畑仕事を早々に放棄して、乱太郎とは点対称の位置で、父ちゃんも自堕落な猫のように長々と寝そべっている。その格好で説教臭い声を出されても、身を入れて聞こうという気には、到底なれるものじゃない。
「そりゃ昔っから、夏は暑かっただろうけどさぁ」
そう言って乱太郎はうんと腕を伸ばし、床の上の手拭いを掴んで、額に滲んだ汗をポンポンと叩くように拭く。
「それが自然の約束事ってもんだ」
「ご先祖様も、暑い日はこうやってゴローンとしてたのかな?」
「してただろうなあ。……なにしろ、仕事がないからなぁ」
「うちが三流忍者なのも、自然の約束事だね」
「なに言ってるんですか、2人して」
昼食の後片付けを終えた母ちゃんが笑いながら板間に上がって来た。暑い暑いと前掛けと頭巾を外すと、2人と同じくごろりと床に横になる。
水を打った簾を縫って吹いてくる風だけはほんのりと涼しく、3人の上をのろのろ過ぎて行く時間を、この暑い空間を、ゆっくりゆっくりかき回している。
父ちゃんが寝返りを打つ。
それを母ちゃんが頭巾で扇ぐ、パタパタいう音。
「売れっ子忍者だったら、こんな日でも仕事かな」
乱太郎が呟く。
「あんまり暑い日の忍び仕事は、ちょっと勘弁だな」
「そうよねえ、父ちゃん」
「……うち、三流で良かったよね」
暑い暑い夏の午後の底、水の中の魚みたいに、のんびりとたゆたう。
一流忍者もカッコいいけど、そんな過ごし方も好きだなと、乱太郎はぼんやり思った。
二
長い日ももはや暮れかけたというのに、飽かずタライに張り付いているしんべヱに、父が後ろから声をかける。
「ずいぶん長い間、観察してるなあ」
「なんだか、気になって」
「ほお、しんべヱにもこの情緒が分かるかい。涼しげでいいだろう」
父は嬉しそうに言って、しんべヱと並んで腰を下ろした。
昨日、明からの船でやって来た渡来品。一点の曇りもない見事な朱の体をした、小さな金魚だ。
満々と水を張ったタライの中で緞子のようなヒレを優雅にひらめかせ、時折、気まぐれに水面近くまで浮かんできては、さっと体を返し小さな水滴を跳ね上げる。
その姿形が何かに似ているなと、しんべヱはずっと考えていた。
女の人がつける紅をすうっと流したような――カメ子の赤い着物を洗い上げて竿に干したような――ケシの花びらを一枚、水に浮かべたような――ううん、もっと身近なものだ。僕にも馴染みがあって、つい最近見たばかりの……
そこまで考えた時、ぱっと思い付いた。
「あ、そうか。なあんだ」
「ん?」
「この金魚、スイカ色だね」
三角に切り分けたスイカの頂点をちょいとすくったひとかけら。水気たっぷりの透明な赤。それに似ているんだ。
ぐうっと大きな音がして、目を丸くする父をよそに、しんべヱはえへへと照れ笑いをした。
「ああ、すっきりしたらお腹空いちゃった」
「ん、まあ、もうじき夕食の時間だからなぁ」
「今日のおかず、なんだろうね」
さっさと立って部屋を出て行きかけたしんべヱの足が、襖の所でふと止まる。振り返ってタライを見る目は珍しく思案げだ。
「……金魚も、お腹減ってるんじゃないかな?」
心なしか悄然と座り込んでいた父は、その言葉に顔を上げ、総領息子を見た。
「餌、やってみるかね」
ぴちゃん。
まるで2人の会話に答えるかのように、金魚のヒレが水を叩く。
「うん!」
「ちょっと待ってなさい」
立ち上がり、しんべヱに背を向け棚から餌籠を下ろしながら、父は息子とよく似た豊かな頬を、知らずほころばせていた。
三
「きり丸、ちゃんと食べないと、動けなくなるぞ」
「うー……」
一膳の水漬けさえ持て余しているきり丸が、反省するでも反論するでもなく、茶碗片手に低く唸る。
土井は小さくため息をついて、刻んだミョウガに鰹節と醤油をかけただけの小皿を、きり丸の方へ押しやった。
「売れ行きがいいからと言って、ずっと店を張ってるからだぞ。これなら食べられるか?」
頬骨や鼻の頭が赤くなり、むくんだような顔をしている。その顔でちらりと小皿を見て、きり丸はゆらゆらと首を横に振った。
炎天下のトコロテン屋は涼を求める人々で大繁盛したものの、当の売り子は1日中熱射に炙られて、ふらふらになって帰還した。慌てて土井が診ると軽い日射病になっていたが、それでも笹藪で見つけたとミョウガを摘んできたのは、見上げた根性と言うしかない。
「あーら、まあ。味気ないお夕飯だこと」
不意に戸口から顔を覗かせた隣のおばちゃんが、小皿2枚と茶碗だけの食膳を一瞥するやそう感想を述べた。布巾をかけたお盆片手にずんずん中に入って来て、上がりかまちにどっかりと腰を下ろす。
「いい若い者が、しっかり食べないとバテるわよ」
「もうバテてます」
きり丸が元気なく答えると、おばちゃんは顔をしかめた。
「あんた、明日も忙しいんでしょ。そんなんじゃ駄目じゃないの」
「はぁ……」
「気の抜けた返事だわねえ。せめて、口当たりのいいものだけでもお上がりなさい」
そう言って、おばちゃんは手にしていたお盆の布巾を取った。
そこにはすっきりとした断面を見せる、大振りの半月形に切られたスイカが2切れ載せられていた。
「わあ! ありがとうございます!」
目を輝かせて礼を言うが早いか、きり丸は既にひとかじりしている。さっきまでのだるそうな表情はどこへやら、両手でスイカを抱えて、嬉しそうに瑞々しい赤を頬張る。
土井も思わず膝を乗り出したが、思い直して、そのまま頭を下げた。
「すいません。ご馳走様です」
「そんなのいいから、冷えてるうちに半助もお食べ。なあに、あんたも箸が進んでないじゃないの、それじゃきりちゃんを叱れないわよ」
「え、あ、ええ……あの、頂きます」
思いがけない攻撃に、あやふやに言って土井もスイカを手に取る。
あとは言葉もなく夢中でかぶり付く2人を眺め、おばちゃんは袂で顔を隠して小さく笑った。
それぞれに、夏休み。