「懐中一包価千金」
しゃらしゃらと膝を掃く下草を踏み分け落葉・落枝を踏みしだき、土井は単身、木立の間を駆け抜ける。
ちらと背後を窺うと、さっきまで歩いていた山道も引率していた子供たちも、既に視界の外にある。だいぶ引き離されたと舌打ちした途端に微かな風鳴りが聞こえ、頭上の太い枝が音を立てて折れ砕けた。
「……しつこいなあ」
降りかかる木端を苦無の一振りで払い除け、ちょうど眼前に現れた大木の後ろへ飛び込み足を止める。太い幹を盾に身を庇い、走って来た道なき道のそちこちへ慎重に目を配っていると、どこからかかちゃかちゃと金属同士の触れ合う音がした。
左手奥の樹上に土井が目を留めるのと同時に、梢から冬枯れの地面へ影がひとつしなやかに降る。
「しつこいなあ」
「それが仕事だ」
枝をへし折った流星錘の縄をくるくると手の中へ巻き束ねつつ、「凄腕」の通り名で呼ばれるドクササコ忍者隊頭は土井のぼやきに無愛想に答えた。
「実習で冬山散策の途中なんだけど」
「知っている」
「なら、放っといてくれないかな。また授業が遅れてしまう」
「持っているものをこちらへ渡せば、すぐにも」
今日学園から外へ出て行ったうちの誰かが、学園長が旧知の城主より託された密書を運んでいるのは分かっているのだと、書かれたものを読み上げるように平板に凄腕が言う。
それを聞いて土井は大きな溜め息を吐いた。
「上級生も校外実習をしているクラスはあるのに、そんな大事なものを、どうして一年生が任されたと思うんだ」
「お前らを決め撃ちした訳じゃない。効率は悪いが、外出した者に総当たりだ」
そして俺は外れくじを引いたと苦々しげな声で呻く。相手が一年生ならどうにかなると豪語するから、伴って来た新人には子供たちの追い込みを任せたが、正直言って欠片も信用できない。実技担当の山田を遠ざけるのは失敗したし、忍者の常識を豪快に踏み外してはばからぬたまごたちがどんな奇手を繰り出してくるか、凄腕にすら予測がつかないからだ。
どうせ相手にするなら、忍者らしい遣り取りができる五年生や六年生の方にしたかった。
「それはご苦労な」
「どっちの意味でだ」
「色々と、な」
わたしは密書など持っていないと、土井はあっさり口にする。
顎から鼻まで覆っている覆面を少し引き下げて、凄腕は片目を細めた。
「信用すると思っているのか」
「本当だってば」
土井はうんざりした声でそう言うと、隠れていた木の陰から半身を現し、苦無を左手に持ち替えて右手で懐を探った。咄嗟に袖箭を放つ構えをした凄腕に「動くな」と面倒臭そうに言い放ち、ややあって懐から引き出したのは、
「ほら。出席簿とチョークケースと、あとは三角定規しか持っていない」
土井がそれらの品々を掲げてみせると、凄腕の眉は八の字を描いたが、器用なことに目尻は釣り上がった。
「出席簿はともかく、山の中でチョークで何をするつもりだ」
「あ、直角三角定規もあった」
「どうでもいいよ!」
投げやりに怒鳴りつけられて土井は肩をすくめる。その拍子に、緩めていた懐から小さなものが落ちた。
「あ、」
草の根本に転がったそれを急いで拾おうとした土井の手元に、すかさず短い矢が突き立つ。
腕を伸ばし袖の内から矢を射た姿勢のまま凄腕が声を低めて問いかける。
「それは何だ。――こちらへ寄越せ」
「えー。これ、大事なのに」
「えー、じゃない!」
「ひぃえぇえーっ!!」
緊張感を破る素っ頓狂な悲鳴が木立の向こうから飛んで来て、凄腕ががくっと膝を折った。
「凄腕さん、凄腕さーん! 近くにいるんでしょー! たーすけーてー!!」
慌てふためいて藪を掻き分ける騒々しい音と情けない声に追い打ちをかけられた凄腕は、覆面をかなぐり捨てて、
「お前ら、自分で"子供相手なら楽勝"つったろうがっ! 期待はしてなかったけど案の定かよ!!」
と背後へ向かって吠えた。
この隙に落とし物を拾い上げた土井が、素顔を晒した凄腕を見て首を傾げる。
「……痩せた? いや、やつれた?」
その呟きが耳に入って己の状況を思い出した凄腕の胸元へ、小袋が投げ付けられた。ハッと振り返ったが、それよりもわずかに速く、大木の後ろから土井の姿が消えている。
畜生と足踏みをしてももう遅い。
見る者がいないのを幸い、顔いっぱいに子供じみた不機嫌を浮かべ、凄腕は思わず受け止めた小袋の紐をそろそろと解いて中身を検めた。
きちんと隅を折り込んで畳まれた薄っぺらい紙包みがおよそ二十と少し。
微かに埃っぽいような匂いがするそれぞれの包みの表には、達筆で「壮胃薬」と書かれている。
「たーすーけーてー、くーださーい」
泣き声混じりの懇願も耳に入らぬように手の中の小袋をしばらく見下ろしていた凄腕は我知らずひび割れた唇を舐め、そこに金気臭い味を感じると、乱暴に口紐を縛り懐に突っ込んで駆け出した。