「二刀流太公望」
「それにしても、今日はツイてたねー」
しみじみと乱太郎が息をつくと、同じ食卓についていたきり丸・金吾・喜三太・伊助は、申し合わせたようにぴったり同時に手を止めた。
大盛りご飯の丼を幸せそうに抱えたしんべヱだけが、ゆったりと箸を動かし続けている。
「……なに、その反応。私が運が良いとか言うのそんなにおかしい?」
「いや、ちょっと違和感が凄まじかっただけだから気にするな」
ひらひらと手を振ったついでに湯呑みを取り上げ、傾けた中身が空なのに気が付いて、きり丸はお茶の入った土瓶に手を伸ばした。
近くにいた伊助が先に土瓶を取り、恭しく差し出されたきり丸の湯呑みにお茶を注ぐ。
「サンキュー。あれ? 乱太郎も湯呑み空っぽじゃん。しょうがねえな、これあげるよ。伊助ー、もう一杯ちょうだい」
「え? ありがとう、……あ、茶柱」
「きり丸、はいよー。でも本当に運が良かったよ。昼休み前に校外実習から帰って来られたし。――しんべヱはお茶、まだある? 他にほしい人は?」
「僕もお願い。金吾にも。――ありがと。おかげで、食堂一番乗りだったしね」
日替わりAランチが大人気の唐揚げ定食なのは予定献立表で分かっていたから、実習が長引いたらその間に全部なくなっちゃうとみんなで気を揉んでいた。だから今日に限っては脱線せず大きな失敗もなく順調に授業が進んだ――訳ではないが、みんながいつになく大人しいのはランチが気になっていたからと知ったら、担任たちは呆れながら笑いつつへこむに違いない。
だって、おばちゃんの唐揚げ定食はおいしいんだもの。
入口前の食卓に席を取ったから、入って来る生徒や先生が乱太郎たちの食膳にチラッと目をやり、釣り込まれるように厨房へ向かってAランチを注文するのがよく見える。昼休みになったばかりでまだまだ売り切れまで余裕があるのに、どういう訳か揃ってやや慌て気味なのがおかしい。
それを横目に、熱々さくさく柔らかな唐揚げを悠然と頬張るささやかな優越感。口の中にじゅわっと広がる脂肪と肉汁の甘みが、ご飯と一緒に喉を通って胃袋に収まる充実感。
まさに、至福。
「いかにも滋養つけてるーっ、て感じがするよね」
茶碗にくっついたご飯粒まできれいに食べ終わった金吾が箸を置いて手を合わせようとして、ふと斜向かいのしんべヱを見た。そのまま少し考え、席を立つと、副菜のおかずを一皿買って戻って来る。
「珍しいね。金吾、そんなにお腹減ってたの」
喜三太の問いかけに、串に刺さった芋田楽をくるくる回しながら、金吾は決まり悪そうな顔をした。
「うーん。だって剣術の稽古もあるし、放課後は委員会で体力使うから、食べておいた方がいいかなって――庄左ヱ門も臨時の委員会会議だっけ?」
「うん、そう。ランチは取っておかなくていいって言ってたけど」
「あら。それなら、おにぎり作っておきましょうか」
金吾と伊助のやり取りに横手からおばちゃんの声がかかった。昼休み始めの第一波は落ち着いたようで、配膳口の人波は今のところはけている。
「そうだなあ――昼休みが終わる10分前になっても来なかったら、お願いします」
「はい、はい。間に合うといいわねえ。あんたたち、唐揚げが好き?」
「大好きです!」
「おばちゃんが作る唐揚げ、すっごくおいしいもん」
「ねー」
間髪を入れず口々に答える。それを聞いたおばちゃんはにっこりして、それから少し複雑そうな顔をした。
「そう言ってもらえる張り合いがあるわぁ。Bランチもね、今日はお魚の塩加減が絶妙に決まって、おいしくできたのよ」
「今日のBランチは――サゴシの塩蒸し、焼き葱、生麩の煮物とご飯と味噌汁?」
押し頂くようにしてお茶をすすっていた乱太郎が、頭の後ろの壁に貼ってある献立表を振り返って読み上げる。
「第三協栄丸さんのところから、いいお魚を頂いてね。新鮮だから素材を活かそうと思ったんだけど、育ち盛りには淡白過ぎたかしら、あんまり出ないのよ」
自信作なんだけどねえ、と残念そうにおばちゃんが首を振り、育ち盛りの子供たちは首をすくめてお互いの顔を盗み見た。
いっぱい遊んで運動して――まあ、勉強もして――ペコペコになったお腹には、しっかりこたえる物が食べたいんですと、空のお皿にうっすら光る油のあとに向かって心の中で言い訳をする。勿論それを責められている訳ではないのだが、落胆したおばちゃんの様子を見ていると、何となく申し訳なさがつのってくる。
と、満足そうなしんべヱの声が、重くなりかけた食卓の雰囲気を一掃した。
「ごちそうさまでした! あー、唐揚げおいしかったぁ。あれ? 金吾、その田楽どうしたの?」
のんびりと手を合わせたしんべヱは、金吾の前の芋田楽に目を留めて顔を輝かせた。僕も食べようかな、と、配膳口の上に掛かっている献立の札を見る。
「田楽もいいけど、おにぎりもいいな……今日のうどんはカシワか、おいしそう……あ、カレー。この頃食べてない。……カツ丼もしばらくだなぁ」
目移りしては楽しそうに悩むしんべヱを、喜三太がくすくす笑いながらからかう。
「しんべヱ、だんだん普通に一食分になって来てる。食べ過ぎると午後の授業で眠くなっちゃうよ」
「だって、ちょっと物足りないんだもん。授業中に僕のお腹が鳴ったら迷惑でしょ」
「"物足りない"って言った? 定食プラス丼ご飯大盛りと、一品料理もいくつか食べたのに?」
しんべヱの底なし胃袋っぷりに今更のように驚かされる伊助の向かいで、きり丸がぱちんと指を鳴らした。
「いいこと思いついた! 喜三太、こっち側に来いよ」
「はにゃ?」
「しんべヱは喜三太のいた場所、入口の正面。入ってすぐ見えるとこ。そうそう、そこに座って」
「えー?」
「んで、おばちゃん。Bランチ一人前、奢っちゃもらえませんか。第二波で売り切ってみせますよ」
「ええ?」
きょとんとする三人と自信のありそうなきり丸を見比べ何かを察した金吾は、同じように不得要領な顔の乱太郎と伊助に、「おいしいよ。二人も食べなよ」と芋田楽の皿を差し出した。
食堂の入口の前で右往左往しているのは遠くから見て不破雷蔵先輩かと思ったが、少し近付いてみるとあに図らんや、さっき別れたばかりの鉢屋三郎先輩と知れた。
「何あれ。不破先輩の迷い癖まで真似し始めたのかな」
「まさか。いくらなんでも、そこまで酔狂じゃないでしょ。たぶん」
失敬な会話をしながら庄左ヱ門と彦四郎が食堂へ向かって行く。二人に気付いた三郎ははたと足を止め、手招きして呼び寄せると、ぐっと深刻めかした声を出した。
「庄左ヱ門、彦四郎。大変だ。一大事が出来した」
「はあ。ランチが売り切れましたか」
「そうじゃない。そうじゃないから驚天動地の非常事態だ」
「と、おっしゃいますと」
「会議の後、たまたま雷蔵に会って一緒にここへ来たんだが、」
いつになく動揺を面に浮かべる三郎と、不審そうにしながらも動じない庄左ヱ門に挟まれて居たたまれない彦四郎が、ひょいと食堂の中を覗く。
「食堂に入るなりBランチを注文した。私じゃない。雷蔵がだ。一瞬も迷わないで、即断で、Aランチも定番メニューもまだあるのに、Bランチだ」
「よほどお好きな料理だったのでは」
「あいつは好き嫌いがないけど、その代わり特段にこれが好きって物も、」
「僕もBランチにします」
不意にきっぱりと言った彦四郎がすたすたと食堂の中へ入っていく。
ひどい肩透かしを食ったような表情で、三郎は庄左ヱ門を見た。
「……どうしたの、彦四郎は」
「とにかく僕たちも行きましょう。早くしないと、ランチが売り切れちゃいます」
三郎を促して入口をくぐった庄左ヱ門は、その真正面に陣取った級友が目に入った途端、思わず吹き出した。
なるほどこれは迷わない。
空きっ腹を抱えて食堂に来た瞬間、これ以上の幸せはないって満面の笑顔で嬉しそうに楽しそうに、おいしそうにぱくぱくと魚を食べる姿を見せつけられたら――
これは、釣られる。
「ああ……、そういうカラクリか。誰が考えたの?」
納得顔の三郎は、しんべヱと同じ食卓でニヤニヤしている一年は組の面々を見回した。
「はーい。僕でーす」
「名付けて、忍法!」
「"他人の欠伸はうつるの術"!」
「忍法かなあこれ」
「庄ちゃんってば冷静ね」
「――Bランチ、残りあと二人前よ」
厨房から飛んだ声に弾かれ、庄左ヱ門と三郎が慌てて配膳待ちの列に並ぶ。
大量の釣果をあげたしんべヱは、骨についたひとかけの肉まできれいに片付けると今度こそ十分に満ち足りた顔をして箸を置き、静かに合掌して晴れやかな声を張り上げた。
「ごちそうさまでしたぁ!」