「帰り道」


 手の中から、ふ、と小さな手が抜けた。
 声を掛ける間もなく、たたたっと道端の藪に分け入っていく。褪せた橙色の小袖の背中で、結い上げた髪のしっぽがぴょんぴょんと跳ねる。
「危ない所に行くんじゃないぞ」
「分かってますって」
 大声で注意すると、毬のように弾んだ声が返ってくる。
 その言い方に苦笑し、その場で待つことにして、空いた腕を組んだ。さて、一体どんないいものを見つけたのやら。
 街へ続く道は、本筋ではないせいか、人通りもなく静かだ。人と牛馬の足で踏み固められた埃っぽい道に中天の初夏の日差しがしんしんと降りかかり、じっとしているとさすがに少々暑い。
 この時期の山のものなら、山椒か山苺あたりか。そんなものを摘んでいるのならいいけど、蛇苺は生じゃ食えないって確か教えたはずだから、持って来たら注意しよう。ああ、竹が生えているから根曲がり竹でも掘っているのかな。あれは町のお菜屋に高く売れる。それにしても、まさかまた厄介ごとを拾ってきやしないだろうな。騒動に巻き込まれる才能ったら天才的なんだから。
 知らずそんな心配をしている自分に気づき、やれやれと胃の上を撫でた。
 手のひらにまだ、小さい手の温もりが残っている。
 その境遇を知った時、戦で住む所も家族も失いながら稚気を失わない、なんと強靭な子どもだと感嘆した。
 帰る場所も、全身寄りかかって甘えられる親もない。それでもいつも笑っている。笑って、怒って、不満をたれて、喧嘩してイタズラして、人一倍手を掛けさせて、自分ばかりあっけらかんとして、辛いとか寂しいとかは微塵も表に出さなくて、格好悪いと文句を言いながら素直に手を繋いで。
「どうしてもって言うんだったら」
 繋いでやっても、まあいいか。そんな態度のくせに、繋いだ手をぶんぶん振って、弾むようにここまで歩いてきた。
「先生、はい」
 出し抜けに差し出された小さい手に、はっと目を上げれば、甘葛のツルが鼻先で揺れている。髪に服に草の汁やら千切れた葉っぱやら沢山くっつけたまま、逞しい子どもは既に一本口にくわえてご満悦の表情だ。
「いっぱい生えてたから、取ってきた」
 もう片方の手に10本ばかりの束を掴んで、ツルを口から放さないまま器用に言う。
「ありがとう」
 礼を言って受け取ると、幼い顔いっぱいにニッと得意げな笑みが広がった。その顔のまま、手持ち無沙汰に下がっていた手をぎゅうと握り締めて歩き出す。
「夏休みの宿題、ちゃんとやるんだぞ」
「分かってますってば。お目付け役がいるんだし」
「言っとくけどバイトは手伝わないからな」
「げげぇ。ちょっとだけ、ね、お願いします」
 審査眼の厳しいこいつから見たら、教師とは言え25の青二才はまだ役者不足だろうか。
 でも、せめて今はお前が子どもらしくいられる居場所でいるから。いつか必要なくなる時まで繋いだ手は離さないでいよう。

「早く帰りましょうよ。明日からできるバイト探すんだ」
「寄り道したのはお前だろ」
 含んだツルは、明るく甘い。