「それはそれで」
緑が映えるヤツデの大きな葉がお盆の上に十三枚。
そのひとつひとつに、表面に大豆味噌をまぶした俵型のお握りが乗せられている。
ほんわり湯気が立ち昇るお握りを取り囲んだ二十二個の瞳はどれも、憂いを帯びて硬い。
「何が起きたのか、」
無言のまま佇むばかりの一年は組の面々の中でいち早く立ち直ったのはやはり、学級委員長の庄左ヱ門だった。きりりとした表情で顔を上げ、うつむきがちに横目で牽制し合う級友たちを見回して、凛と声を張る。
「何をしたのか、どうしてこうなったのか。ひとつずつ検証しよう」
庄ちゃん相変わらず冷静ね、というお決まりの突っ込みさえない。庄左ヱ門の宣言に続く新たな声もなく、ただひたすら、居心地の悪い沈黙が落ちる。
矢衾のごとき視線を浴びながらお握りは静かに座っている。
重い口を最初に開いたのは、十一人の中でもひときわ悄然と肩を落としていた金吾だった。
「僕たちの班は、僕の迂闊だ」
ぱっと顔を上げた虎若と三治郎が何か言いかけたのを目で制す。
「委員会で裏々山へランニングに行った時、丁度いい木を見つけたから、葉っぱは僕が取って来るって言ってたんだ。虎若と三治郎はそれを洗って塩をまぶす役で」
だから金吾は、形の良いものを選んで持ち帰った葉っぱを、生物委員会の活動中で不在だった三治郎の部屋――の前の廊下に置いておいた。
うっかり部屋の中に入れば、どんなからくりが待ち構えているか分からないからだ。
「……僕の部屋は魔境だし」
休みの間に、ほんのちょっとでも片付けておけば良かった、な。
小声で言った虎若が、同室の団蔵と顔を見合わせてしゅんとする。
「お掃除はともかく、そこからあとは、親切心が裏目に出る偶然が重なっちゃったんだ」
金吾の背中にそっと手を添えて三治郎が弁解する。
生物委員である三治郎の部屋の前に籠いっぱいの木の葉が置いてあるのを、同じく生物委員の孫次郎が、少し遅れて飼育小屋へ向かう途中で見つけた。孫次郎はそれを動物の――馬やうさぎや鶏の餌にするものを三治郎が忘れていったのだと思い、その籠を拾い上げて持って行った。
折悪しく虎若と三治郎は孫兵と一緒に「ちょっとその辺へ散歩に出掛けた」ジュンコの捜索に出払っていた。委員長代理の八左ヱ門は顧問の木下との相談ごとがあってその場におらず、留守番の一平は孫次郎が持ち込んだたくさんの葉っぱを見て、「すぐ使えるように、みんなが帰って来る前に全部刻んでおこう」と提案した。
ようやくジュンコを捕獲して帰還した虎若と三治郎は、細かく刻んで積み上げられた籠の中の葉っぱが何なのか、話し合いを終えて来た八左ヱ門が匂いで指摘するまで気が付かなかった。状況を把握して白くなった二人が泡を食って探し出した代替品は、形は何となく似ているという孫兵の発言に飛びついた、学園内に植わっているヤツデの葉だった。
「似て非なるものって言うかまったく別物だけど、そう大きくは外してない……と思うんだけど……ダメかな」
こわごわ上目遣いをする三治郎の表情は、許されないと分かっている許しをそれでも請うように切羽詰まっている。
眉間を押さえていた指を離した庄左ヱ門は、こそこそと輪の中から抜けようとしている一団に目を向けた。
「小豆はどこへ行ったの」
少しずつ歩幅を盗んで後ずさりしていた団蔵ときり丸、兵太夫の足がその場で止まる。
「煮たよ!」
「俺たちはちゃんと煮たよ!」
投げられた石を打ち返すように素早く兵太夫が答え、団蔵が急いでそれに続く。しかしきり丸は口をつぐみ、明後日の方へ目を逸らして冷や汗を浮かべている。
「そう。ところで、材料はきちんと全部使った?」
落ち着いた口調の庄左ヱ門の質問に三人が黙り込む。兵太夫と団蔵がそろそろときり丸に顔を向けるのを見た残りの皆が同時に納得顔をして、きり丸がきっと眉を釣り上げる。
「なんだよ! みんな、俺が材料をケチって半分残したとでも言うのか?」
「違うの?」
「小豆は三分の二残して、あとは大豆を混ぜた」
「……大は小を兼ねるって言って聞かないんだもん、きり丸が」
「……砂糖なんてもったいないって、代わりに甘葛の汁を入れちゃったし」
「それなら少なくとも、甘い煮豆は出来るはずだ」
ぼそぼそ言い訳するところは開き直り気味のきり丸に比べて幾分殊勝気に見える兵太夫と団蔵に標的を絞って、庄左ヱ門が二人に向き直る。
「隠元豆や鶯豆を原料にしたものもあるんだから、例えばその煮豆を潰して使ってみても、そう悪いようにはならなかったかもしれない。それがどうして煮豆どころか味噌になったの?」
兵太夫にじろりと横目をされた団蔵が首をすくめる。両手を持ち上げて左手は何かを押さえる形に、右手は何かを弾く仕草をしつつ、困り笑いと愛想笑いが相半ばした曖昧な顔をした。
「火にかけた鍋は交代で番をしてたんだけどさ、俺の番の時、急に会計委員に召集がかかったんだ。決算済みの帳簿に今になって記入間違いが見つかって、その月の帳簿はみんな計算やり直しってことになって、それで……鍋を見てる暇が……なくなっちゃって、ね、」
瞬かない庄左ヱ門の目に萎縮した団蔵が言葉を途切れさせ、兵太夫が渋々その続きを引き取る。
「僕もきり丸も別の用があって交代できなかったんだよね。で、火を強くして早く煮ちゃおうってことになって。薪をくべ過ぎて焦がした、ならまだいいんだけど。いや、良くないんだけどさ」
団蔵ってば竈(かまど)に薪と間違ってもっぱんを放り込んだものだから、その煙がいっぱい混ざり込んだ煮豆が、ひと嗅ぎしたが最後の催涙兵器になっちゃったんだ。
食べ物を武器にしちゃうのって会計委員の習性なのかな。
「虫じゃないんだから習性って言うなよ……」
「それはともかく、」
目に染みる煙を大急ぎで追い出し、残してあった小豆で慌てて作り直そうとしたが時既に遅し、小豆と砂糖はきり丸の手によって幾ばくかの銭に姿を変えた後で、何も無いよりはマシとどこからか大豆味噌を調達してきたのもきり丸ではあるのだが、
「だってほら、大と小の違いで同じ豆だし。味噌餡ってのもあるだろ?」
同意を求めてきり丸は皆を見回したが、共犯の二人を含め頷く者はいなかった。
「乱太郎、しんベヱ、喜三太。お米の担当は君たちだったね」
庄左ヱ門に呼びかけられた三人が揃って身構える。乱太郎は喜三太を見て眉を下げ、それを受けた喜三太がしんベヱに視線を向けて口を尖らせ、注目を集めたしんベヱはどこか断固とした雰囲気を漂わせて庄左ヱ門に対峙する。
「おばちゃんが用意してくれたの、色も形もきれいで粒が揃ったいいお米だったんだ」
「そうだったね」
「蕎麦の実や麦を挽いて食べるのは、丸ごと煮るより、手を加えたほうがおいしいからでしょう」
「そうだね」
「同じ穀物でも、お米はふつう挽かないで食べる。それは何故か?」
「うん」
「"そのままでおいしいから"だよ。そして僕の信念では、一番おいしい食べ方で食べるのが食べ物に対する礼儀なんだ。だから、そのまま研いで炊いちゃいました、です」
取って付けたような敬語を使った所にいくらかの怯みはあるものの、きっぱりと言い切るしんベヱに、さしもの庄左ヱ門も次ぐべき言葉を寸時見失う。
食べ物に対する執着が人一倍どころか二倍三倍でもきかないしんべヱがそう言い張ったら、乱太郎や喜三太だけではなく、他の誰にも止められはしない。が、用具委員の喜三太としんベヱがいれば倉庫から石臼を借り出すのが簡単だし、乱太郎は保健委員会で薬種や薬草をすり潰すのに石臼を使い慣れている、だから米を挽いて新粉を作る係はこの三人が適任だろう、と推薦したのは庄左ヱ門だ。
それが仇になった。
ことこの班については自分にも責任の一端が無いとは言えないという自覚に、庄左ヱ門はぎゅっと唇を噛む。
乱太郎が小さく挙手をした。
「あのー……言い訳させてもらえる?」
乾かしていない生米って、やってみたらすごく挽きにくかったんだ、と呟く。
おばちゃんならきっと、それでも上手に粉にできるコツを知っているんだろうけど。
お節句の日は急な用事ができちゃって、ごめんね、今年は作ってあげられないの。
そうだ。お餅にするお米や小豆は準備してあるから、あんたたちみんなで作って、みんなでおやつにしなさいな。難しそう? 大丈夫、きちんと手順通りにやれば難しいことはないわよ。
食堂のおばちゃんに作り方を説明してもらって後を託され、各々いざやと腕まくりで取り掛かったものの、出来上がってみればご覧の有様で。
ヤツデの葉に乗せた味噌お握りを、柏の葉でくるんだ餡入り新粉餅――端午の節句の柏餅だと主張するのは、ちょっと――少々――少しばかり――無理がある、かな?
食器係の伊助は今、この惨状を知ることもなく、作法委員会へ行事用のお皿を借りに行っている。一年は組お手製の柏餅をかしこまって乗せる為の上等なお皿を。
お米はしんべヱが上手に炊いた。きり丸が持って来た大豆味噌は、出どころ不詳ながらなかなか悪くない。そのふたつを組み合わせたお握りが美味しくないはずがなく、それが末広がりで縁起のいい「八」の字を名に持つヤツデに乗っかっているのだから、おめでたくないはずがない。
金箔付き漆塗りのお皿に乗せたって違和感があるはずがない。
ないって言ったらないって言ったらない。
「いくら待ってもお握りが柏餅に化けるわけじゃなし、出来ちゃったものはしょうがない。一年は組流、新しい趣向の端午の祝い膳ってことにしよう」
「……おお、庄左ヱ門が投げた」
「前向きな拡大解釈だよ」
餅菓子に合うものを、と勇んで選んだお茶とその道具一揃いをちらっと見て、庄左ヱ門は軽く溜息を吐いた。