「目には目を歯には歯を」


 陽は穏やかにうらうらと晴れ、空はすっきりと青く、まだ少し冷たい春風は地面の若草や梢の若葉をゆるやかになびかせている。
 その風に乗って、楽しそうな歓声と笑い声がどこからか聞こえて来て、陽射しの暖かさを楽しみながら山路を歩いていた里芋行者は足を止めた。
「あそこ」
 少し遅れて立ち止まったミス・マイタケ城嬢が、下に見える川の辺りを指さす。
 河原に集まっているのは近くの村落の子供たちらしい。男の子も女の子も着物の裾を帯に挟み脚を剥き出しにして、浅瀬の水をパシャパシャと跳ね上げながら、お互いの体を叩き合っている。目を凝らしているうち、彼らが手に手に白い紙の人形(ひとがた)を持っていて、それで相手に触れているのが分かった。
「鬼ごっこかしら。それともあの子たち、陰陽師のたまごかしら?」
 眩しい木漏れ日を頭からかぶった被衣で遮りながら、若い妻は可愛らしく首をかしげる。
 実態が分からない生業という点ではよく似ている忍者のたまごと付き合いがあるから、そんな発想が出てくるのかもしれないが、それにしても陰陽師とは。奥の歯で笑いを噛み潰し、里芋行者はもっともらしい顔で相槌を打った。
「なるほど、式神の依代に似てるなぁ。でも、あれは多分、人形にケガレを移しているんだろう」
「あ、そうか。上巳の節句ね」
 納得顔のミスマイがぽんと手を叩いた拍子に被衣が肩まで落ち、すんでのところで里芋行者が受け止める。
「あらら。ありがとう、ごめんなさい」
「どういたしまして」
 そんなやり取りの合間に河原の様子を眺めていると、やがて一番の年長らしい女の子の指図で、子供たちがつぎつぎと人形を川に放し始める。
 ゆったりした流れの上でくるくると回りながら、人形は次第に子供たちの輪から離れていき、いつしか点のように小さくなって見えなくなった。

「陰陽師も幻術師なの?」
「えっ?」
 あれから山路をだいぶ歩いた後で急にミスマイが言ったので、里芋行者は面食らった。
「何の話だい」
「陰陽師は人形をほんとうのヒトの姿に変化(へんげ)させてみせるって、聞いたことがあるの。あなたも出来るでしょ?」
「うーん」
 歩き巫女と組んで怪しげな占いをしたりする"自称"ではない、正式な陰陽師は、政庁の機関に連なる学識高い俊英たちだ。己の技を磨くのに努力している点で譲る気はないが、その技を以て都で国のまつりごとを動かすのと木戸銭を取って河原で演物を見せるのとを、同列に扱うことはできない。それは里芋行者自身がよく知っている。
「似たようなことは、そりゃ出来るけどさ。私のは式神の変化ではないし、一緒にしては怒られるよ」
「誰に?」
「葛葉姫……かな」
「女狐が怒って何が怖いのよ」
 威勢のいいことを言って、ミスマイはぶんと腕を振った。その勢いでまた被衣が滑り落ちる。
 それを直してやりながら、里芋行者の頭にふっと、何度も思い返している取りとめもない考えがまた浮かぶ。

 善政を以て知られる城に勤めていた上、城内きっての美女と持て囃されていたのなら、高い身分や容姿のつり合う相手をいくらでも選ぶことが出来たろうに。なにも敢えて、明日の居場所も定かではない、格別の美男でもない幻術師と一緒にならずとも。

 と、一度ぽろりと言った時には、私を見くびるんじゃないわよとこっぴどく叱られた。だからそれ以降は口に出したことはない。口には出さないが、時折、考える。それと一緒に「馬鹿の考え休むに似たり」という格言も思い出す。
 そっとうかがい見れば、その神通力は海内比類なしと謳われた陰陽師の御母堂を「女狐」と言い放った横顔は、生真面目なほどきりりと引き締まっている。

 誠実に疑念をもって応じるのは、成程、馬鹿のすることだ。

 さわさわと吹き渡る風が、若い妻のかぶり直した被衣をはためかせる。
 それを目にして、ふと遊び心が湧いた。
「式神は使えないけど――ちょっと、ここに立って」
 里芋行者はきょとんとするミスマイをその場に立たせ、後ろ歩きに数歩離れると、朗々とした声で口上を述べだした。
「東西東西。これより披露いたしまする幻術は、かなたよりこなたへ、こなたからあなたへ、くるりくるり踊る優美華麗の天の羽衣にござります。見事舞い踊りましたらば、宜しくご喝采のほどを。――千番に一番の兼ね合い、いざ、御覧じませ」
 言い終わるのと同時、抱えていたものを解き放つように、胸の前で交差させていた両手をぱっと左右へ広げる。

 次の瞬間、ざあっと音を立てて、山肌を駆け抜けた風が落ちて来た。
 思わず手びさしで庇ったミスマイの目に、時ならぬ旋風に巻き上げられて、白や薄紅の光彩が無数に宙を舞うのが映る。向こうから差す陽光がその合間へきらきらと散らばる様は、まるで砂金と石英を風の中へ振りまいたようだ。
 貴族の姫君がかずく上等な生絹よりもなお華やかに軽やかに、花吹雪の羽衣はさらさらと、佇むミスマイを取り巻いて踊る。

 一陣の突風が去った後も、山路の際に並んで咲き誇る桃の花は、ざわざわと梢を揺らしている。
 まだ残りの花びらが降る中に、びっくりした顔のまま立ち竦んでいたミスマイは、しっかり掴んでいた被衣をようやく離した。
「今のは、ほんとう?」
 いくらか呆然とした口調で呟く。
「幻術じゃないよ。風が吹くのに合わせて、もっともらしい口上をつけただけ」
「驚いたけど――きれいだった!」
「そりゃあ、作り物の幻じゃ、本当には敵わないさ」
 里芋行者が言うと、ミスマイはにっこりと微笑んで元気良くうなずいた。その髪に舞い落ちた淡紅色の花びらをつまんで笑い返し、里芋行者は妻の手を取る。
 やわらかな温もりと重みが手のひらに乗る。
 その途端、自分がこのひとに見せるものはいつも手に掴める真実でありたい――と感傷的に過ぎる言葉が胸をよぎり、横を向いた里芋行者はひとりで赤面した。
「あら、どうしたの?」
「……うん? んー、……うん」
「それ、新しい話芸かしら」
 へんなひとね、とミスマイが笑う。温かく、柔らかく。

 今日中にこの山を越えたら、明日からはまた興行の準備だ。