「くだくだしき宵のはなし」
石を組んだ小さな竈(かまど)の上で、鍋がくつくつと音を立てている。
そろそろ頃合いかと厚い木の蓋を取ると、温かな湯気がほんわりと立ち昇り、天幕の中にほのかな昆布出汁の匂いが広がった。
「おお、久々だなぁ。この香り」
「南蛮にはなかったですか、昆布出汁は」
達魔鬼の感嘆に軽く応じて、霧鬼はサングラスのレンズが曇らないように気をつけながら、鍋の底に並んだ大根に竹串を刺した。半透明になった大根に、竹串は抵抗もなくスッと貫通する。
「はい、風呂吹き、できましたー」
「こっちも燗がつきましたよー」
天幕の中心に置いた火鉢で酒を温めていた彗鬼も、厚ぼったい鍋を手拭いで掴んで火から外し、ちろりにとぽとぽと中身を移す。すぐ隣で待ち構えていた風鬼がそれを盆で受け取り、厨房で借りて来たお膳に乗せていそいそと茶碗を用意する。
「猪口や盃じゃなくて、最初っから茶碗酒で行くんですか。ふぶ鬼くんが来たら、お父さん呑兵衛だよーって言い付けちゃおう」
程良く煮えた大根を小皿に取り分けていた霧鬼がそう言ってからかう。厨房にこれしか無かったんだ、と、モゴモゴ言い訳を口にする風鬼を、達魔鬼がフォローする。
「嘘ではないぞ。ここのような天幕が、今日は城内中に作ってあるからな。皿や器は取り合いだ」
「このお皿、キャプテンが持って来た南蛮のでしょう。使っちゃうの勿体ないな」
「なあに、見掛けは派手だが向こうじゃ普段使いの品だ。構わんさ」
「はい、大根、そっちにも回して下さい。味噌だれはこっちが普通ので、これが柚子味噌」
「これは?」
「生姜味噌です。ちょいと辛いですよ」
温めの燗酒と風呂吹き大根が各自に行き渡り、床に敷いた筵(むしろ)に火鉢を囲んで座って、何ということも無しに4人で乾杯する。ちびりと酒をすすってそれぞれ感に堪えぬように長い嘆声を漏らし、その声の続きで、風鬼が話の糸口を切る。
「今夜の祭り、バーロー治部と言ったっけ?」
「Hallowseve、だ。でうすを拝む宗教の、祝日の前夜祭だ」
「その、ほろうじい……あれ?」
達魔鬼が流暢に言った南蛮の言葉をオウム返しに口真似したが、何か違う。首を捻る風鬼を、一口で酔っ払ったんですかと彗鬼が茶化して、わざとらしくしなを作る。
「やあねー、風鬼さんてば、早ぁい」
「やめてそれ真剣に傷つく。外国語の発音は難しいんだよ。彗鬼、言ってみろよ」
「ほおじん。えーと、はろじん、はろいん……ん?」
「言えてない、言えてない。まあとにかくその、南蛮の祭りはさ、この国で言うところのナマハゲみたいなもんだと思えばいいのかね」
「なまはげ……が何だか、わたしはよく知らんのだが」
箸の先で小さく割った大根を、熱い湯気をふうふう吹きながら口に入れる。ティアドロップレンズのサングラスがうっすらと曇る。
「あ、この柚子味噌、旨い」
「うちの家内が作ったんです」
福々しい頬を誇らしげに膨らませて、霧鬼が胸を張る。
「へえー。奥さん、料理上手なんだな」
「それは正直ちょっと自慢ですねぇ」
「だからお前、太っちゃうんだ」
「やはははは。それは言わんで下さい。精進しますから」
「それで、なまはげって何だっけ?」
「俺も見たことはなくって、前に奥羽の方へ出張した時に聞いたんだけどさー。大晦日に鬼の扮装をした人が家を回って、悪い子はいねえかーって騒ぎまくるのを、丁重にもてなして帰って貰う風習なんだって。鬼って言っても、災厄を払って幸福をもたらすいいヤツで……」
喋りながら傾けた茶碗が既に空になっているのに気がつき、風鬼がちろりに手を伸ばそうとすると、機先を制して彗鬼がトクトクと茶碗に酒を満たす。
「お、ありがとう。"はろいん"と、ちょっと似てない?」
「似てなくもないが、似て非なるものって感じだなあ。はろいんの――」
「南蛮帰りなのに、キャプテンも言えてなーい」
「お前たちが伝染った。はろいんはだな、むかーしむかしの南蛮のある地方では一年の終わりの日だった。つまり大晦日だな。その日は中身をくり抜いて恐ろしげな顔を彫った大きな蕪の提灯を家の戸口に置いて、悪しきものを近付けないようにする。で、子供たちが悪しきものに扮装して訪れるのを茶菓接待して、穏便に帰らせるんだそうだ。蕪じゃなくてカボチャを使う地方もあると聞いたが、どっちにしても、繰り抜いた中身は料理して食べてしまう」
「蕪がカボチャになって、ここでは更に大根になった訳ですか」
外が見えるように少しだけ裾をからげた天幕の、出入り口に当たる場所に目を向けて彗鬼が言う。大蕪が手に入らず、カボチャも季節を外していたので、よく太った大根を逆桂剥きにして繰り抜いた提灯が、どこか間の抜けた「怖い顔」を光らせている。
顔を彫刻したのがドクタケ忍術教室の子供たちだからなのか、「怖い顔」はどれも、なんとなく忍術教室校長兼忍者隊首領に似ていた。
ドクタケ城内のあちこちに設えた天幕を子供たちが順繰りに訪れ、お菓子を貰い歩くという南蛮の行事は、異国の風習を経験するのも勉強になるだろうという達魔鬼の提案で実現した。
天幕には忍者隊の面々が数人ずつ待機して子供たちを待っている。秋が深まり始めた寒い夜を、温かい大根料理を肴にゆるりと飲みながら過ごすのは、忍者隊の大人たちにとっても大歓迎だった。
「所変われば品変わると言うからな。蕪とカボチャより、蕪と大根のほうがまだ近い。たぶん」
そらとぼけて、達魔鬼は大根を頬張る。細かい肌理に染み込むように昆布出汁の風味がよく効いている。
「でもこれ、元は民俗行事でも今は宗教行事なら、異教徒がやってもいいもんなのかね」
「楽しげなことにはノッておけば間違いない。子供らも楽しそうだし、いいではないか」
「節操ねえな。そう言や、霧鬼と彗鬼のとこの子も、今夜は教室の子らと一緒に回ってるんだろう」
「ええ、しぶ鬼くんたちが面倒を見てくれてます。夜更かしができるってはしゃいでましたよ」
「2人は将来、子供はどうするんだ。忍術教室に入れるのか?」
「あー……」
風鬼に尋ねられた霧鬼と彗鬼が、気を揃えたように互いに顔を見合わせる。
「どうしましょうかね。本人が忍者になりたいって言ったら入れますけども、今はまだ何にも分かってない歳だからなあ」
「うちの水蒸鬼は女の子だから……ちょーっと、忍者は考えちゃいますねえ」
「山ぶ鬼ちゃん、紅一点で頑張ってるぜ」
生姜味噌を舐めては茶碗酒をくいくいとやりながら、風鬼が混ぜ返す。
「そうなんですけど、山ぶ鬼ちゃんは才能あるじゃないっすか。水蒸鬼が忍者に向いてるかどうか分かんないですし、そもそも、忍者って危ない仕事じゃないですか。あ、ご返杯。どもども。くのいちになって怪我したらやだなーとか、こういう世の中だけど、できるだけ穏やかで幸せな生き方をさせてやりたいなーとか、考えちゃうんですよね」
「あぁ、それは分かるなー……」
思わずのように達魔鬼が相槌を打ち、風鬼もうんうんと頷く。鍋の中の大根を並べ直していた霧鬼がお代わりを呼びかけると、全員が挙手した。
「三の丸の方の天幕じゃ、大根を短冊にして、魚とか貝を入れて鍋を作るって言ってましたね」
「暁鬼と……雨鬼と曇鬼と雷鬼か、三の丸担当は。甚だしく暑苦しいな」
「その面子だと暁鬼が気の毒だな、何となく」
「しぶ鬼くんとふぶ鬼くん、教室に入ってから、やっぱり変わりました?」
鍋に蓋をして竈の火を小さくした霧鬼が、筵に座り直して尋ねると、達魔鬼は柚子味噌の器を引き寄せる手を止めた。そのまま少し考える。
「留学してる間、しぶ鬼には何年も会ってなかったからな。成長したからか、教室に入って変わったのか、今ひとつ分からんところがある」
「あー。可愛いさかりに離れてるのってつらいですね」
「仕事とは言え、なぁ。いぶ鬼くんが遊びに来て、二人で絵草紙を眺めているものと思ったら孫子を読んでいたのには驚いたが。そうだな、わたしのやることに興味を持って、色々と質問してくるようにはなったな」
「いいなそれ。子供に仕事の内容を聞かれるのって、結構、嬉しくないですか」
彗鬼が羨ましげに言う。仕事場に娘をおぶってくることはあるが、まだ頑是無い赤ん坊だから、父親の仕事振りよりも周囲がくれる飴湯やおもちゃに関心の大半を持っていかれる。二皿目の大根に柚子味噌をたっぷり掛けながら、達魔鬼は珍しく照れ臭そうにした。
「んー、まあ、説明してやったあとにパパすごーいとか、将来はパパみたいな忍者になりたいって言われると、もう、どうしようもなくいじらしくなるなぁ。なあ?」
横を向いて同意を求めると、風鬼は黙って口を曲げた。その顔でぽつりと言う。
「俺、そういうの、ふぶ鬼に言われたことないわー……」
「はん?」
一瞬の空白のあと、爆笑が弾けた。
「わはははは、仕方ない仕方ない、風鬼さんの任務って大抵が地味で地道だし」
「地味って言うか、色々と薄いって言うか?」
「それは俺の存在感的な意味かコラ」
「何だ、自覚してるのか、ふははははは」
ぎゃあぎゃあとやかましい天幕に映る大根提灯の明かりが、風もないのに震えるように揺れた。
それを潮に四人がすっと黙る。静かになると、天幕の外で笑いさざめきながら何かこそこそと囁き交わすのが聞こえ、「せーの」で可愛い声が唱和した。
「いたずらが嫌なら、お菓子をたもれ」
「たーもれ」
「れー」
天幕の隅に用意してあった、小袋をいくつも盛った籠を、素早く彗鬼が取って来る。
「お菓子はこの中に」
「中身は?」
小声で風鬼が問う。声をひそめて霧鬼が応じる。
「うちの家内がさっき焼いたビスコイトと、京の手毬飴です」
達魔鬼がキラリとサングラスを光らせる。
「よし、これでドク忍キッズ一番人気はうちの天幕が貰った」
頷き合った四人は、それぞれグッと親指を立てると、勢い良く出入り口の布を跳ね上げた。