「整列、歩調取レ」
消灯間際になってようやく湯殿へたどり着いた五年生の面々は、誰もみな疲れきっていた。
生物委員会は脱走した生き物たちの捜索と回収に学園中を這い回り、図書委員会は兵法の授業で必要になった古書を探して書庫中を引っ繰り返し、学級委員長委員会は学園長が突然思いついた行事の下準備に追われ、と、「どうした?」「それがさあ……」のやり取りを互いに繰り返して把握する。
爪の中にまで入り込んだ泥がなかなか落ちず、手桶に汲んだ湯の中でゴシゴシと両手をこすり合わせていた八左ヱ門は、勘右衛門の答えを聞いて露骨にうんざり顔をした。
「今度は何をやらかすつもりだ、学園長は」
「緘口令」
しれっと三郎が言う。湯を掛け流した長い髪を手拭いで器用にくるみ、頭の上にきっちりとまとめ上げると、糸瓜たわしを手に取って素知らぬ顔で体をこすり始める。水がかかっても、こすっても落ちない変装の化粧の素材が何なのか、八左ヱ門は今更ながらふと考えて、すぐにやめた。埒もないことを考え出したら折角の入浴時間だというのに寛げやしない。
「図書委員が探してた古書って、何の本? 見つかった?」
米の研ぎ汁と湯に溶いた米糠と、どちらで髪を洗おうか迷っている雷蔵に、軽石を片手に勘右衛門が声を掛ける。
「600年ぐらい前に瀬戸内の辺りで起きた内乱の記録だって。あったけど、ひどかったよ。ボロボロで。……やっぱり灰汁か小豆粉にしようかなあ」
「あーもう、"米"までは絞ったのに! 元に戻ってどうするのさ」
湯殿備え付けの洗髪料は髪結処・斉藤の提供だ。 自分の髪に合ったものを選んで使うべしとの配慮だが、雷蔵でなくとも迷うほど種類が多い上に、使うととんでもないことになる試作品や実験品も混ざっているので油断ならない。勘右衛門はずらっと並んだ洗髪料入りの竹筒を指さして三郎に尋ねる。
「鉢屋のその髪、髪質まで真似した雷蔵のヘアピースだろ。どれで洗ったの」
「これ? これは湯ですすいで汚れを落としただけだよ」
「じゃ、雷蔵もそれでいいんじゃない」
「あ、そのフタが青く塗ってあるやつ、前に試したけど結構いいぞ。まとめやすくなって」
八左ヱ門が横から口を挟むと、三郎は八左ヱ門の垂らし髪の先をつまんで無言で引っ張った。
荒縄を束ねたようなピンピンと跳ねる剛毛だ。言わんとすることを察した八左ヱ門が、こちらも黙って三郎の手をはたき落とすと、三郎はニヤニヤして「大豆のリンスも使うべきだな」と軽口を叩く。それを聞いていた雷蔵が、桶に手を伸ばしながらふと首を傾げる。
「どうして大豆の茹で汁で髪がサラサラになるんだろうね。豆腐職人は手がきれいだと言うし、大豆の成分は肌や髪にいいのかな」
「おーい、豆腐小僧。解説の出番だぞー」
4人が洗い場から振り返ると、湯船の縁に頭をもたせかけた兵助は、半ば湯に沈んだ体勢で天井を仰いだまま微動だにしない。
「返事がない。ただの屍のようだ」
呼びかけた八左ヱ門が真顔で言う。何を言ってるのさ、と苦笑した雷蔵が説明する。
「火薬委員、今日は大変だったらしいよ。焔硝蔵の整理で、重い火薬壷を上へ下へ移動させたあとに、在庫が合わないのが発覚してまた上へ下へ」
その続きを三郎が引き取る。
「その最中に、用具委員会が開発中の放水装置が暴発して焔硝蔵を直撃して、水濡れがないか点検するため三たび上へ下へ」
「やっとそれが済んだと思ったら、作法委員会が滅多に使わない火薬の借り出し依頼をしてきて、今度は右へ左へのてんてこ舞いだってさ」
そう説明を締めた勘右衛門が、こちらから見える兵助のつむじに向かってなむなむと手を合わせる。偶然なのだろうが、ほとんど同時に兵助の頭がことんと傾き、同情の眼差しでそれを眺めていた八左ヱ門は嘆声した。
「はー。そりゃ動きたくもなくなるけど、ずっと湯に浸かりっぱなしじゃ、茹で上がっちまうぞ。……」
「……」
「……」
「……」
傾いた兵助の頭がそのまま旋回して、顔がこちらを向いた。縁に顎を乗せてじっとりした目付きで4人を睨む。
「今、"湯豆腐"って思ったやつは一歩前へ出ろ」
せめて服は着させて下さい、と、誰かが呟いた。