「本年の営業は終了しました」


「俺は場所を間違えたのか?」

 隣でぼそりと頭(かしら)が呟くのが聞こえて、我に返った。
 厚い雪雲が星明かりをすっかり覆い隠し、はらはらと小雪が舞い始めた大晦日の深夜、人びとは戸も窓もぴったり閉ざして家にこもり静かに年明けを待っている――その油断を衝いてドクササコ城に敵対するこの大名屋敷に忍び込み、昼間密かに運ばれた最新式南蛮銃を盗み出す。その為に三十日も前から陽忍の八味地黄丸は下働きに変装して屋敷に入り、三日前から陰忍の二人は屋敷周辺に張り付いていた、のだが。

「あったか~い甘酒、こちらでお配りしていま~す」
「雑炊どうぞ~、熱いのでお気をつけくださ~い」
「焼き団子もございま~す」
「ちんとんぴいよろ、ぴいよろとんちん」

 屋敷の門前に赤々と灯る篝火と暖かそうな湯気が立ち昇る屋台、楽しげに行き交う人――中には見知った顔の忍者もいる――の群れを背景に、鉦、笛、太鼓を吹き鳴らして目の前を通り過ぎた田楽舞の一団を見送り、門の内側にちらりと見える旗の家紋を確認して、頭を振り向く。覆面をむしり取った頭の眉間には見事に深いシワが寄っている。
「場所は合っていますね」
「ああ」
「で、騒がしいのは、忍術学園の子たちですね」
「この大名が忍術学園と繋がりがあるって情報は無かったのに……貿易商同士で福富屋に話が漏れたのか……ちくしょう、いつもいつもいっつも! 邪魔をするのはあのガキどもだ!!」
「こんなに人が多いと今日は仕事になりませんねぇ。いやー賑やかだなぁ、駅伝の中継所みたい」
「さっさと諦めるな! それに足で田楽のリズムを取るな! 人が多いからこそそれに紛れて忍び込めると考えろっ」
「でも実際ムリですよ。雪が積もっちゃって足跡が残るし、今ここにどれくらい人がいて屋敷のどこを誰がウロウロしてるか、まったく分からないもの」
 侵入するのは危険すぎます、と口を尖らせて正論を吐くと、言うことを聞かない子犬に手を焼く母犬のように頭が唸った。怒る頭が鬼より怖いのは身にしみて知っているが、鳴き始めた腹の虫と寒空のもと漂ってくるいい匂いの湯気には抗し難く、つい鼻がひくひくする。
 と、すかさず頭(あたま)を掴まれ両のこめかみを拳でぐりぐり押さえ付けられた。
「あだだだだだだだ」
「矜持でメシは食えんが、それでもなあ! お前に忍者の矜持はないのか! ああもう、俺なんだか泣けてきた」
「こんな日に喧嘩はやめましょうよ。凄腕さんと白目の部下さんも、はい、甘酒どうぞ」
 いつの間にか近くへ来ていた見覚えのある一年生の忍たま三人が、湯気の立つ湯呑みを乗せたお盆を笑顔で差し出す。こめかみを挟まれたまま思わずお盆を受け取ると、以前かけっこ勝負をした乱太郎とかいう眼鏡の子がにっこりして、さざめき歩く人影を指した。
「ドクタケ、オシロイシメジ、サンコタケ、スッポンタケ、クサウラベニタケ、ヤケアトツムタケ、カワタレドキ、タソガレドキ、えーとそれに……」
「小僧、何を言っている」
「今日はこんなに寒いだろ? いろんな城の忍者が来てるけど、みんなあったかい食べ物とお神楽に夢中になって誰も南蛮銃を盗みに入ってないから、慌てて侵入しなくても先を越される心配はないってこと」
 目を剥いて凄む頭に、今度ははしっこい顔つきの子がしれっと言う。その台詞に違う意味でまた目を剥いた頭の背を、福富屋の息子(この子のことは知っている)がぽちゃぽちゃした手でぽんぽんと叩いた。
「ドクササコの陰忍さんたち、田楽豆腐の屋台で焼き上がりを待ってますよ。久々知先輩の田楽おいしいですよぉ、お二人もどうですか?」
「……。陰忍たちが、か」
「そうだよ。あの、いつもヘボいおじさん二人、ドクササコ忍者でしょ?」
 さっきはうどんの屋台にいたよね、その前はお茶を飲んでたねとうなずき合う忍たまたちの態度に、わざとらしい様子はない。お盆の上の甘酒がこぼれないようにバランスを取る振りをしながら小声で頭に尋ねる。
「陽忍はバレてないみたいですね。状況がおかしいのに気付いて、いち早く南蛮銃を盗って出たんでしょうか」
「忍術学園に関わるとろくなことがないのを奴は知っている」
 さっさと逃げたんだと平べったい口調で言って頭は不意に拳を解き、お盆からさっと湯呑みを取り上げて、熱い甘酒をひと息に呷る。
「うわぁ、口のなか火傷しちゃいますよ。上あごの皮がべろーんってなっちゃいますよ?」
「知らん、今日はもう知らん。なあ、甘酒じゃない酒はないか、なるべく強いやつがいいんだが」
「よい子の屋台でお酒を出すわけないじゃない。まっ、とりあえず、」

 お客様ごあんな~い、と呼ばわる忍たま三人の声が、夜の雪空へ朗らかに響く。