「玉虫色の流れ弾」


「小豆とぎましょうかー。人とって喰いましょうかー」
「なんだよ、いきなり」
「もののけの真似。小豆とぎっての、知らない?」
「聞いたことあるな。でも、小豆洗いじゃないの?」
「どっちでもいいんじゃない。あれって正体は狸なんだって」
「へー。僕はイタチだって聞いたことがある」
 いつもなら「または組がアホな事を言い出した」と無視に掛かる伝七が、今日は珍しく話に乗って来たので、兵太夫が一瞬言葉に詰まった。
 火鉢に載せた大鍋で大量の炒り大豆を作りながら、焦げ付かせないよう延々と木べらで掻き回し続けて既に数刻、さすがに退屈していたらしい。豆が触れ合ってさきさきと鳴る音は耳に快く、部屋中に満ちる匂いは素晴らしく香ばしいが、一粒も口に入れないうちにもう食傷気味だ。
「狐っていう説もあるよ」
「かわうそだとも聞きますね」
 もうひとつの鍋を同じように掻き回していた喜八郎と藤内も単調な作業に飽きたのか、一年生の他愛もない会話に交互に口を挟む。
「怖いことは言うけど、悪さはしないらしいですね」
「そうだっけ? なんだろうと思って近寄ったら川に落とされるって、何かで読んだぞ」
「貧しいお家の婚礼の時に、お赤飯を山ほどくれたっていう話もありますよ」
「どうせなら胡麻塩もつけて欲しいよねー」
 しばらくはこの匂いが部屋に残りそうだ、文次郎に文句の一つも言われるだろうなと懐紙を折りながら考えていた仙蔵は、そのやり取りを耳にして思わず笑みを零した。
 節分会は伝統ある年中行事のひとつだ。ゆえに古式ゆかしい仕来りが沢山ある。有職故実の実習の一環として作法委員会がその準備を行うのは至極当然だ。
 それでも、生徒・教職員の全員が撒く分と年の数だけ食べる分とで、何俵の大豆を開けただろう。小豆とぎならぬ大豆掻きが四体、そろそろ怪生から人に戻してやる頃合いのようだ。

 忍術学園の豆まきが豆を撒くだけで済むはずがなく、大抵は途中から壮絶な弾き玉合戦になったり、射的試合千番勝負になったりする。
 賢明な鬼ならば今頃はとっくに学園内から避難しているに違いなく、見通しの甘かった鬼が雨霰と降る(しかも横向きにだ)豆に追われて逃げ出したら、きっと小松田はその鬼さえ追撃して出門票にサインをさせて来るのだろう。それはそれで見てみたい光景ではある。
 それより何より、学園長がまた行事にかこつけて突然の思いつきをしなければいいのだが。まあ、そうなったら学級委員長委員会に面倒を押し付ければ、いや後を託せばいいか。

 桃の花を透かした上質の懐紙の、最後の一枚を丁寧に折りたたんで、そんな事を考えつつ仙蔵は後輩たちに声を掛けた。
「そろそろ鍋を火から下ろしていいよ。豆を冷まそう」
「はあい」
 伝七と藤内が立ち上がり、大きな布をぱあっと床一面に広げる。兵太夫と喜八郎は鍋を傾けて、その布の上にばらばらと大豆をこぼしていく。
「ご苦労様。先生方の分は懐紙に包んで食膳にお付けするから、豆が冷めたらこの懐紙に年齢の数だけ入れて、名札を貼りつけておいてくれ」
 お名前と年齢の一覧はここ、こっちが懐紙でこれが名札、と並べて見せる仙蔵に、おずおずと伝七が尋ねる。
「あのう、年齢の数とおっしゃいましても、学園長先生のお年は……」
「端数切捨てで、70で良いそうだ」
「端数のほうが多かったりして」
 兵太夫の呟きに頷きかけた伝七が、いくらなんでもそれは無いと突っ込む。それじゃ本物のもののけになっちゃうよ。
「土井先生が25個、松千代先生が27個、斜堂先生が29個、野村先生が34個、……立花先輩、山本シナ先生はおいくつなのですか? 空欄になってますが」
 一覧表を眺めていた藤内が言うと、仙蔵はふっと目を泳がせた。
「それがな。女性に年齢を尋ねるのは流石にはばかられたので、くの一教室の子に確認しようとしたんだが、」
 泳いだ目が遠くを見る。
「それを知ろうとすると天が裂け地が割れますよ、と言われた」
 神の怒りを垣間見たかのようなくの一の表情が、遠くを見たまま帰って来ない目の前に蘇る。

 触れてはいけない禁忌というものが、この世にはあるのですよ。

「それなら山本先生の分は、豆じゃなくて高野豆腐を入れときましょうか」
 布から転がり出た大豆を拾って戻しながらあっさりと喜八郎が言い、仙蔵は我に返った。
「豆腐? どうして」
「桃符の代わりに」
 つまり魔除けの護符代わりに。天地を裂き割るなんて、もののけどころじゃないから。
「それはまた別口の怒りを買いそうな気がしますが……」
「……いや、それなら言い訳ができるな」
 豆の数が多過ぎても少な過ぎても角は立つ。なら、年齢の数だけの大豆で作った高野豆腐ですと言い張れば、あるいは。
「よし。一年生、"それらしい大きさの"高野豆腐を、久々知に頼んでひとつ貰って来てくれ」
「はーい」
 元気よく返事をした兵太夫と左七がぱたぱたと部屋を出て行く。それを横目に喜八郎は「おやまあ」と言って肩をすくめた。
「久々知先輩、お気の毒」
「……ヒトゴトですね、綾部先輩」
 一覧表をそっと床に置いた藤内は、五年生の部屋の方向へ向かって厳粛に合掌一礼した。

 作法委員会の来意を聞いた兵助は、手持ちの高野豆腐をありったけ並べて、同級生の助言を仰ぎながら数刻に渡って悩み抜いたと言う。

「悩むほど高野豆腐をストックしてるのもどうかと思う」
「そういうこと言わないの」