「カラマリレーサー」
お互いにもたれかかるようにして、背中合わせで地面に座っている五年生と六年生は、八左ヱ門と小平太という珍しい組み合わせだった。
小平太の胡座の中には巨大なたわし――ではなく、たぬきが収まっている。大きさからして子供ではない。が、楽しそうにあやす小平太にされるがまま、本人は微動だにせず、くるくると表裏に返されながら大人しく撫で回されている。
お前を探している人がいた、と左近に連れられて校庭の一画まで来た三郎次は、小平太たちを囲む人垣の後ろからその光景を見て、呟いた。
「本物のたぬき寝入りって初めて見た」
輪になった人垣の内側では、笊を抱えたきり丸が弾む足取りで行ったり来たりしている。時おり周囲から手が伸びて、その笊の中に何か放り込んでいるのが見える。
「それとも、気絶してるのかな」
「たぬきが? 竹谷先輩が?」
真面目くさって応じる左近の言葉に、近くにいた何人かがぷっと吹き出す。
膝を立て腰が落ちた姿勢で小平太に完全に背中を預けている八左ヱ門は、両手を地面に投げ出し、見るからに疲労困憊の様子でぐったりしている。泥で汚れた顔や腕に見える引っかき傷は小平太の膝のたぬきの仕業か、かぎ裂きになった制服の袖が、寸刻前の格闘を物語る。
「……で、これってどういう状況なの」
三郎次に問われて首をひねる左近に代わって、その向こう側にいた四郎兵衛が「あのね」と声を上げた。
「僕ら体育委員会が塹壕を掘っていたら、落盤したんだ」
「またか。食満先輩、きっと怒るぞ」
それを言うな、と小さな声が聞こえたと思ったら、四郎兵衛より更に向こうには滝夜叉丸はじめ他の体育委員たちがいる。三郎次と左近の不審顔に、塹壕掘りが中断するまでさんざん動き回っていたのだろう、疲れた口調で口々に説明する。
「ちょうどその時、真上に竹谷先輩がいらして、気の毒にも巻き込み事故だ」
「怪我をしてるのを保護したたぬきが逃げたのを追い掛けていたそうなんだけど」
「たぬきも一緒に落っこちて大パニックで逃げ回るのを、七松先輩が……面白がって?」
「あふれる親切心で」
「捕獲を手伝おうとして、竹谷先輩と組んず解れつ」
「語弊のある言い方をするのではない」
「狭い塹壕の中でぐるぐるバタバタしたものだから、こんがらがって解けなくなっちゃって」
「何が?」
「髪の毛」
自分のふわふわした髪を指して言い、「どうにか地上には出られたんだけどねえ」と四郎兵衛はため息をつく。
それを聞いた三郎次はますます合点のいかない顔をした。
小平太も八左ヱ門も肩を越えるほど髪が長く、かつどちらもボリュームがあって癖が強い。それを揉み合わせるようなことをしたら確かに絡まるだろう。しかし、その不幸な喜劇の現場に自分が呼ばれたことと、何かを期待しているような顔つきの野次馬の群れと、目をきらきらさせたきり丸が張り切っていることの関連が全く見えない。
訝しみつつ、反対側に居並ぶ人の後ろからのそりと現れた人影にふと目が行った。
図書委員長の長次だ。久作に腕を引かれている。そして珍しいことに、ひどく戸惑った表情をしている。
「さあて、皆さん、」
不意にきり丸が大きな声を出した。ずらずら文字が書かれた紙を貼った大きな板を、乱太郎としんべヱが人垣を割って運び入れるのを満面の笑みで出迎えて、その板をとんとんと叩きながら調子良く口上を述べる。
「推薦された仕手衆、都合四名、出揃いました。改めてご確認の上、乗り換える方、倍賭けに変える方は、私までお申し出くださぁい」
ざわめき出す野次馬の頭越しに貼り紙の文字を読もうとして三郎次が背伸びをする。それより早く文面を見たらしい長次が、しきりに瞬きしては久作に何か話しかけているのを遠目にしながら、左近は苦い顔でちらりと金吾を見た。
「きり丸のやつ、学園の中で賭けの胴元をやってるのか?」
「お金は賭けてないですよ。食堂の食券です……だから良い、って訳じゃないですけど」
「一概にきり丸を責められない。周りも悪ノリしたからな」
珍しく滝夜叉丸がきり丸をかばうようなことを言う。
ゲリラ豪雨か大雪でも降ってくるのでは、と左近は急いで空を仰いだ。三郎次はまだ貼り紙の方をじっと見つめている。
「おかしいな。まだ晴れてる」
「失礼なやつだな。考えてもみろ、たぬきに注意が向いているとは言え、この状況でうちの委員長がよく大人しくしていると思わないか?」
六年生に対してその発言の方が余程失礼なような気がするが、言われてみればその通りだ。
「七松先輩なら、せーの、でお互い反対方向へ駆け出せば解ける! って言い出しそうですけど」
「まさにそのまま仰った」
「そうしたら竹谷先輩が本気泣きした」
金吾にしっかり腰紐を掴まれている三之助が五年生の醜態をさらりと暴露する。複雑にもつれて絡まり合う髪を勢い良く左右へ引っ張ったら、しかも片方が猪並みの馬鹿力の持ち主だったら頭皮と髪はどうなるかと思うと、「そりゃ泣くでしょうよ」としか言えず、左近は口をむぐむぐさせた。
それだけはやめてくれとむせび泣く八左ヱ門に、流石の小平太も強攻策を思いとどまり、ではこの事態をどう解決しようかという話になった時、集まり始めていた野次馬たちがあれこれと口を挟みだした――のだそうだ。
「油を掛けてみようとか、水に浸けて振り動かしてみたらどうか、とかな。髪を切ってしまうのは本当に最後の手段として、絡まった髪を誰ならほどけるか、となると、色々意見が出たのだ。自分が推す人物こそ適任だと推薦人が互いに譲らず、なら競争にすればいいと誰かが言い出して、」
そこまで言って言葉を切り、滝夜叉丸は黙って貼り紙を指差した。
さっきから三郎次が熱心に眺めている、あまり上手くない字で書かれたその文面を読んで、左近は目を丸くした。
『臨時開催 忍術学園”髪を解くのは誰だ”競争 出場者一覧』
『髪のトラブルを任せられるのはこの人をおいて他にいない。カリスマ髪結いの一番弟子にして愛息子。嘉名に驕らず至誠に悖らず、絶やさぬ笑顔の陰にたゆまぬ努力あり。しなやかな手が紡ぎ出すのは奇跡ではなく必然! ”キューティクルリマスター”斉藤タカ丸』
『故障不具合破損倒壊、小さなものから大きなものまで、困った時はあいつを呼べ! 誰もが認める修理修繕のエキスパート。武闘派の熱い心と表裏一体な慈しむ手の優しさを、しかとその目で確かめよ。”忍術学園工兵隊長”食満留三郎』
『紙を象る繊維の糸を、接いで繋いで破れを綴じる。どんなに傷んだ書物も完璧に直す繊細な仕事は、もはや神業の域と言って過言じゃない。一度は斃れたものに再び命を吹き込む指先は万物に通用するか? ”絶望に光を灯す者”中在家長次』
『漁網がもつれるなんて日常茶飯事、それを解くのは朝飯前、丁寧な仕事は当たり前。漁師の網は命の綱だ。得意なのは水遁の術だけじゃない! 応用だって大得意? ”漁(すなど)る家から来た優等生”池田三郎次』
『尚、他二名は辞退』
『競争くじは一口につき食券一枚(未使用に限ります)』
「誰だこの煽り考えたの」
「僕だけ地味じゃないか?」
「気にするのそこ?」
ざわつく野次馬に気付いて振り返ったきり丸の目が、長次と三郎次の姿を認めてぴかりと光った。