「名は体を」


 立ち幅跳びの直前のように軽く膝を曲げた構えのきり丸は、じっと風鬼を見上げている。
 お前たちが持っている密書を出せ、出さねばどうなるか分かっているな、といかにも悪役らしく決めた台詞が滑った風鬼は困っている。
 学園長のお使いで一緒にここまで歩いて来た乱太郎・しんべヱはきり丸の後ろから、密書を奪い取れと八方斎に命令されて森の中で待ち伏せていたドクタケ忍者隊の一個小隊は風鬼の背中越しに、それぞれ状況を見守っている。
「……えーと、もう一度言ったほうがいい?」
 サングラスを掛けているとは言えこうも凝視されては居心地が悪い。沈黙を破った風鬼が軽く両手を広げる。それを見たきり丸は一瞬目を輝かせ、しかしすぐにその光は消えて、ひどく訝しそうな様子でむむむと唸る。その反応に風鬼はますます困惑し、思わず背後の忍者隊を振り返るが、てんでに首を振られてまた立ち竦む。
 しんべヱと顔を見合わせちょっと首をかしげた乱太郎が、「おーい、きり丸」と呼びかけた。
「この前の対抗試合の時、ふぶ鬼がスイバじゃなくてお菓子を食べたいってぼやいてたじゃない」
「へ?」
「だから違うよ」
「いや、何が?」
 突然息子の名前が出てきた上になにかを否定された風鬼が慌てて問いただすが、力み返っていた肩をすとんと落としたきり丸はそれには答えず、恥ずかしそうに乱太郎へ笑いかけた。
「そうだよなぁ。俺としたことが、変なこと考えて迷っちゃった」
「だから何が!?」
「今日のお昼ごはんはサバみそ煮定食で、小鉢がふき豆だったんです。おいしかったよ」
 脈絡なく話しだしたしんべヱの言葉に、朝早くから森に潜み昼食を食いっぱぐれていたドクタケ忍者達が口々に「いいなぁ」と羨望の声を上げる。
「午後の授業は習俗と縁起担ぎについて」
「うえー。何だか難しそう」
「身近なお話だよ。おさむらいさんがかつおぶしを好む理由とか」
「勝男武士って当て字できて験がいいからだろ?」
「そうそう。よく考えると駄洒落だよねえ」
「敵同士で和むんじゃない」
 対峙する二人を挟んでのんきな会話を始めた忍者隊と忍たま達を一喝し、風鬼はわざとらしい空あくびにかこつけて横を向いているきり丸を軽く睨む。
「で、違うというのは何のことだ」
「んー。先生が雑談でさ、お昼に食べたふき豆は、ふうき豆とも呼ぶって話したんだ。そしたら、ドクタケ忍者と同じ名前だって誰かが言い出して」
「俺は小さくない!」
 当たり前の寸法より小さく作ったものを豆と称することがある。豆皿、豆鯵、豆柴、豆炭――は違うが、どちらかと言えば背が高い風鬼は、豆呼ばわりに思わず自分を指差して反論する。照れ隠し半分、決まり悪さ半分の仏頂面でこくんと顎を引き、きり丸は続ける。
「偶然の一致ってみんな笑ったんだけどさ。先生がおめでたい字を当てて富貴豆って書くこともあるって言って、それでつい、さあ」
 ふき豆またはふうき豆は富める貴き豆、すなわちお金持ちで身分の高い豆。おお、なんとゼニのかおり漂うお得感のある名前であることか。その時ふうき豆に感じた好印象は、当のきり丸さえ気づかないうちに、深く心に刻みつけられた。
「……てことは、俺を見て、豆じゃなくて富貴という言葉を連想して、飛び付きそうになったってことか?」
「武術大会で対戦相手の兼八洲以呂波さんになついたこともあるもんねー」
「なんと見境のない」
 からかい口調で乱太郎が口を挟み、呆れる風鬼にしんべヱがうふふと笑うと、ドクタケ忍者達は合点のいった様子でぽぽぽんと手を打った。
「なるほど、でも"違う"と思ったんだ」
「お菓子を食べたいなんてこぼすのを聞いちゃ無理もないなぁ」

 ドクタケ忍者隊はお給料がいいと聞く。木綿の制服なんて着ちゃってるドクたまたちの忍術教室は、資金たっぷりで備品も買い放題だ。けど、そこらに生えてるスイバがふぶ鬼の普段のおやつなら風鬼がお金持ちなわけないもんね。それでもいざ風鬼が目の前に現れたら、富貴という言葉と音「だけ」が同じだと承知しているのに、それなのに、本能的に体が動きそうになった。何の儲けもないのに無駄に体力を消耗するなんて、どケチの権化として何たる不面目!

「ふぶ鬼はいま虫歯の治療中だからお菓子禁止なだけだ!! 俺は所帯を持ってこのかた家族を食うに困らせたことはないっ!!」
「あ、そうなの?」
「奥さんがしっかり家計管理してるもんね、風鬼さんとこ」
「本人は宴会のたびに支払いでおこづかい飛ばしてるけど」
「宴会が多いのはこの手の職業の宿命、若いもんにタカられるのは中間管理職の宿命だからね~」
「修理も新調もできなくてヒビが入ったサングラスをそのまま使ってるくらいだし」
「家庭持ちは大変だぁ」
 自分たちもそれなりの給料を貰っている、かつ互いの懐具合はなんとなく見当がつくドクタケ忍者隊も、憤る風鬼の正当さを後押しするようにうんうんと頷き合う。が、風鬼は徐々に傾いた。あとひと押ししたら倒れるというところまで傾いてからぐるりと踵を返し、言いたい放題の背後の面々に向き直る。
「お前ら! そこまで察してるなら! ちったぁ遠慮しろ!!」
「いつもありがとうございまーす。ごちそうになりまーす」
 反省どころかこれからも奢られるつもり満々の反応が返って来て風鬼が絶句する。固まってしまった風鬼にとことこ近付いたしんべヱがその手の上に金平糖の入った袋を置き、三人の忍たま達はお使いに戻るために「じゃあね」とその場を離れて、あとにはただドクタケ忍者隊と静けさだけが残った。