「雨宿り」
朝から飽きず、雨がしとしと降っている。
いや、朝からどころじゃない。夜明け前から――昨夜から――昨日の昼前から――なんてこった、丸一日以上降ってるじゃないか。よくも天の水が尽きないものだ。風神雷神様は底の深い井戸を持っていらっしゃる、全く贅沢なことだ。
埒もないことを考えながら硯に置いたつもりの筆が、思いがけず大きな音を立てて机の上に転がって、雷蔵ははっと身じろぎした。
慌てて筆に手を伸ばし、同時に対座する長次を盗み見る。
黙々と蔵書目録を記していた長次は、ちらりと雷蔵に目を向けただけで、すぐにまた手を動かし始めている。目の前を横切った羽虫を反射的に目で追った――そんな程度の関心の払い方だ。
雷蔵はそろそろと筆を置き直し貸出カードの束を繰ろうとして、その一枚一枚が湿気で張り付いてなかなか指にかからないのに、また腹の底がちりちりするのを感じた。
ほとんど飽和状態まで水分が充満したような空気は、床板の継ぎ目や窓の隙間からじわりじわりと侵入し、図書室の書棚の中、2人が向かい合う座卓の下、手に取る本の丁すべてに、じっとりまとい付いている。
実に鬱陶しい。だが、そんな絡みつくような湿気のせいだけでなく、雷蔵は珍しく苛々していた。
理由は、自分でも分からない。分からないからどうしようもなくて、放っておくより他に手がない。一緒にいるのが長次でなければ――例えば同じ図書委員でも一年生や二年生だったら、仕事なんか投げ出して、頬杖でもついて不貞腐れていたいところだ。下級生たちはあの不破先輩がそんな無責任を驚くだろうが、だからなんだってんだと少々乱暴なことを考える。
何でもないことが妙に心に懸かっていちいち煩わしい。わたしにだってそんな日はあるんだ。特にこんな天気なら。
「あっ」
強引に目的のカードを引き抜こうとした途端、雷蔵の手から束が弾けた。
机の上に散らばる紙片を、歯噛みしながら束の間眺め、雷蔵はスミマセンと小声で呟きながら拾いにかかる。やはり眉ひとつ動かさない長次は、手元まで舞い飛んできたカードをまとめると、雷蔵に向かって突き出した。
突き出しながら、ぼそりと言った。
「晴れれば、晴れる」
それまでは雨宿りすればいい。
雷蔵は顔を上げた。もう片方の釣瓶のように、長次は顔を伏せた。
そして唐突に目録を閉じて立ち上がる。
「休憩」
言いながら、お前も、と目で促す。
「……はい」
のろのろと立ち上がる雷蔵から、長次はじっと目を離さずにいる。
その視線を感じながら、雷蔵は、大きな笠の中で雨を避ける自分の姿を想像していた。