「十二ヶ月」
廊下をドスドスと踏む乱暴な足音が医務室に近付いて来る。
床に敷いた筵の前に座り込み、山のように摘んできた薬草を根気良く選り分けていた乱太郎と左近は、思わず手を止めて顔を見合わせた。
「怪我人ではないな」
衝立の向こうで伏せっている生徒を看ていた数馬が眉をひそめる。
「あの元気なら、病人でもなさそうです」
乱太郎が答え、三人の目が廊下と部屋を隔つ引き戸へ向いた瞬間、まるで爆ぜ割れるような勢いで戸が左右へ開いた。
「乱太郎はおるかぁ!?」
敷居を滑って枠に当たった戸が跳ね返ってきたのを両手で受け止めつつ割れ鐘のような大声を出したのは、忍装束姿の大木雅之助だった。真正面で驚きのあまり居竦んでいる乱太郎に目を留めると、ずかずかと大またに近付き、当然のような仕草で鼻先からひょいと眼鏡を取り上げる。
「病人が休んでいます。医務室ではお静かに」
「おお、すまんすまん! ところで君、だれ君だったかな」
「声をお控えください。三年は組の三反田数馬です」
「か、返してくださいっ。困りますっ」
「なに、壊しゃせん。ちょいと貸しておけ」
音吐朗々の大木に淡々と応じる数馬の落ち着いた声と、急激にぼやけた視界に我に返った乱太郎が、泡を食って大木にむしゃぶりつく。それを片手でいなし、もう片方の手で乱太郎の眼鏡をくるくると弄びながら、大木は悪びれもせず言い放つ。目測のとれない乱太郎が振り払われた弾みで薬草の山に手を突っ込みそうになり、気を呑まれて固まっていた左近は、慌てて横から制服を掴んで引き止めた。
「いきなり何なんですか。それがないとこいつ何もできないんで、迷惑なんですけど」
「うん、うん。意地悪なんだか庇ってるんだかどっち付かずな言い回しじゃの。さっすが野村雄三の生徒じゃ」
「んなっ」
怖い目で睨む左近を意に介すふうもなく、大木は眼鏡を自分の目に当てて、ぼさぼさの眉を上げたり下げたりした。そのままぐるりと首を巡らせ、目の前の乱太郎と左近や少し離れた衝立の傍らで黙っている数馬を見て、「何もかもぼんやりじゃな」と愉快そうな顔をする。
「だって、その眼鏡は私のですもん。先生の目に合うわけないじゃないですか」
「老眼鏡がご入用なら、きちんと検眼してご自分のものを作ったらいかがです。検眼表ならそこにありますよ」
「わしゃ、ぴっちぴちの三十三だぞ。この年で老眼が来てたまるか」
わざと嫌味な口振りをする左近に陽気に言い返し、新しい玩具をひと通りいじり回して呆気なく飽きた幼子のように、ん、と乱太郎に眼鏡を突き出す。引ったくるように取り返した乱太郎は大急ぎで大木の手の届かない位置まで離れて、しっかりと眼鏡を掛け直す。
仁王立ちの大木はそっくり返って呵々大笑した。
「おいおい。ちゃんと返したんだから、そんなに警戒しなくて良いじゃろ」
「目が良い人には分かんないですよ。これ、無いと本当に困るんですから、面白がって取り上げられちゃたまりません」
「ふふふーん」
小癪げに表情を動かした拍子に、頬に走るか細い傷にうっすらと赤いものが滲む。それをひと撫でして大木はさり気なく横を向いた。
生徒たちから顔が逸れた瞬間、磊落な笑みは溶けて消えている。
八重歯の先でちらりと唇を噛んだ。
「そんなもん掛けとるから目が歪むんじゃ」
三十四のくせに。低い声で小さく吐き捨てる。
筵を引っ張って移動した乱太郎と左近は、結局崩れてしまった薬草の山を掻き回して、頑張って分けたのにまた混ざっちゃったと嘆き合っている。
衝立の内側へそっと視線を送った数馬は、眠る生徒の額から温くなった濡れ手拭いを取り上げ、微かな水音も憚るようにひそやかに盥の中の水へ浸した。